第21話 湾岸卸売区画の赤い廃棄札と砂肝の銀皮
六日目の午前十一時に目を覚ました俺とリンは、防波堤から『まかべ食堂 二号車』を走らせ、午後一時三十分に湾岸卸売市場の低温荷捌き場へ乗り入れた。昨夜の映像で見た鶏の端材を、まずは自分たちの手で確かめるためだ。
白い息が立つ四度以下の荷捌き区画では、白衣を着た久世さんと、二号車ともども配信機材を切った状態のこはくがすでに待っていてくれた。
「真壁さん、天宮さん、お疲れのところありがとうございます。こちらが昨夜お話しした、自動解体ラインから弾かれた『風切り迷宮鶏』の端材コンテナです」
久世さんが示した大型の保冷コンテナには、赤い『C級・規格外端材』の札が貼られていた。
蓋を開けると、砕いた氷のシートの下に、黄色い脂を蓄えた首皮、白く光る膝軟骨、赤黒い砂肝、そして小骨のついた背ガラが山積みになっている。一日あたり二十キロ単位で無選別のまま排出されるロットだという。
「大将、私が昨夜撮った時は夜市のバックヤードに一部が運ばれた後だったんですが、大元の市場では毎朝これだけの量が出るんです。記録用に手元の静止画だけ、後で資料用に数枚撮らせてもらってもいいですか?」
「ああ、外に出さない資料用なら構わないぞ」
俺はこはくに頷き返し、消毒した指先でコンテナの中の砂肝と膝軟骨を一つずつ摘まみ上げた。
指の腹に伝わる身質は張りがあり、ドリップの濁りも嫌な臭いも一切ない。血抜きと予冷は討伐直後に極めて高い水準で行われている。
だが、砂肝を包む青白い銀皮に爪を立てた瞬間、パツンと硬い跳ね返りがあった。続けて膝軟骨の関節部を指で辿ると、通常の鶏なら一本しか走っていないはずの腱が、太くねじれるように二重になって骨へ食い込んでいる。
「……なるほどな。久世さん、自動ラインの歩留まり日報を見せてもらえますか」
「ええ、こちらです。……実は、風切り迷宮鶏の胸肉やもも肉といった主要部位は、標準の定寸回転刃で問題なく毎日数万羽分が処理され、安価な定食や惣菜として市中へ回っています。ですが、この端材部位だけは……」
「この厚い銀皮と二重腱が、定寸で回る機械の刃に噛み込むんだな」
俺が断面を示して言うと、久世さんは我が意を得たりと頷いた。
「その通りです。無理に通せば回転刃が欠けてライン全体が止まってしまうため、安全マージンを取って関節ごと大きく切り落とされます。結果として、衛生検査は完全にクリアしているのに、首皮・膝軟骨・砂肝・背ガラが混在したまま毎日二十キロずつC級端材として弾かれてしまうのです」
リンがコンテナの縁に手を添え、銀色の髪を揺らして中の端材をじっと覗き込んだ。
「……これだけ綺麗なのに、市場で小分けにはできないの?」
「手作業で部位ごとに仕分ければ卸値以上の人件費がかかりますし、四度以下の荷捌き場を未分別コンテナで塞ぎ続ける余裕もないのです」
久世さんはバインダーの規約に目を落とした。
「そのため卸組合が定期契約を結べるのは、四度以下の保冷設備を持ち、毎朝二十キロの全量を無選別・一括で引き取って、夜明け前のピーク二時間で百五十食規模として即日消化できる取引先に限られます。明日の夜――七日目の夜までに引き取り手が決まらなければ、明後日八日目の朝からは衛生規約に従い、有料の産業焼却処分へ切り替えられてしまいます」
数万羽の主要部位を安く市中へ届ける標準ラインの仕事自体は、間違いなく真っ当なものだ。ただ、定寸の刃から外れたこの二十キロには、見合う包丁と火の回し方がまだ当てられていない。
「久世さん、このコンテナから検証用のサンプルとして二キロほど、市場の卸値で分けてもらえますか。砂肝を五百グラム、首皮を六百グラム、膝軟骨を四百グラム、背ガラを五百グラムで」
「ええ、もちろんです。C級端材の卸値ですので、二キロで六百円になります」
