ep76 あの時の猫
客間の一室に唯華は先に通された。美月は少し待っていてねと笑って一度客間を後にした。
唯華はソファの一つに座り、瞳を閉じる。視界を遮ると音が全てを支配する。客間の少し空いた窓から入る風が唯華に様々な情報を届けるのだ。
「……そっちは上手くやってるみたいだね、悠」
本島にいる親戚の様子が伝えられ、唯華は微かに笑う。すると美月が子猫を抱いて戻ってきた。
「お待たせ、ゆい」
「……は?」
唯華に向けて美月は仔猫を渡そうとしてくる。意味がわからず、唯華は固まった。しかし美月は何も言わずにニコニコと仔猫を差し出している。
「……なんで猫?」
「えっ、私に内緒で話があるって言っていたから、仔猫に会いたいんだと思ってたんだけど、違った?」
「違う。博士の事が聞きたかっただけだ。美月以外は博士の事情知らないんだろ? 日向昴にバレるわけにはいかないしな」
孤児院の居候の一人、日向昴は能力者により結成された反御影島勢力"サーカス"の創始者である。能力者である為にこの島から出られない能力者達が集い、自由を勝ち取る為に島の上層部と戦う。弱きを助け、決して一般人を巻き込まない事を信念としていた。
しかし、大所帯になるにつれ、御影島から脱出する事を第一とし、周りを巻き込むことも厭わない勢力が内部にできてしまった。なんとか昴はその勢力を止めていたのだが、そこで1つの不幸が起きた。
昴が冤罪で捕まったのだ。捕まえた警察が能力者の存在を知らなかったこともあり、普通の牢屋に入れられていた昴を唯華が、中原に伝えた。そして、昴を自由にする代わりに欲しい情報を1つタダで伝えるという唯華の条件に、中原の自分もしくは美月達駿河家の人間の目の届く範囲での行動という条件を加えて、牢屋から出る事ができた。
ちなみに冤罪の証拠と真犯人も唯華はタダで中原に伝えている。
そんな経緯があり、昴は"サーカス"の創始者でありながら、唯華ーー吹雪に仮があり、"サーカス"に合流できない状態だ。今の"サーカス"に昴が合流する事は唯華としても避けたい。その為、徹底的に情報規制をしている。
"サーカス"創設のメンバーである自称魔女のゴスロリ女にも創始者の保護までは約束しているが、居場所を伝えることまでしていない。
そこまで現実逃避で考えるも、美月は仔猫を差し出す手を戻そうとはしない。一体どういうことだ?
表情に困惑が出ていたのだろう。美月があっと声を出して、説明してくれる。
「ほら、シージャックがあった日にゆいが猫を蒼に預けたでしょ? この子その時の猫なの。ゆいのおかげで元気に育ってるよって教えたくて」
美月の言葉に少し考える。そして思い出した。4月のシージャックのあった日、雨に降られながら歩いている時に仔猫を発見して、その後に会った蒼に押し付けた事を。あの時の猫かと感慨深く眺める。
黒と白のマダラ模様で小さな目はクリクリと唯華を見つめながら、舌をペロペロとしている。随分と人懐っこい子に育ったようだ。
「あの時のか、ここで飼うことにしたの?」
「双子が気に入ってね。名前も双子が決めたのよ? 唯華が拾ったからハナだって」
美月はクスクスと笑いながらいう。
「こいつメスなの?」
「そうよ。オスだったらどうしようってお姉ちゃんと相談してさ」
「和泉が相談相手になったのか? あの酔っ払いが」
「あはは。まぁ、いないよりは……ね?」
唯華の言葉に美月は笑う。しかしその手はまだ猫を唯華に差し出している。瞳が唯華が抱くまで諦めないと訴えている。
唯華はため息をつき、仔猫を抱く。小さい体から体温と鼓動を感じる。
「よかったね……」
自然と口から言葉が溢れた。自分の発言に、唯華が1番驚いた。聞こえていたはずの美月は何も言わずにニコニコとしている。それが逆に恥ずかしさを掻き立てた。
仔猫はペロペロと少しざらついた舌で必死に唯華の手を舐める。くすぐったさを感じたが、不思議と嫌な感じはしない。
背中を撫でながらしばらく唯華は猫を抱きしめ、それを美月が優しい表情で見つめていた。
しばらくして、仔猫は満足したのか、唯華の腕から抜け出す。唯華も無理に追いかけずに様子を伺うと、扉をカリカリと外に出たそうにしている。美月が笑いながら扉を少し開けると仔猫は一度唯華を見てにゃあと鳴くと部屋から出て行った。
「可愛かったでしょ」
美月の笑顔に唯華は何も答えられなかった。深まる笑みにそれが答えだよと言われている気がした。
「とりあえず、博士の事だ!」
気恥ずかしくなり、わかりやすく唯華は話をすり替える。その様子に美月はクスクスと笑いながら、頷く。
「眞琴さんはかなりここに馴染んでいるよ。実験対象がたくさんいるって喜んでいたから、ちょっとお説教したけど」
「あー……、孤児院の奴らを実験対象にするなとこっちも言ったんだけどな」
「まあ、研究者のサガかもしれないね」
美月は呆れたようにいう。そして言葉を続ける。
「それとさっき蒼から聞いたかもしれないけど、昼夜逆転していてね、規則正しい生活を送って欲しいんだけどな。双子の教育にも悪いし」
少し困ったように言う美月に今度は唯華が笑う。
「無理だろうな。筋金入りの研究者だ。今更外部に何を言われても変えるとは思えない」
「ゆいもそう思うか……」
美月は諦めきれない様子だ。しかし、無理強いはしないだろう。それでもこの孤児院の人間は自分と蒼をのぞいて全員が美月の尻に敷かれている。そのうち来宮もそうなるかもしれないと想像して唯華は少し笑う。
「とりあえず、状況はわかった。知りたい事は知れたから帰るよ」
「そう? 朝食食べて行かない?」
「他にも行くところがあるからさ」
能力を使えば全て知る事ができる。でもそれだと退屈だ。だから、可能な限り能力に頼らずに唯華は使える人間は使って欲しい情報を手に入れる。能力は本当に必要な時と、本島の様子を探る時、そして吹雪として依頼を受けた時以外はあまり使わないように唯華は気をつけていた。
美月に挨拶すると、唯華はそのまま客間を後にした。
今日も最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
次回は、明日20時に更新予定です。
続きが気になりましたら、ブックマークで応援していただけると非常に励みになります! ぜひ、よろしくお願いします!




