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クビになった解体屋のおっさん2 〜いつもの技が通じない魔獣肉を、それでも五百円の旨い飯に〜  作者: さくらろ
第2章 弾かれた鶏の端材で百五十食

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第32話 新規の豚背脂寸胴と共同契約の覚書

「下請けにするつもりなら、最初から自分の手で刃筋を覚えろなんて言わないさ」


 俺は夕方の湾岸で透にそう答え、「今夜十時に防波堤の本店へ来い。俺たちの普段の営業と、契約の形を直接見せる」と伝えて一度別れた。


 そして九日目の午後十時。防波堤の『まかべ食堂』本店の前に、透が時間通りにやってきた。もちろんカメラはまだOFFだ。

 俺は本店の厨房で、今日新しく千六百円で仕入れた通常規格豚の背脂とスネ筋四千グラムを大寸胴へ投入し、水からじっくりと火を入れ始めた。


「十二日目の生姜粥に合わせる豚出汁だ。本店で炊くが、掛かった原価はそのまま二号車の帳簿へ有償で振り替える」


 俺はお玉で最初の灰汁を掬い取り、コンロ脇の伝票バインダーを顎で示した。

 透はそこに挟まれた二号車宛ての振替伝票に目を落とし、それから寸胴の澄み始めた湯面を黙って見つめた。


 やがて深夜零時になり、本店と二号車の通常営業が始まった。ここからは手元と鍋だけを映す通常配信がONになるため、透にはカメラとマイクの届かないプレハブ控室側の物陰から見学してもらった。

 列の先頭では、岩のような体躯のガルシアが自主的に番号札を配りながら、「ハイ、ワタシ、常連。順番に並んでお待ちくださいね」と流暢な日本語で客を誘導している。

 俺は鳴海工房が一次処理した通常豚六千グラム(今日の外注費三千円は全額この本店の負担だ)を使って、四十食の賄い丼と豚汁を淀みなく出し切った。隣ではリンが二号車の窓口を開け、常連客の顔と食べる量を完璧に把握した手つきで生姜粥を振る舞っていく。

 どれだけ世界中に名前が知られても、ここにあるのは「美味いかどうかしか聞かない」五百円の食堂の規律だけだ。


 午前二時、四十食を完売して常連たちを見送り、俺は配信カメラを完全にOFFにした。

 静かになった厨房で、別コンロで炊き上がったばかりの『新規・豚背脂出汁』の火を止める。澄んだ湯面に、背脂の薄い膜が灯りを映して揺れていた。

 お玉で三つの小椀に少しずつ取り分け、塩と生姜の絞り汁をほんの少しだけ落として、リンと透へ差し出した。


「まずは味を見てみろ。明後日の朝、リンの鶏白湯と手を組む相棒の出汁だ」


 三人で湯気の立つ澄まし出汁を啜った。

 豚の背脂とスネ筋からじっくり溶け出した、嘘みたいに澄んでいて、それでいて舌の奥にじんわりと絡みつく深い甘みとコク。臭みは一切なく、飲んだ後に唇がわずかにペタつくほどのゼラチン質が喉を潤していく。


「……すげえな。豚の脂なのに、全然くどくねえ。これがあの背ガラ白湯と合わさったら、どれだけの粥になるんだ……」


 透がゴクリと喉を鳴らし、背筋を伸ばした。

 俺は寸胴に残った豚背脂出汁を氷水に沈めて急冷し、四度以下の保冷庫へ収めた。それから手を拭いて、二人の前のカウンターに一枚の書類――『二号車・伊吹屋台 共同仕入組合覚書』とペンを置いた。


「昼間の質問の答えだ。卸組合との定期買い取りは、『まかべ食堂二号車』と『伊吹屋台』がそれぞれの屋号を並べた共同仕入組合として結ぶ。朝の売上から日々の直接費を引き、保冷庫の維持や器具更新の積立金を先取りした上で、残った余剰は一対一だ」


 透が息を呑み、カウンターの書類を引き寄せた。

 並んだ二つの屋号と配分の欄を追っていた透の目が、用紙の中央にある条項でピタリと止まる。


「……おい、大将。ここにある『連帯停止』ってのは」

「そこは、隣に立つ店主が決めた条件だ」


 俺が一歩引くと、リンがカウンターの前へ出て、書類の条項を白い指先で差した。


「……看板を並べるなら、鍋の責任も半分ずつ。毎朝の保冷と加熱の記録、どちらか一箇所でも穴を開けたら、その日は連帯責任で二台とも店を閉める」


 リンは銀色の髪を揺らし、透をまっすぐに見上げた。


「誰かの下に入るんじゃない。透さんが自分の暖簾を背負ったまま、隣で百五十人の朝を守る。……ここに名前、書ける?」


 透は書類に印字された『伊吹屋台』の四文字をじっと睨みつけ、それから自分の右手の湿布を親指で強く擦った。

 やがて口の端をグッと吊り上げると、カウンターのペンを迷いなく掴んでキャップを抜いた。


「……上等だ。俺の手元一つで二号車の暖簾まで止まるってんなら、なおさら気が抜けねえな。火加減も毎朝の記録簿も、共同屋台主の『伊吹屋台・伊吹透』の名前で全部背負ってやるよ!」


 紙の上に、ペン先が走る乾いた音と力強い署名が刻まれた。

 だがペンを置いた直後、透はふと表情を引き締めて俺たちを見た。


「よし、これで腹は決まった。……ただ大将、リンさん。今日の昼の組合交渉には、久世の旦那だけじゃなく、卸組合の古株の理事連中が出てくるぞ。あいつら、過去に屋台の食中毒騒ぎで痛い目を見てるから、二品セットにした時の『加熱と保冷の衛生記録』に少しでも穴があったら、本審査前に一発で撥ねられる。今日はそこが勝負だ!」


 俺たちは力強く頷き合い、午前三時三十分までに後片付けを終えると、午前四時から十一時まで七時間の睡眠をしっかりと取った。

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