↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クビになった解体屋のおっさん2 〜いつもの技が通じない魔獣肉を、それでも五百円の旨い飯に〜  作者: さくらろ
第2章 弾かれた鶏の端材で百五十食

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

33/67

第33話 卸組合の仮契約卓と三段リレーの図面

 湾岸卸売市場の組合会議室には、冷房の乾いた風とパイプ椅子の軋む音が満ちていた。

 十日目の午後一時三十分。長机の中央には、昨夜透が署名した『二号車・伊吹屋台 共同仕入組合覚書』と、三口コンロの連結図が広げられている。

 作業着の襟を正した透を真ん中に、俺とリンは向かい側に並ぶ卸組合の古株理事三人、そして統括検査官の久世と向き合っていた。


「――昨日の五十食試験、八十分で売り切った手際は見事だった」


 白髪交じりの組合代表が、昨日の報告書から覚書へと視線を移し、太い指で紙の端を叩いた。


「だがな、伊吹の坊主、それに『まかべ食堂』のお二人さん。明後日の十二日目朝は、未分別端材二十キロの一括引き取りで、ピーク百二十分・百五十人分の本審査だ。つくね単品でも三倍の量なのに、生姜粥まで添えて二品セットで出すというのはどういう算段だ」


 隣の理事が眼鏡の位置を直し、図面へ身を乗り出した。


「二品になれば器の数だけで三百だぞ。屋台の一口コンロで二つの品を回そうとすれば、手が詰まって荷揚げ班の次のシフトに遅れが出る。何よりうちが一番恐れているのは、二十キロの大量仕込みで温度管理が緩み、市場の屋台から食中毒が出ることだ」


 現場を預かる理事たちの警戒は至極真っ当だった。

 普段なら俺が口を開く場面だが、今日の主役は俺じゃない。黙って控えていると、透が膝の上の拳を解いて一歩前へ出た。


「俺一人の一口鉄板とクーラーボックスじゃ、二十キロの保冷も三百器の同時提供も絶対に無理でした。だから今回は、下請けじゃなく二つの屋号を並べた共同事業として、火口ごと組み直しました」


 透は連結図の右端――二号車のすぐ横に描き足されたコンロの枠を指差した。


「俺の屋台から鉄板を外し、強火の一口目を二号車の横へ直結します。当日は俺が下茹で済みのつくねを温め直して隣の寸胴から白湯を張り、左のリンさんが生姜粥をよそって仕上げる。一人が全部抱え込むんじゃなく、片道へ器を滑らせる三段リレーで手元の詰まりを消します」


 昨日の朝、自分の屋台で一度立ち止まって鍋の半分を預けた透は、図面の枠に指を置いたまま理事を見た。

 眼鏡の理事が唸り、今度は隣のリンへ目を向けた。


「器を流す手順は分かった。だがお嬢さん、前日から二十キロもの生端材と二品分の出汁を抱えて、どこでどう冷やす。仕込みの途中で肉がぬるくなったり、朝の立ち上げで鍋の温度が足りなかったりすれば同じことだぞ」

「……保冷庫の電源管理と生姜粥の寸胴は、二号車の店主の私が持つ」


 リンは保冷庫の仕様書を前へ滑らせ、理事の目をまっすぐに見た。


「端材も仕込み後のスープも、二号車の増設保冷庫で常時四度以下に分けて保管する。前日の下処理も一度に全部は出さず、冷たいまま小分けにして回す。……当日の朝は、三つの鍋すべてが八十五度を超えてからしか窓口は開けない」


 前へ出された仕様書に目を落とし、理事たちが顔を見合わせる。

 その横で、久世が静かに自分の検査端末を開いて画面を向けた。


「昨日の五十食試験でも、搬入から提供終了まで、保冷庫の四度以下維持とつくねの中心部七十五度一分以上の一次加熱ログに一点の不備もありませんでした。もっとも――」


 久世はそこで一度言葉を区切り、会議室の全員を見渡した。


「二十キロの大量仕込みと三口コンロの同時保温は、明後日が初めての実証になります。本審査では、前日夕方の一次仕込み完了時と当日朝の提供中に、私が直接プローブを入れて検温します」


 向けられた端末の画面を確かめ、理事たちの険しい肩から少しだけ力が抜けた。

 それでも組合代表は、最後に透の目をじっと覗き込んだ。


「伊吹。お前さん、以前は記録簿をつける暇があったら火を見ろと啖呵を切っていたな。もし明後日、そして契約した後の毎朝、温度記録や衛生基準に一箇所でも抜けがあったらどうする」


