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クビになった解体屋のおっさん2 〜いつもの技が通じない魔獣肉を、それでも五百円の旨い飯に〜  作者: さくらろ
第2章 弾かれた鶏の端材で百五十食

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第39話 百五十セット完遂の暁と定期契約の調印

「八十一番の方から順番にどうぞ。足元が冷えますから、一歩ずつ前へお進みくださいね」


 午前四時四十五分。夜明け前で一段と冷え込んだ海風の中、ガルシアが落ち着き払った声で番号札を配り終え、沖の大型冷凍船から上がった最初の作業班が窓口へ駆け寄ってきた。

 四、五人の小班の防寒着には白い霜が張り付き、誰もがかじかんだ指先で五百円硬貨を握りしめている。


「さみい……! 大将、あったかいやつ頼む!」

「あいよ。熱々だから火傷するなよ」


 チャリン、と硬貨がトレイで鳴る。

 前半の八十食分を出し終え、厨房の二つの大寸胴は中身が半分以下に減っていた。嵩が減った鍋は、前半と同じ強火にかけていれば底から煮詰まって焦げ付き、逆に火を落としすぎれば海風に熱を奪われてぬるくなる。


 俺が声をかけるより早く、透の指先がガスコックへ伸びた。


「白湯の嵩が半分を切った。中火の細めに落とすぞ」


 透は迷いなく火力を絞り、表面が激しく沸き立たず、それでいて湯気が途切れない温度帯へピタリと合わせた。煮詰まりで塩角が立つのを防ぎながら、仕切り網の奥で先行加熱していたつくねの中心温度を確かめ、一食につき三つずつ器へ盛り付けていく。


「……こっちも。対流、弱火で回す」


 隣でリンが、生姜粥の寸胴の蓋を半開きから三分の一へ狭めた。

 レードルを入れる瞬間だけ素早く蓋を開け、底から大きく十字に返して米の粘度を均一に保ち、よそい終えると同時に蓋を戻す。鍋の端に取ってある賄い用の予備に頼って差し湯でごまかすような真似はしない。火加減と蓋の開閉だけで、最初の一杯と変わらぬとろみと熱さを維持してみせた。


 脚立の上の定点カメラには、湯気の向こうで交差する二つのレードルと、黄金色の鶏油が落ちていく手元だけが静かに映っている。


 『鍋の底が減ってきたのに焦げる気配がない』『蓋を開ける間合いがずっと同じだ』『夜明け前のこの湯気は腹が減る』


 画面の向こうでコメントが流れる中、トレイを受け取った作業員たちがベンチへ腰を下ろし、一斉に湯気へ顔を寄せた。


「……っ、生き返る。冷凍庫の船底から上がった直後にこの生姜粥は、冷え切った腹の底から温まるぜ」


 若い作業員が、赤くなった指先を器の縁に添えて深い息を吐く。

 隣に座った大柄な男は、軟骨つくねを奥歯で小気味よく鳴らしながら、レンゲを止めずに白湯と粥を交互にかき込んでいた。


「軟骨がコリコリで、噛むたびに熱い肉汁が出てくるな。次の荷揚げシフトの前にこの二品が食えるなら、毎朝並びてえよ!」


 言葉も出さずに器を傾け、額にうっすらと汗を浮かべて最後の一滴まで飲み干す者もいる。

 数分おきに四、五人ずつ上がってくる後続の班も、窓口の前で滞留することなく次々と盆を受け取っていった。

 午前五時を過ぎ、東の空がわずかに群青色へ変わり始めても、三人の手元は一度も乱れない。透がつくねと白湯を張り、リンが粥をよそって鶏油と首皮チップ、針生姜を散らし、俺が硬貨を確かめて盆を出す。


 六十五人目、六十六人目、六十七人目。

 そして六十八人目となる最後の荷揚げ作業員が「ごちそうさん、また明日も来るぞ!」と空の容器を返してベンチを立った時、列の最後尾に並んでいた二人が窓口の前へ進み出た。


