第百二話
性同一性というのは、人間の精神を支えている。仮想世界とは言え、ここまでリアルに手触りなどを再現されると自認とのズレが出てきてしまうらしい。
尻尾や羽。そう言った本来あり得ないものは、脳が勝手に違和感として処理してくれるが、性に関してはどうしても誤魔化しきれない。
つまるところ、多くのプレイヤーが初日に性を変えようとして失敗したのだ。
「ヒカル、あんたなんなん?」
アキの目が、謎を目の前にした記者のように輝いている。獲物を見つけた猫のように瞳孔が開いていた。尻尾と耳は、興味深そうにピクリと動いている。
「なんなんって言われても……バグ?」
「誤魔化してないやろなぁ?」
「俺もなんだか分かってないよ!」
ここで初めて、姉の異様性にヒカルは気がついた。元々、このアバターを用意したのはヒカルの姉だ。そして、一ヶ月遅れでこのゲームに入れてくれたのも姉だ。
一体、なにに関わっているのか、さすがのヒカルも気になってきた。
「ま、男だとしても俺からの対応は変えるつもりはないぜぃ! ロッドウィグからは、頼りになるやつって聞いてるからなぁ」
「ロッドウィグがそう言ってたのか……」
「あぁ、少し暴走する癖があるから見ておけって言われたぜぃ!」
豪快に笑うルーフェルに対して、アキは脇腹をつついた。
「何が見ておけや。暴走するんは、あんたもやろ?」
「俺ってやつは止められねぇから仕方ないんだぜぃ」
格好つけて顎に指を当てるルーフェルに対して、アキは半顔で睨む。
一方、ヒカルの発言に驚いていたミサキが、隣のサクラが何も反応しないことに気づいた様子だった。
「……サクラは知ってたっすか?」
「え? あ、うん。最初に聞いてたです」
「ほへ~、二人きりの秘密が暴露されちゃったってことっすね!」
「そ、そんなんじゃないです!」
友達に揶揄われたことが恥ずかしかったのか、サクラは顔を真っ赤にして杖を握りしめる。
そんな和やかな雰囲気の中、先頭でずっと黙って歩いていたベルが足を止めた。持っているランタンを掲げ、雪の中を照らす。
「どうしたんだ?」
ヒカルの問いかけに、彼女はあたりを照らしながら眉根を寄せた。
「空気がおかしいです」
「お主も気づいたか」
ルシはニヤけた面を見せた。
彼女がその顔をするときは、いつも良からぬことが起こる前触れだ。
「何があった?」
「多分、尾けられています」
「多分じゃないな。ずっと尾けられておった。それに狼たちの姿も見えんくなったのぅ」
その彼女の言葉を証明するように、サファイアウルフの死骸がとんでくる。
白い雪の上に、赤い血が広がった。
「い、今助けるです!」
狼を治療しようと駆け寄るサクラの手を、アキが掴んだ。
「やめとけ、もう死んどる」
「……でも!」
杖を握りしめ直し、彼女は俯いた。
風の音が異様に耳につく。葉擦れの音が、緊張感を増させる。頬を撫でる雪は、より冷たく感じた。
「ったくよぉ、なんでなんでなんで俺様がこんなみみっちいことやらなきゃなんねぇんだよ!」
声には聞き覚えがあった。
森から出てきたのは数十人のオレンジプレイヤー。その先頭に立つのは、ユウェイルだった。
彼は大剣を肩に担いでいる。しかし、一度ヒカルに負けてロストしたためか、装備は一段貧相になっていた。
「これも、お前のせいだ。全部全部全部、お前が俺様をコケにしたせいだ!」
「……ひどい責任転嫁だな。そっちが先につけ狙ってきたからだろ?」
ヒカルの尻尾が苛立ちを現すように激しく揺れた。ユウェイルに一度やり返せたとは言え、やはり彼を見ると腸が煮えくり返るほど怒りが募ってくる。
今すぐにでも顔面をぶっ飛ばしたい思いから、拳を握りしめていた。
「待ち伏せPKとか最悪っすね!」
「あぁ!? お前の首を今すぐにでも刎ねてやろうか!」
ミサキはユウェイルの挑発に怯むことなく、弓を取り出す。その彼女の瞳には、どこか黒いものがあった。
「もしかしてとは思うっすけど、カイザーやプリンを殺したのはあんたたちっすか?」
「あぁ? 誰だそいつら?」
本当に分かってなさそうなユウェイルの表情に、ミサキは下唇を噛んだ。
「いや、聞いた自分がバカだったっす」
その言葉に、ユウェイルは大きく大剣を振り下ろす。
突き刺さった大剣の先は雪と土を舞い上げた。
「お前ら、自分たちの置かれてる状況が全然全然わかってないようだなぁ!」
後方を確認すると、さらに十数人のプレイヤーが現れる。全員、オレンジプレイヤーだ。
ヒカルは大きくため息をつく。
「ルシ、気づいてたならもっと早く言ってくれ」
「面白そうだったから嫌じゃ」
彼女の満面の笑顔をぶん殴りたい気持ちを抑えた。