 透は代表の視線から目を逸らさず、覚書に並んだ二つの屋号を指で示した。


「その時は、俺の『伊吹屋台』も『まかべ食堂二号車』も、連帯責任で即座に営業を止めて市場から手を引きます。……親方から継いだ暖簾に泥を塗らないために、毎朝の温度計と記録簿は、共同屋台主の俺自身が責任者になってつけます」


 透が深く頭を下げた。

 会議室に短い沈黙が落ち、やがて組合代表が満足そうに頷いて懐から判を取り出した。


「……よし、その言葉と久世検査官の目を信じよう。『風切り迷宮鶏』未分別端材、一日二十キロ一括・一キロあたり三百円の日額六千円。十二日目朝の百五十セット本審査合格をもって定期買い取り本契約へ移行する条件付き仮契約として、ここに調印する!」


 代表の朱肉が書類に押され、前日仕込みに使う本番用の端材二十キロは、明日十一日目の午後一時に四度以下の保冷コンテナで搬入されることが正式に決まった。


 午後三時過ぎ、会議室を出た俺たちは、市場の駐車場に停めた二号車の前で大きく息をついた。もちろん配信カメラはOFFのままだ。


「ふう……っ、緊張で背中が張りっぱなしだったぜ」


 首を回す透に、俺は苦笑して二号車の増設保冷庫を開けた。


「よく自分の言葉で言い切ったな。景気づけに、残っている検証用端材で少し早いが一息つこう。久世さんも、次の巡回まで十五分くらいなら空いてるでしょう?」

「ええ、検体搬送の前に少しだけなら」


 俺は四度以下で保冷していた検証用端材から、膝軟骨、砂肝、首皮を合わせて八百グラム取り出した。

 透と一緒に『三手省略の歩留まり捌き』で手早く処理し、噛み切れない硬腱と厚い銀皮の端を切り落として廃棄する。

 残った可食部七百グラムを一口大に揃え、首皮、砂肝、膝軟骨を交互に竹串へ刺して四本の特大串を作った。


「透、焼き台は任せる。昨日の黄金鶏油を使え」

「おう!」


 透がフライパンに火を入れ、保冷庫から出した自家抽出の黄金鶏油二十ミリリットルを敷いた。

 そこへ四本の端材串を並べ、粗挽きの黒胡椒と塩を強めに振って一気に焼き上げていく。

 ジュワアアアッ!

 黄金鶏油が跳ねる香ばしい音とともに、首皮から滲み出た脂が砂肝と軟骨の表面を艶やかに包み、黒胡椒のスパイシーな香りが駐車場の潮風に乗った。

 中心までしっかり火を通した焼きたての四本を紙皿に乗せ、俺とリン、透、久世の四人で一本ずつ手に取った。


「仮契約突破の祝いだ。熱いうちにどうぞ」


 串の先端の首皮と砂肝を一緒に頬張る。

 パリッと焼けた首皮から甘い脂が弾け、直後に切り込みを入れた砂肝のシャクシャクとした歯切れと、膝軟骨のコリコリした快い弾力が順番に押し寄せる。硬い腱を正確に抜いてあるから、三つの異なる食感が口の中で少しも邪魔をせず、黒胡椒の辛みが鶏の濃い旨味を鮮やかに引き立てていた。


「……美味い。昨日と同じ端材のはずなのに、串で焼くとまた全く違う表情になりますね」


 久世が眼鏡の奥の目を細め、串を持つ手を止めずに二口目を噛み締めた。


「軟骨の周りの肉がジューシーで、噛むほどに旨味が出る。これが焼却炉へ行くはずだったC級端材だとは、やはり信じがたいです」

「へへっ、三手省略で筋の張りを抜いてあるから、強火で炙っても身が縮まねえんです!」


 透が誇らしげに胸を張り、あっという間に串を平らげた。

 隣で最後の軟骨を飲み込んだリンが、竹串を紙皿に置いて静かに言った。


「……次は、味。残りの端材千三百グラムと、うちの豚背脂出汁を合わせて……百五十人が最後まで飽きない『二号車の生姜粥』を完成させる」


 夕方の湾岸仕込み区画での三口コンロ試運転に向け、俺たちは力強く頷き合った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。