 百四十九番の札を持った葛城と、厨房脇での計測を終えてから客の列の末尾へ回っていた百五十番の久世だった。


「真壁さん、天宮様、伊吹さん。百四十九番、一客として並ばせていただきました」

「私も最終検体を兼ねて、百五十番をいただきます」


 トレイの上に、五百円硬貨が二つ、澄んだ音を立てて並んだ。

 透が網杓子の底に残った最後のつくね六個を三つずつ二つの器へ分け、白湯を注ぐ。リンが小瓶の黄金鶏油と首皮チップを最後の一滴、最後の一片まで綺麗に振り分け、俺の前へ押し出した。


 時計の針は、午前五時三十八分を指していた。

 開始の午前三時四十五分から、百十三分。百二十分の制限時間を七分残して、百五十セットすべてを出し切った。


「お待たせしました。百四十九番、百五十番――これにて本日分、完売です」


 俺が二つのトレイを差し出すと、ベンチに残っていた作業員たちからパチパチと拍手が湧き起こった。

 葛城と久世は立ち食いカウンターの端へ並び、湯気の立つ器へ箸とレンゲを伸ばした。


「……ふうっ。胃の奥から、じんわりとほどけていきますね」


 葛城が目を細めて生姜粥を啜り、徹夜明けの強張っていた肩を落とす。いつもなら胸ポケットへ伸びる右手が、胃薬の瓶に指先を触れさせただけでそのまま離れ、二口、三口とレンゲを運ぶ速度が自然に上がっていった。

 隣では久世が、最後の百五十杯目となる生姜粥の温度と粘度を確かめるように一口含み、続けて軟骨つくねを噛み締めた。


「……百五十杯目の底の一掬いまで、焦げ臭さも温度低下も一切ない。軟骨の歯切れも最初の一皿と寸分違わないですね。……温かくて、実に論理的な旨さです」


 久世は二つの器を綺麗に空にすると、白い息を吐いて口元を拭い、わずかに目元を和らげた。


 午前五時四十五分。

 こはくが脚立の上へ手を伸ばし、「深夜の定点配信、ここまでです!」とカメラの電源を切った。赤いランプが消え、埠頭に静かな波音と朝の風だけが残る。


 久世が記録バインダーを閉じ、俺たち三人と卸組合の代表へ向き直った。


「最終審査の結果をお伝えします。昨日からの四度以下の保冷記録、一次下茹でと提供時の加熱温度、そして百十三分での百五十セット無遅刻提供――すべての衛生・供給基準を満たしています。文句なしの最終合格です」


「……っ、よっしゃああっ!」


 透が拳を握りしめ、リンが隣で小さく、力強く頷いた。

 卸組合の代表が、用意していた本契約書のバインダーをカウンターへ広げ、万年筆を取り出した。


「見事だったよ、伊吹くん、お嬢ちゃん、それに真壁の大将。うちのラインで出る風切り迷宮鶏の未分別端材二十キロ、キロ三百円の毎日六千円分は、有料焼却ではなく『二号車・伊吹屋台共同仕入組合』へ毎日定期供給させてもらう。明日の朝の初通常営業に向けて、まずは今日の十三時に初回分を届けよう。十四時から十八時に二人で仕込めば、明日の朝三時四十五分の開店にはきっちり間に合うはずだ」


 代表が署名と押印を済ませ、バインダーを二人の前へ差し出した。

 毎朝二十キロの端材を有償で引き受け、温度計と記録簿を自分たちの手で回し続ける約束だ。透とリンは一拍だけ視線を交わし、透が自分の屋号と名前を書き入れ、続けてリンがその隣へ迷いのない筆致で名前を並べた。


「よし、本契約成立だ。……じゃあ本店へ戻って、鍋の底に残しておいた俺たちの賄い椀で締めようぜ」


 俺は湯気の静まった厨房で、小鍋に分けて温存しておいた最後の一杯へ手を伸ばした。

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