また会おう、その時は絶対ナツ! 六十一球目
六十一
当時を思い出さずとも、自然と熟練のピアニストのように言語化できる。
「あまりに気まずくなって、意味を失って、とにかく一秒でも早くここから立ち去りたい気持ちだけが、思考を埋めていた。そのときだった」
小想はしょんぼりした顔をしながら僕を見ている。相槌は自重してしまったようだ。
「Fさんに背を向けた僕の鼻が、無性にムズムズしてきて、耐える間もなく廊下に響き渡った。その中に、僕のくしゃみにかき消されそうな、もう一つの、可愛らしい音が耳に届いた」
今考えてもすごい偶然だ。感心すらしてしまう。
「くしゃみしたことによる恥ずかしさより、後ろから聞こえてきた音の在り処の好奇心のほうが僕の全部を上回ってしまって、咄嗟に振り返った。僕の目に映ったのは、当たり前だけどFさんの姿。でも――どんな因果か、タイミングか、それとも……」
一旦、口を噤む。
引きを欲しがったわけじゃない。気を抜くと、思い出す情景に入り浸りたくなるのだ。あんなに苦しくて、なにもかも諦めて、すべて無にして、ただ時間が流れるのを呆然と待っていた僕に色をつけ、匂いが帰ってきて、そして――二人以外誰もいないはずの廊下の奥で、誰かの話し声が聞こえてきた。おそらく違う階の人の声だ。足音まで鮮明に耳に届いてくる。
こんなに聞こえていたっけ。
こんなにも夕焼けが綺麗で、鼻腔がくすぐられていたっけか。
ああ、わからない。なにもわからないし、なにひとつ理由がわからないのに、不思議と心地いい。
地球の上で生きていることを久しぶりに実感できている。
まるで当時を疑似体験しているように、意気揚々と続けた。
「ロマンチックに言い換えるなら、運命――そう勘違いしてしまいそうな演出に見立てた風、周波数の合致だった」
めっきりなにも言わなくなった小想の顔が、なにか言いたそうにしながらもじっと僕を見ている。
「刹那――スローモーション――対照的に上がる心拍数――状況を理解する観察力。舞い上がる埃を追う。追った先にFさんの瞳と合った――会った。Fさんも同時にこっちを見ていた」
「つ、ついに見せ場ですね!」
小想の瞳も我慢できずに再び輝きだす。なんかホッとする。
「染みついた習慣のせいで、人と目が合っただけで誰もいないほうに向きかけて、またすべてが始まらない、そう脳裏をよぎりそうになったとき、二度目の偶然が起こった」
「運命さんも意地になってきましたね」
運命さん、か。可愛い表現だ。僕は一つ頷いた。
「今度ははっきり聞こえた『はっぶぶぅ』――の生理現象を、目で耳で。誇張とかネタとか一切なく、手で押さえたりなどもしなかったせいで、より廊下に音が広がっていった」
一回目の可愛らしかったものは、幻聴だったのかもしれない。
いや待て、この幻聴は心地いいか。
僕は、自分の想像が作り出したイマジナリーシャドウも現実も好きだ。幻想の影――少々痛いネーミングだが、幻想の『影』そこに隠した裏テーマ。それは僕の中のみぞ。
「先ほど聞こえてきた音の人と百パー同じだったかは、確かめる術はないけど、決して可愛らしさとか、微笑ましくなるそれではなかった」
「率直な感想で失礼かもしれませんが、笑ったり……はしなかったんですか?」
「僕は笑うことはなかったかな。唖然としていたのもあるけど。むしろ笑ったのは――Fさんだった」
今週は一週間を忘れずに更新しました。
今回は個人的にはしっかり内容を脇道に逸らさず、書けたな、と実感する話です。自己評価低めですね。
次回も一週間後、と言いたいですが例のごとく次話はまだ書いてます。間に合わせます。涼しくなりましたので!
予定ではあと二話くらいで、いつものメンバーを出す予定です。つまり夜夏とFさんの話を終わらせます!
お楽しみに!
友城にい




