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クビになった解体屋のおっさん2 〜いつもの技が通じない魔獣肉を、それでも五百円の旨い飯に〜  作者: さくらろ
第1章 三十分で固まる琥珀の膜

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第4話 澄まし豚汁の湯気と並肉の生姜焼き

 防波堤に『まかべ食堂』の紺色の暖簾が出ると同時に、深夜零時の冷たい海風を裂いてよく通る声が響いた。


「はい、一列に並んでください。順番抜かしはなしですよ。大将の飯はちゃんと全員分ありますからね」


 大陸序列一位の探索者でもあるガルシアが、大きな手で手際よく番号札を配り、夜勤明けの港湾作業員や探索者たちの列を整えてくれている。

 うちの店に特別枠はない。どれだけ名前が売れた相手でも、完食が続く限り大盛り上限なし、一食五百円均一。それがここで守っているルールだ。


 隣の二号車でも、零時から四十五分間だけの深夜限定営業が始まっていた。凛が一人で小窓を開け、温めておいた生姜粥を常連客へ手渡している。

 本店の調理台では、こはくが客の顔が映らない角度にカメラを固定し、手元の鉄板と寸胴の湯気だけを映す通常配信を開始した。


「お待たせ。今夜は並豚バラの生姜焼き丼と、還流猪の背脂で引いた澄まし豚汁のセットだ」


 札を配り終えた一番乗りのガルシアがカウンターの丸椅子に座り、五百円玉をコトンと置く。


「大将、さっきの検証配信を見ていましたよ。ロースは惜しかったですね。……でも、寸胴からたまらない匂いがしています」

「ああ、ロースの仇はこっちの背脂で討つさ」


 昼間に流通機構で仕入れた通常規格の並豚バラ肉から一人前を取り分け、熱した鉄板へ広げる。

 ジュワアッ、と小気味いい音が立った。

 久世たちが管理する標準ラインのバラ肉は、厚みが揃っているから火の通りにムラが出ない。赤身の柔らかさを残しつつ、中心温度七十五度で一分以上相当の熱がしっかり通るようにおろし生姜と醤油ダレを絡め、山盛りの白飯の上へ豪快に乗せた。


 続けて、隣の寸胴から澄まし豚汁を椀へ注ぐ。

 開封してすぐに救い出したあの背脂を一度丁寧に下茹でし、細切りにしたゴボウと大根、それにほんのわずかな白味噌だけで仕立てた汁だ。表面に浮かぶ細かい脂の玉が、照明を受けてキラキラと揺れていた。


「ほらよ、熱いうちにどうぞ」

「いただきます!」


 ガルシアはまず、豚汁の椀を両手で持ち上げて一口啜った。

 その瞬間、厳つい髭面の目がカッと見開かれる。


「……っ、大将、すごいですねこれは! 汁がこんなに澄んでいるのに、甘い脂の香りが喉の奥まで広がります」


 ゴボウの土の香りを伴った背脂の出汁が、舌の上へまっすぐに届く。

 ガルシアはそれ以上言葉を探すのももどかしそうに、並肉の生姜焼き丼を掻き込み、その上からまた豚汁を流し込んだ。あっさりした標準規格の並豚バラ肉に、コクがありながら後味の軽い背脂の汁が驚くほどよく絡む。あっという間に丼と椀を空にすると、ガルシアは照れたように笑って空の丼を差し出した。


「ハイ。ワタシ、常連。……オカワリ、アリマスカ」

「毎度。飯、たっぷり盛るぞ」


『出た、ガルシアさんの決め台詞w』

『さっき切り出した背脂の出汁か! 全然濁ってないぞ』

『並肉の生姜焼きと合わせるのがまた憎いねえ』


 次々と席に着いた常連たちからも、「なんだこの出汁、五百円で出していい味じゃねえぞ」「二号車の粥も旨かったが、こっちの汁も五臓六腑に染みるなあ」と声が上がった。


 午前零時四十五分。

 二号車の生姜粥を売り切った凛が、エプロン姿のまま本店のカウンター内へ合流してきた。


「……二号車、完売。巧、盛り付けと配膳、代わる」

「助かる。豚汁は営業の四十椀と、うちの賄い二椀できっちりだ」


 俺が鉄板から肉を上げるタイミングに合わせて、凛が迷いのない手つきで白飯をよそい、生姜焼きを乗せて客へ出していく。言葉を交わさなくても呼吸が噛み合い、長い列が気持ちよく捌けていった。


 そして午前一時過ぎ。

 列の一番最後に並んでいたのは、白衣を脱いでグレーのコートを着た久世だった。

 久世はカメラの画角に入らない端の席に静かに腰を下ろし、財布から五百円硬貨を一枚取り出してカウンターに置いた。


「……一人の客として、最後のひと膳をいただこう」

「ええ、毎度あり」


 残っていた最後の並豚バラ肉を丁寧に焼き上げ、凛が四十椀目の澄まし豚汁を添えて久世の前へ置いた。

 久世は端正な所作で箸を取り、まず並豚の生姜焼きを一口食べた。丼の上で、箸先がわずかに止まる。


「……私たちが毎日送り出している標準ラインのバラ肉が、鉄板の火入れ一つでここまでふっくらと仕上がるのか」


 続いて、澄まし豚汁を口へ運ぶ。

 久世は二口、三口と無言のまま汁を啜り、脂の甘みが染みたゴボウと大根を噛み締め、やがて丼の米粒一つ残さず綺麗に平らげた。


「ごちそうさま。……認めざるを得ないな。還流猪の脂は、正しく扱いさえすれば、通常規格の並肉を何倍にも引き立てる極上の日常食になる」


 久世は懐からハンカチを出して口元を拭うと、カメラに映らない手元の角度で、一通の白い封筒をカウンターの上へ滑らせた。


「だが、味に感動することと、制度を守ることは別だ」


 封筒の表には、『還流猪・本ロース部位に関する仮流通停止措置通達』と印字されていた。


「明朝をもって、本ロース部位の一般流通を仮停止とする。……真壁さん、これを覆したければ、誰がやっても二十分以内・歩留まり八割以上であの膜を剥がせる証拠を、私に見せてくれ」


 久世が立ち上がり、夜の防波堤へと去っていく。

 俺は白い封筒を指先で受け止め、寸胴の底に残った賄い二椀分の豚汁を見つめた。

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