第24話 捨てられる首皮と黄金色の賄い鶏油飯
七日目の昼前、ひと眠りして体を休めた俺とリンは、業者から届いた増設用の小型車載保冷庫を二号車の荷台へ据え付けた。
庫内温度が四度以下に安定したのを確かめてから、昨日残しておいたサンプル端材一キロを移し入れ、配信機材を切ったまま午後二時の湾岸夜市・仕込み区画へと乗り入れた。
昼下がりの仕込み区画では、伊吹透が一人で屋台の前に座り込み、氷の入った発泡スチロール箱を前に険しい顔で包丁を握っていた。
昨夜、卸組合から「今夜までに体制を示せなければ、明朝から端材を焼却処分にする」と通告されたばかりだ。目の前にはまだ昨日の残りの首皮があるが、彼の一口鉄板では下処理に時間を割けば夜の営業準備が間に合わない。
「よお、透。邪魔するぞ」
「……あんたらかよ。昨日の今日で、何しに来たんだ」
透は目の下にうっすらと隈を作りながらも、料理人としての意地を崩さずに立ち上がった。
俺は二号車のサイドパネルを跳ね上げ、二口ある車載コンロの片側を指さした。
「昨日俺たちが市場で買った風切り迷宮鶏の首皮が六百グラム残ってる。お前が『一口鉄板と屋台の仕込み時間じゃ焦げて使い切れない』って言ってた部位だ。……お前の鉄板は塞がない。うちの二号車のコンロ一口と十五分だけ、場所を貸してくれないか」
「二号車のコンロで、首皮を……? ふん、勝手にしろよ。どうせあの分厚いコラーゲン膜だ、細かく刻んで炒めたって油が跳ねるだけでカリカリにはならねえぞ」
腕を組んで見下ろす透の前で、俺は保冷庫から首皮六百グラムを取り出し、まな板の上に広げた。
風切り迷宮鶏の首皮は、通常の鶏皮の倍近い厚みがあり、裏側には黄色い脂の塊と強靭なコラーゲン膜が張り付いている。
俺は二番手の骨スキを手にしたが、首皮を細かく刻むことはしなかった。
皮を裏返し、縦に走る縮み筋を断つように、スッ、スッ、スッ、と一枚につき三本だけ浅い切り目を入れていく。六百グラムすべての首皮に三本筋を入れるのに、かかった時間はわずか一分半だ。
「……おい、それだけかよ? 一口サイズに切らねえのか?」
「細かく切ると断面からコラーゲンが溶け出して鍋底に張り付く。この厚みなら、筋を三本入れて丸まらないようにするだけでいい。……リン、火を頼む」
「……うん。呼び水、三十ミリリットル」
リンが底の広い厚手の鍋に、切り目を入れた首皮六百グラムを重ならないように広げ、そこへ大さじ二杯――三十ミリリットルの水だけを注いで、車載コンロの弱火にかけた。
最初は静かだった鍋底から、やがてコトコトと小さな泡が立ち、白い蒸気が上がり始める。
「水から蒸し煮にするのか……!? それじゃ皮がふやけちまうだろ!」
「逆だ。風切り迷宮鶏の脂腺は膜が厚いから、最初から直火で焼くと表面だけ焦げて中の脂が出てこない。まず少量の蒸気で百度の熱を通し、コラーゲン膜を緩めて脂腺を開かせるんだ」
五分ほど経つと、鍋の中の水分が蒸発して消え、パチパチ、シュワシュワという澄んだ音へと変わった。
緩んだ首皮の断面から、透き通った黄金色の脂がみるみるうちに滲み出してくる。水気が完全に飛んだところで、出てきた自らの鶏油の中で首皮がじっくりと揚がり始めた。
あたり一面に、たまらなく甘く香ばしい鶏脂の香りが立ち込めた。
焦げ臭さは微塵もない。ローストしたナッツにも似た、深く芳醇な香りだ。透の鼻がヒクッと動き、思わず一歩、二号車のカウンターへ歩み寄ってくる。
「……いい色。引き上げる」
リンが網杓子で、狐色に色づいた首皮を引き上げた。
鍋の底には、一点の濁りもない黄金色の鶏油が百八十ミリリットルたっぷりと溜まり、網の上では水分と余分な脂が抜けた首皮チップが二百四十グラム、チリチリと軽快な音を立てている。
「す、すげえ……。あのゴムみてえな首皮が、水大さじ二杯と別コンロの弱火放置だけで、こんなに綺麗な鶏油とチップに……」
「まだ終わりじゃないぞ。……リン、賄いにしよう」
「……うん。ご飯、炊けてる」
リンが車内の保温ジャーから、湯気の立つ炊きたての白飯を三つの小丼によそった。
そこへ抽出したての熱い黄金鶏油をひと回しずつかけ、自家製の醤油ダレをひと垂らし。さらにその上から、カリカリの首皮チップを三つの丼へ山盛りに乗せ、仕上げに針生姜を散らす。
「ほら、二号車特製の『賄い鶏油飯』だ。冷めないうちに食ってみろ」
リンがカウンター越しに差し出した小丼を、透は吸い寄せられるように受け取った。
黄金色の脂をまとってツヤツヤと輝く白飯と、黄金色の首皮チップ。透はゴクリと喉を鳴らし、箸でチップと白飯を一緒に掬い上げて、大口で頬張った。
ザクッ、カリカリッ!
外に立つ俺たちの耳にまで届くほど、小気味よい音が響いた。
その瞬間、透の目が大きく見開かれた。
「――っ、う、うめえええっ!!」
透は叫ぶと同時に、二口、三口と夢中で丼を掻き込んだ。
俺とリンも自分の小丼を口へ運ぶ。熱々の白飯に染みた鶏油は、豚の背脂とはまた違う、華やかでキレのある甘みを持っていた。醤油ダレの塩気と針生姜の爽やかな辛みが脂の輪郭を引き締め、噛むたびに首皮チップから凝縮された旨味がジュワッと弾ける。
あっという間に一膳を平らげた透は、空になった小丼の底を見つめたまま、悔しさと感動が入り混じった声で呻いた。
「くそっ……! 皮目に三本筋を入れて、水出しの蒸し焼きを二号車の別コンロに逃がすだけで、俺が毎日ポリバケツに捨ててた首皮が、こんな化け物みてえに旨い飯になるのかよ……!」
透は空の小丼を握ったまま、二号車の車載コンロと自分の屋台のポリバケツを交互に見比べている。
俺は鍋に残った黄金鶏油と網の首皮チップを保存容器へ移し、四度以下の増設保冷庫へ収めてから口を開いた。
「これなら、営業前に横のコンロで火にかけておくだけで勝手に仕上がる。お前の手首も使わないし、一口鉄板も塞がない」
だが透は、空の丼をカウンターに置くと、ギラついた目で俺とリンをまっすぐに見据えた。
「……油と首皮はすげえよ。完敗だ。だがな、一番量が多くて厄介な、あの石みてえな膝軟骨の二重腱と砂肝の厚い銀皮はどうすんだ!? あればっかりはコンロじゃ抜けねえ、屋台の仕込み時間じゃ絶対に手が回らねえぞ!」
透が突きつけてきた核心の課題に、俺は口の端を上げて頷き返した。




