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クビになった解体屋のおっさん2 〜いつもの技が通じない魔獣肉を、それでも五百円の旨い飯に〜  作者: さくらろ
第3章 若手の手首を守る包丁を作れ

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第51話 三頭周期の面直しと段階三の柄

 深夜の本店営業を終えて一眠りし、午前十一時半に鳴海解体工房の引き戸を開けると、すぐ脇の卓からサポーターを巻いた二人の若手が顔を上げた。

 手元には昨夜引いた番号別の記録用紙と番号札が揃えられ、前掛けを締めた無傷の若手も解体レーンの固定具を点検して待っている。


 工房の奥の研ぎ場では、冷たい水流の下で、鳴海が昨日中凹みした中砥石の表面に黒い鉛筆で格子状の線を引いていた。

 その横の作業台には、佐伯湊がラボから持ち込んだばかりの新しい二本の包丁が並んでいる。


「おはようございます、真壁さん。試作計画の最後となる二本――『段階三・量産基本形』が仕上がりました」


 湊が差し出した包丁を、俺は手に取って確かめた。

 段階一で設けた手元重心と、段階二で彫り込んだ柄の腹の支点くぼみが、段差のない滑らかな曲線で一つの柄に統合されている。これまでの四本と合わせて、試作包丁はこれで全六本が出揃った。

 特殊な可動部品を入れない固定重心の柄だからこそ、握った時の剛性が高く、入職半年目の若手が迷わず親指の付け根を添えて二拍子目で支点を転がせる「現場の基本形」として見事なバランスにまとまっている。


「いい柄だ。握った瞬間に、どこへ親指を置いてどこへ重さを送ればいいか、指が自然に迷わない」

「ありがとうございます。あとは、連続解体で生じる刃先の摩耗をどう現場でリセットするかです」


 湊の言葉を受け、鳴海がダイヤモンド修正砥石を手に取った。

「昨日、三頭目の深部二重腱で刃が鈍り、凹んだ砥石で研いで刃角が丸まった反省から、保守の周期を定式化しました」


 鳴海は鉛筆で格子線を引いた中砥石の上に修正砥石を乗せ、水を流しながら一定のストロークで前後に擦り合わせた。

 ザッ、ザッ、と小気味よい音が響き、端の黒い線から先に消えて、中央の凹んでいた部分の鉛筆線だけが最後まで残る。鳴海はさらに十往復ほど修正砥石を動かし、中央の黒い線が完全に消えて砥石の表面が鏡のように真っ平らになったところで手を止めた。


「後ろ脚を三本処理するごとに、必ずこの格子線を引いて修正砥石で『面直し』を行います。感覚で平らになったと思い込むのを防ぐため、鉛筆の線が消えるまでを一セットと定めます」


 続けて鳴海は、平らになった砥石の端に小さな樹脂製の角度ガイドを添え、湊が持ってきた段階三の二本と、既存の段階一・段階二の四本――計六本すべての刃先を順番に当てた。

 既存の四本は新しい包丁に作り替えるのではなく、この面直しした砥石の上で、刃先からコンマ数ミリだけを一定の角度で撫でる『微細小刃付け』によって、新品と同じ鋭い角度へ研ぎ直していく。手首を休めている二人の若手は、水しぶきのかからない位置でストローク回数と角度計の数値をタブレットへ記録していた。


「引き回数は表裏とも五回ずつ。これで六本すべてが、誰が研いでも同じ小刃角に揃いました。三頭ごとに包丁をローテーションし、使っていない包丁をこの定式で面直しと小刃付けにかける。これがうちの工房の標準保守手順です」


 俺は研ぎ上がった六本の刃先を光に透かし、思わず口元を緩めた。

 段階一から段階三までの六本とも、刃先の白い小刃の筋が寸分違わず揃っている。記録係の若手が用紙の番号欄へ研ぎ上がりの印を書き入れ、鳴海が四頭目と五頭目で使う段階三の二本に番号札を添えて白布の上へ並べた。


「よし、さっそく四頭目と五頭目で試すぞ」


 解体レーンへ移り、保冷庫から連続十頭ロットの四頭目と五頭目を引き出した。

 俺と鳴海が通常納品分の前脚やロースを手早く捌いて出荷便へ回し、固定具に据えた四頭目の後ろ脚に無傷の若手が段階三の一号刀を構える。


 一拍目で浅腱を割り、二拍目で肘を抜いて柄のくぼみを転がす。

 面直しした砥石で正確な小刃がついた刃先は、深部二重腱の鉱物質層にも一切引っかからず、スウッと糸を引くように滑ってスネ肉を切り離した。続く五頭目の後ろ脚も、俺が段階三の二号刀を使って同じ軌道で外し切る。


 俺は四頭目と五頭目から出た不可食の外皮を捨て、食用の二重腱と髄骨の二頭分を昨日の三頭分と合わせて保冷庫へ収めた。これでコンソメ用の材料は五頭分になった。


 時刻は午後一時半。冷たい水と保冷肉を扱った手を洗うと、鳴海が厨房の蒸し器からほかほかの湯気を立てる大きな肉まんと、急須で淹れた熱いほうじ茶を運んできた。

 全員で休憩卓を囲み、ふかふかの皮を割ってジューシーな豚肉の餡を頬張る。香ばしいほうじ茶が喉を通り、砥石の水気で冷えていた指先までじんわりと温かさが戻ってきた。


 肉まんを飲み込んだ無傷の若手が、洗浄を終えて研ぎ直された段階三試作刀の柄を頼もしそうに見つめ、力強い声を上げた。


「親方、真壁さん……残りの五頭、この面直し手順で最後まで刃が止まらないか試させてください」

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