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クビになった解体屋のおっさん2 〜いつもの技が通じない魔獣肉を、それでも五百円の旨い飯に〜  作者: さくらろ
第2章 弾かれた鶏の端材で百五十食

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第29話 夜明け前の大波と二つのレードル

「おい透! なんか今日、すげえいい匂いがしてんじゃねえか!」

「看板に『軟骨入りコリコリつくね煮込み・三百円』ってあるぞ! 俺に一杯くれ!」

「こっちもだ! 冷え切って腹ペコなんだよ、早く頼む!」


 午前三時四十五分。分厚い防寒着に長靴姿の最初の荷揚げ班十数人が、白い湯気に引き寄せられて合同屋台の前へどっと押し寄せてきた。

 百円玉三枚を握りしめた荒々しい手と、飛び交う注文の声。

 その熱気に当てられた瞬間、透の身体に染みついた「単独屋台の癖」が顔を出した。


「おう、ただいま! ちょっと待ってろ!」


 透は右コンロの沸騰湯へつくねを放り込むと、熱々にくぐらせたそれを網杓子で掬い上げ、自分で発泡椀へ入れ、さらに左コンロの白湯寸胴へ手を伸ばしてレードルを奪うように握った。そのままスープを注ぎ、鶏油を垂らし、首皮チップをつまんで乗せ、客へ突き出そうとする。


「っと、あちっ!」


 焦って一人で全部やろうとしたせいで、透の左手が鶏油ポットに当たりかけ、隣で椀を構えていたリンの手元が完全に遊んでしまった。

 その間にも次のつくねの投入が遅れ、沸騰湯が空になる。最初の十食を出す途中で一分半近く手元が完全に止まる詰まりが起き、並んでいた作業員から「おいおい、次の作業に遅れちまうぞ透!」と苛立った声が飛び始めた。


 俺は会計用の小銭入れを持ったまま、あえて口を挟まずに二人の背中を見ていた。

 ここで俺が割って入って手順を仕切れば、この場は凌げる。だが、それでは明後日以降の百五十食も、これからの二号車の営業も、二人のものにはならない。


 十一杯目の椀に透がまた一人で手を伸ばしかけた、その時だった。

 リンが横からスッと白い手を伸ばし、透の指先から白湯用のレードルを静かに、だが有無を言わせぬ力で抜き取った。


「……透さん。隣、空いてる」

「えっ……?」


 動きを止めた透を、リンがまっすぐに見上げた。


「昨日、まな板でやった時と同じ。あなたが一人で全部抱えたら、お湯が空になる。……湯切りと、温め直しと、火番だけやって。スープと仕上げは、私に預けて」


 短く、研ぎ澄まされた声だった。

 透はハッと息を呑み、自分が握りしめていた網杓子と、リンの手にあるレードルを交互に見た。

 長年、親方から継いだ屋台をたった一人で守ってきた意地。他人に鍋を触らせれば味がブレるという恐怖。だが、目の前にいる小柄な少女が、昨日どんなに正確な刃筋と火加減で自分と並走したかを、透の手首が一番よく覚えていた。


「……っ、わりい、リンさん! お湯とつくねは俺が回す、仕上げは頼んだ!」


 透が自分の癖を呑み込み、一歩右へ引いて沸騰鍋の前に専念した。

 その瞬間、滞っていたコンロ前の空気が嘘のように流れ出した。


 透が保温バットから扁平つくねを掴み、沸騰湯へ次々と泳がせる。熱々にくぐらせた三個を網杓子でチャッ、チャッと小気味よく湯切りし、リンが構える発泡椀へポンと落とす。

 ほぼ同時に、リンの左手が白湯寸胴から熱々のスープ百八十ミリリットルを掬い、一滴もこぼさずに椀へ注ぎ入れる。右手の小匙が黄金鶏油二ミリリットルをツッと回し掛け、指先がカリカリの首皮チップ二グラムをパラリと散らす。


「……はい、お待ちどう」

「まいど! 熱いうちに食ってくれ!」


 注文が重なる班の波ごとに、手元では一杯わずか二十五秒の連続リレーが完全に噛み合った。

 俺は横で三百円分の硬貨を受け取りながら、湯気の立つ椀を次々と作業員たちの手へ渡していく。


 定点カメラの画面には、二人の顔は映っていない。ただ、骨太な男の手と、白く華奢な手が、二つの鍋の上で一度もぶつかることなく交差し、黄金色の油が光る白い椀をリズミカルに送り出し続ける様子だけが映し出されていた。


『うお、急に二人の手の動きがシンクロしたぞ!』

『湯切りからスープ注ぎ、油垂らしまでが機械みたいに綺麗だ……いや機械以上に息が合ってる』

『手元しか映ってないのに、なんでこんなにかっこいいんだこの屋台』


 そして、最初の椀を受け取った荷揚げ作業員が、湯気をフーフーと吹きながら白湯を一口啜り、大ぶりのつくねに食らいついた。

 プリッ、コリコリッ!

 周囲にまで聞こえるほどの快音が響き、作業員の目がカッと見開かれた。


「うおっ、なんだこれ、うっめえ!! 生姜と鶏のダシが五臓六腑に染みるぞ!」

「こっちの団子もすげえ! 昨日の筋張ったホルモンと全然違う、どこ噛んでも軟骨がコリコリで、中から肉汁がジュワッと出てきやがる!」

「上にかかってるカリカリの皮がまた香ばしいな! 三百円でこのスープは反則だろ、透!」


 歓声が埠頭の冷気を突き破り、列に並んでいた作業員たちの期待が一気に膨れ上がった。

 透は額の汗を袖で拭いながら、湯気の向こうで嬉しそうに歯を見せた。

 荷揚げを終えて数分おきにやって来る班の波を、湯切りとレードルが噛み合う手元の二十五秒リレーで待たせずに捌き切る。どの班も次の作業予定へ余裕で間に合う無遅刻の提供が続き、販売開始から一時間が経つ午前四時四十五分までに、間欠的に訪れた作業員たちへ五十食のうち三十食が飛ぶように売れていった。


 空いた椀を回収し終えたコンロの前に、残りはあと二十食分。

 噂を聞きつけた第二陣の作業員たちが列の後ろへ加わった、その最後尾に。

 ストップウォッチと記録バインダーを手にした久世さんと、卸組合の組合長が静かに姿を現した。

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