第20話 暁の生姜粥と湾岸夜市からの風
六日目の午前二時。四十食の生姜焼き定食をすべて出し切って暖簾を下ろし、俺たちは手元配信のカメラとローカル録画の電源を完全に切った。
常連客や葛城さんが満足そうに帰途へついたあと、静けさの戻った防波堤で、俺とリン、こはく、そして最後まで残ってくれた久世さんの四人は『まかべ食堂 二号車』の前の丸椅子を囲んだ。
「……みんな、お疲れさま。これ、締めの夜食」
リンが小さな土鍋から四つの椀へ、湯気の立つ生姜粥をよそって配った。
今夜の営業を終えて残った琥珀背脂出汁から、四人分の四百ミリリットルだけを小鍋に取り分けて炊き上げた一杯だ。
俺たちは椀を受け取り、白い湯気に息を吹きかけて熱々の粥を啜った。
スネ筋と背脂の澄んだ旨みがとろりと煮えた米に染み渡り、おろし生姜の香りが夜更けの潮風で冷えた指先まで温めてくれる。久世さんは眼鏡を外して目を細め、こはくも「ああ、生き返ります……」とほうっと長い息をついた。隣に座るリンも、俺と肩が触れる距離で静かに蓮華を動かしている。
椀が半分ほど空いたところで、俺はこはくに目を向けた。
「それでこはく、さっきトラックの裏で言ってた湾岸夜市の一件ってのは何だ?」
「はい。実は今夜の開店前に、湾岸の卸市場と夜市の屋台街へ取材に行ってきたんです。これを見てください」
こはくがタブレット端末を取り出し、数時間前に現地で撮影してきた非公開の取材映像を再生した。周囲に客はおらず、カメラもすべて切れている。四人の視線が小さな画面に集まった。
映し出されたのは、湾岸夜市のバックヤードに置かれた大型の保冷コンテナと、そこに山積みにされた大量の鶏の首皮、ヤゲン軟骨、手羽元などの端材だった。
「これ、近郊の別区画から上がってきた『風切り迷宮鶏』の端材です。久世さんのところの流通日報でも確認したんですが……」
「ええ」と、久世さんが携帯端末で機構の流通日報を呼び出して画面を照らし合わせた。
「風切り迷宮鶏そのものは衛生基準をクリアしているのですが、還流期の影響で個体ごとの骨格サイズにばらつきが出ていましてね。自動解体ラインの通常規格サイズから外れた首皮や軟骨、小骨付きの端材が、規格外品として毎日大量に弾かれているのです」
こはくが映像を少し進めると、山積みの端材ケースの前で、タオルを頭に巻いた一人の若い屋台料理人が唇を噛んでいる姿が映った。
使い込まれた中華鍋と一口コンロを据えた単独屋台の暖簾には、自分の店としての誇らしげな屋号が染め抜かれている。
「湾岸夜市で夜勤労働者向けにワンコインの屋台を出している、伊吹透さんという料理人です」と、こはくが声を落として続けた。
「今まで通常規格の端材を安く仕入れて、一人で下処理して温かい夜食を出してたんですが、この還流期の『風切り迷宮鶏』の端材は筋と軟骨が独特の入り方をしていて、従来のやり方だと下処理に時間がかかりすぎるんです。おまけに単独屋台の設備では大口の保冷ロット契約も結べなくて、目の前にまだ食べられる端材が山積みになってるのに、手が出せないまま行き場を失ってるんです」
画面の中で、伊吹透という料理人が氷の詰まったケースから鶏の首皮を一つ手に取り、指の腹で硬い筋の向きを確かめてから、自分の包丁と一口コンロを見比べて悔しそうに拳を握りしめていた。
包丁のタコのつき方と、磨かれた中華鍋の縁を見れば、毎日どれだけ真面目に火と向き合っているかは一目で分かる。
空になった椀を両手で包んだまま画面を見つめていたリンが、すっと顔を上げた。
月明かりの下で、銀色に近い髪が静かに揺れる。
「……巧。あの迷宮鶏の端材、私の二号車で一緒に活かせないかな」
リンは画面の中の屋台と、自分の二号車の窓口を交互に見て言った。
「二号車には保冷庫もあるし、スネ筋と背脂から出汁を引いて、端材を料理に変える手順も掴めた。……あの屋台の人と力を合わせれば、弾かれた鶏の端材も、夜勤明けの人たちの温かい皿に変えられると思う」
俺はリンの真っ直ぐな瞳を見つめ、自分の椀に残っていた最後の生姜粥を飲み干した。
「あの若いの、首皮の筋を探す指つきが悪くない。二号車の保冷と下処理の動線をどう組めるか、まずは現場の顔を見に行くだけの値打ちはありそうだな」
「……うん。行きたい」
「では私は流通機構の側から、規格外端材の衛生・保冷分割の扱いがどうなっているか、明日までに整理しておきますよ」
久世さんも眼鏡をかけ直して頷き、こはくが「よろしくお願いします!」と画面を閉じた。
久世さんとこはくを見送ったあと、俺とリンは本店トラックの調理台へ戻った。
いつもの手順で寸胴を洗い、タレの瓶を拭き、まな板と現役の二番手である骨スキ、そして筋引を湯で清めて乾いた布で拭き上げる。
今夜の営業を終えて残った還流猪の本ロース二千三百三十七グラムと、背脂出汁の残り千三百ミリリットルを、それぞれ明日の営業への繰越分として氷温庫の奥へきっちりと収めた。
時計の針は午前三時三十分を指している。俺はコンロの元栓を閉め、厨房の火を完全に落とした。
「よし、還流猪のひと仕事はこれで一区切りだ。湾岸夜市へ顔を出すのは、昼前までしっかり目を閉じて体を休めてからにするぞ」
「……うん。おやすみ、巧」
まだ見ぬ若い屋台料理人がどんな顔で鍋を振っているのか、そしてあの山積みの鶏端材にどう刃を入れるか。
俺とリンは新しい仕事の問いを胸に留めながら、夜明け前の防波堤でトラックの灯りを落とし、静かな休息へと向かった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
続きが気になった方は、ブックマークと、下の☆☆☆☆☆からの評価をいただけると励みになります。