俺はその場で百円硬貨を六枚支払って領収証を受け取り、計量してもらった二キロの端材を保冷バッグに収めて、市場の駐車場に止めた二号車へと戻った。
「……巧。まず、砂肝から見る?」
「ああ。一番わかりやすいのはこれだ。リン、二号車の氷温庫から、昨夜繰り越した豚背脂出汁を三百ミリリットルだけ出して温めてくれ」
「……わかった」
リンが車内の氷温庫から琥珀背脂出汁のポットを取り出し、小鍋に必要分を移して残りを庫内へ戻すと、車載コンロの火にかけた。
俺は二号車の調理台にまな板を置き、二番手の骨スキを抜いた。
まずはサンプルの砂肝五百グラムを並べる。
通常の砂肝なら、銀皮の下に包丁を寝かせてスーッと引けば簡単に剥ける。だが風切り迷宮鶏の銀皮は、迷宮の風圧に耐えるために繊維が網目状に絡み合っていた。
俺は銀皮の端に骨スキの刃先を浅く噛ませ、包丁を動かすのではなく、左手で砂肝の身をくるりと回すようにして、厚い銀皮と筋百グラム分を一気に引き剥がした。
現れた赤身四百グラムは、ルビーのように透き通った見事な肉質だ。火通りを揃えるために一口大の薄切りにし、表面に細かい鹿の子状の隠し包丁を入れる。
だが、俺は剥がした百グラムの銀皮も捨てなかった。繊維を断ち切るように極薄の細切りへと刻んでいく。
「大将、その硬い銀皮も入れちゃうんですか?」
「普通に焼けばゴムみたいになるがな。こうして繊維を断って臭みを湯引きし、熱い出汁の中で芯まで火を通してやるといい」
俺からザルを受け取ったリンが、隣の小鍋で沸かした湯に砂肝の身と細切りの銀皮を十秒くぐらせて表面の臭みを切り、すぐにグラグラと煮立つ豚背脂出汁三百ミリリットルの鍋へ移した。
弱火に落として二分間、中心温度が七十五度で一分以上保たれるようじっくり熱を通し、身と銀皮の芯まで完全に火が通ったところで火を止める。それを出汁ごと一人七十五ミリリットルずつ四つの小鉢に分け入れ、仕上げにおろし生姜をほんの少し添えれば、『砂肝と銀皮の温出汁小鉢』の完成だ。
「ほら、熱いうちに味を見てくれ」
二号車の簡易カウンターの前で、俺とリン、久世さん、こはくの四人で小鉢を手に取った。
湯気と共に、還流猪の背脂とスネ筋から引いておいた甘い出汁の香りが立ち昇る。箸で砂肝の身と細切りの銀皮を一緒に摘まみ、口へ運んだ。
サクッ、コリコリッ。
前歯で噛み締めた瞬間、小気味よい音が頭蓋の奥に響いた。
鹿の子に刃を入れて出汁で火を通した砂肝の身は驚くほど歯切れよく、濃厚な鉄分と旨味が溢れ出す。そして極薄に刻んで煮含めた銀皮は、硬い筋から「心地よい軟骨のような歯ごたえ」へと見事に化けていた。そこに豚背脂出汁のまろやかなコクと生姜の香りが絡み合い、昼下がりの空きっ腹にじんわりと染み渡っていく。
「んんっ……! ガチで美味しいです! 全然筋っぽくないどころか、この銀皮のコリコリ感、クセになりますよ!」
「……ええ。豚の背脂出汁とも驚くほど合いますね。これが廃棄対象だなんて、やはりもったいなさすぎます」
こはくと久世さんがあっという間に小鉢を飲み干す横で、リンも最後の一滴まで出汁を啜り、手元の車載コンロを見つめて静かに言った。
「……この端材、不良品なんかじゃない。二号車のコンロと鍋なら、絶対に活かせる」
俺は残りのサンプル端材千五百グラムを二号車の保冷庫に収め、頷いた。
「ああ。……それで久世さん、昨夜の映像に映っていた伊吹透って若い料理人は、今夜も夜市に出てるんですね?」
「ええ」と、久世さんは空の小鉢を置いて真剣な眼差しになった。
「今夜も十九時から、夜市の外れの区画で屋台を開けるはずです。……彼もまた、この端材を何とか引き取って屋台で活かそうと、たった一人で格闘しています」
俺とリンは顔を見合わせ、まずは一度、本店の仕込み準備を整えてから、十九時の湾岸夜市へ客として足を運ぶことを決めた。




