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クビになった解体屋のおっさん2 〜いつもの技が通じない魔獣肉を、それでも五百円の旨い飯に〜  作者: さくらろ
第4章 機械か職人か、雷牛の断面勝負

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第61話 夜明けの湯気と検査官の折詰

 潮風が白暖簾の端を揺らし、寸胴の蓋がことりと鳴った。

 十八日目の深夜零時を回った防波堤には、いつものように腹を空かせた夜勤明けの作業員や探索者たちが列を作っている。


 俺はまな板の上に置いた現役の二番手包丁を取り上げ、タレが染みた塊肉へすっと刃を入れた。

 先代の十年物の包丁は、今も頭上の棚で白い布に包まれて静かに眠っている。手元の二番手は、鳴海が預かって面直しをしてくれたおかげで、皮目の脂を撫でるだけで吸い付くように切れた。


 炊きたての白飯を盛った丼に、熱々の肉とネギを乗せる。

 隣では、昨夜九時から零時までの三時間仮眠を終えて出てきたリンが、白に近い銀髪を後ろで束ね、寸胴から味噌汁を淀みなく椀へ注いでいた。


「大将、番号札は十五番まで綺麗に揃っていますよ。……ハイ。ワタシ、常連」

 列の最後尾から、岩のような体躯のガルシアがプラスチックの番号札を重ねて窓口へ置いてくれた。五百円玉がコイントレイに小気味よい音を立てる。


「ありがとな、ガルシアさん。常連が札の整理までやってくれると、うちの回転が倍になる」

「並んで湯気の匂いを嗅ぐ時間も悪くないですが、早く食べられるならその方がいいですからね」

 俺が差し出した賄い丼と味噌汁を受け取り、ガルシアは丸椅子に腰を下ろして、大きな背中を丸めながら湯気ごと掻き込み始めた。


 太い箸がタレの染みた白飯と塊肉を小気味よくさらっていく。俺が炊飯釜の蓋を開けて次の飯をほぐす間に、もう椀の底が乾いた音を立てた。

 ガルシアが空になった丼と椀を両手で揃えて返し、「……オカワリ、アリマスカ」と目を輝かせるのも、毎晩変わらない防波堤の景色だった。


 午前二時に最後の客を送り出し、鉄板と寸胴を洗い上げる頃には、下準備を終えた伊吹透が港からやってきた。

「……行ってくる。生姜粥の火加減、今日も透と見てくる」

「おう、いってらっしゃい」

 エプロンを締め直したリンが小さく頷き、透と一緒に二号車へ乗り込んで防波堤を出ていく。

 赤いテールランプを見送った俺は、戸締まりを済ませて午前四時に控室の布団へ潜り込んだ。


 次に目を覚ましたのは午前十一時だった。

 冷たい水で顔を洗い、換気扇を回して夜の出汁昆布を水に浸していると、昼の十二時半に窓口が控えめにノックされた。


「昼前の時間にすまないな、真壁店主。昨夜話していた公開比較検証の要項と、先行確認用の検体を持ってきた」

 立っていたのは、広域鮮度流通機構の統括検査官・久世誠司だった。

 手には温度計付きの銀色の保冷ケースを提げている。俺は窓口を開け、乾いた布巾で作業台を拭いて久世を招き入れた。


「お疲れさまです、久世さん。ずいぶん厳重なケースですね」

「ああ、今朝ラインから上げたばかりの先行検体でね」

 久世は保冷ケースを作業台に置き、一通の要項書を広げた。


「今回の比較対象は、最近還流層から上がり始めた『双層雷牛』だ。表層のバラやロースは標準的な肉質なのだが、深部の筋の奥に、衝撃で破れやすい『還流脂袋』を抱えている」

「深部の脂袋、ですか」

「そうだ。機械の定圧ブレードで深部まで一気に押し切ると、その袋が破れて周囲の赤身が急速に酸敗する。そのため機構内の保守派が『機械ラインで破袋するなら、双層雷牛は個体ごと全面流通停止にすべきだ』と主張し始めてね」


 久世は要項書の断面図に指先を置いた。

「個体ごと止めれば、傷んでいない表層のバラ肉まで市場から消え、夜勤明けの労働者が毎日食べる安価な牛皿や定食の供給が止まってしまう。深部の破袋だけを理由に健全部位まで捨てるのではなく、恒常的な『二層流通基準』をここで形にしたい」


「表層は機械で速く清潔に捌き、深部の袋だけを職人が抜くわけですね」

「その通りだ。明日の十九日目に別単位の予備検体で深部の境界を確認し、明後日の二十日目に同条件の二頭で正式な比較試験を行う。――だがその前に、まずはうちの標準機械ラインが切り出した表層の牛バラ肉を、真壁店主の目で確かめてもらいたい」


 久世が保冷ケースのロックを外し、四度で冷やされた真空パックのトレイを取り出した。

 透明なフィルム越しに見える双層雷牛の表層バラ肉は、赤身と白い脂が鮮やかな層を成している。


 俺はトレイを受け取り、光の角度を変えて切り口の断面をじっくりと観察した。

 厚さは端から端まで寸分の狂いもない三ミリ。しかも高速スライサーの冷却刃で一気に落とされているため、脂の角がダレておらず、ドリップの滲みもまったくない。人間の手でこの量をこの速さと初期清潔度で揃えようとすれば、途中で肉の温度が上がってしまう。


「……見事な断面ですね。脂の角が立っていて、この初期清浄度と温度管理なら基準内にきっちり収まる。こいつは機械の仕事が正解だな」

 俺が素直に感嘆を漏らすと、久世は少し驚いたように瞬きをしてから、ほっと口元を緩めた。


「特級解体師のあなたにそう言ってもらえると、現場の機械オペレーターたちも報われる」

「俺は前から、機械にできる仕事まで人間が抱え込む必要はないと思ってますよ。この先行バラ肉は一度うちの四度保冷庫で預かります。夕方、二号車の仕込みを終えたリンや鳴海たちと合流したら、まずはこいつをうちの鍋で炊いて、どれだけ旨い牛皿になるか確かめましょう」

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