思い出と厨房の音色
「コナタ!あの家、明かりがついてるよ!」
「旅の宿、か。今度は人がいるといいな?ハマナス」
皮肉屋な相棒の言葉に、数時間前のことを思い出す。
街灯が灯るのに、"人の音"がしない村。
恐らく、最近ノイズ嵐による被害を受けたのだろう。それほど離れていないこの場所も、あの村と同じ状況でもおかしくはない。
ただ、目の前の建物は簡素ながら、それなりに小綺麗で、何より音もしっかり聞こえた。
安堵の溜め息を漏らしながら、木製の扉を叩く。
「あのぉ、すみませ――うわっ!?」
扉がハマナスの言葉を待たずして勢いよく開いた。
それと同時に、小さな影が脇を通り過ぎていく。
「なんだ、夜遅くだってのに。元気のいい出迎えだな」
暗闇へと消えていく背中に、コナタが悪態をつく。
呆気に取られているハマナスに、恰幅のいいエプロン姿の女性がパタパタと近づき声をかけた。
「ああ!ごめんなさいねぇ、お客さん。うちの息子がご迷惑をかけてしまって」
「い、いえ!ちょっとだけ…びっくりしましたけど」
「もう、本当に聞き分けない子でさ…。あとでキツく言っておきますよ!お泊まりでいいかい?精霊用のケージはお使いに?」
取り繕った笑顔で捲し立てるおかみの声からは、強い焦りの感情が読み取れた。
戸惑いと悩み、そして強い後悔。ただならない音だとハマナスは思った。
「いらん。あんなせまい所に入ってられるか。こちとら一流楽士サマの精霊だぞ?」
「ちょっとコナタ、失礼でしょ!――ええと!お気遣いありがとうございます。でも、それはいいんですけど、追いかけなくて大丈夫なんですか?」
「いやぁ、旅のお方が気にするほどじゃあ…」
楽士という言葉と、ハマナスの身に着けた音楽院の紋章を見て、おかみはほんの一瞬だけ動きを止める。
そして困った顔になると、小さくため息をついた。
「じゃあさ、申し訳ないけれど、少しだけお願いしてもいいかい?楽士のお嬢ちゃん」
「はい、もちろ――」
「いいぜ、当然、宿泊費は負けてくれるんだろうな?」
ハマナスはコナタを窓から放り投げ、おかみの話に耳を傾け始めた。
少年は走った。
走り、走り、さらに走り、気づけば見慣れた村の入り口へとやってきていた。
街灯の列が夜道を明るく照らしている。まるで住人の帰りを歓迎してくれているようだ。
母さんが言った『何もないところ』なんて言葉とは全く違う、オレンジ色の暖かな火。懐かしい輝き。そのままの姿を見て、少年は心を踊らせた。
「なんだ、やっぱり。母さんは噓をついてるんだ」
そう頷き、村の中央にあるパン屋。かつて住んでいた、本当の家へと足を運ぶ。
蜘蛛の巣がかかり埃も被っているが、昔のままだ。見えるすべてのものが懐かしい。
リビングの椅子に座ると、足がついた。昔住んでいたころは、足はつかなかったと思う。
でも、それが自分の成長だと感じられて、いっそう嬉しく思えた。
足を伸ばし、天井を見上げると昔からあるシミを見つける。そんなどうでも良かったものまで今は懐かしく感じ、不思議なものだと笑みがこぼれた。
そうしてひとしきり浸って満足したところで、ここに来た目的のものに手をかける。
「ただいま、父さん」
一枚の写真。
変わらず見つめているそれには、パン屋らしい帽子をつけた父の笑顔がある。
朝、父が厨房に立つと、火の精霊が今か今かと待ち構える。
生地をオーブンに入れつまみを捻ると、村に張り巡らされた火の精霊の通り道『火音管』を通って音が響き渡り、村中から集まった彼らが香ばしいパンを焼いてくれた。
その様子を見るのがたまらなく好きで、友達から『朝はお前の家のせいで火がつかなくなる』と言われた時ですら、嬉しく感じてしまうほどだった。
「また、聞きたいな」
そう呟くと立ち上がり、父の写真を片手にオーブンの前に立つ。
あの時の父と同じように、つまみに手をかける。
あの時の父と同じように、右に捻る。
すると明るい曲とともに火が付き、精霊たちが現れる。
はずだった。
聞こえてきたのは掠れた、不快感のある、途切れ途切れの音。
そのことにひどく驚いたが、それだけではなかった。
壊れた音に引き寄せられるかのように黒い炎が立ち上り、暗い火の化け物がオーブンの口から現れたのだ。
父が毎朝鳴らしていた明るい曲は、もうどこにもなかった。
父と同じように、同じつまみを捻ったはず。
突然現れたそれは、厨房を、思い出を、瞬く間に呑み込んでいった。
「う、うわぁっ!!」
たまらず尻もちをつき、後ずさる。逃げなきゃ。
そう思っても、足が動かない。暗く黒い炎は、絶望でしかなかった。
化け物が少年へと、ごうごうと迫り、勢いよく燃える手を伸ばす。
(母さん――っ!)
その時、一陣の風が巻き起こる。
もう一つの巨大な黒い影が、燃える化け物へと食らいついたのだ。
それは瞬く間に火の化け物を呑み込んで、こちらを向いた。
(黒い、鳥――?)
何が起こったかわからなかったが、この黒い鳥に助けられたことだけはわかった。
「コナタ!」
声のした方へと振り向くと、炎に照らされ少女が一人立っていた。
すぐに改めて黒い鳥を見やると、小さなフクロウがそこにはいた。
「けっ、てんでマズい音だぜ。腐ってやがんな、こりゃ」
「よかった、間に合って」
少女が伸ばした手を、戸惑いながら掴む。
どうやら助かったということを、その時にようやく理解した。
「家出して、ノイズ被害にあった村に戻るなんてな」
「ごめんなさい。でも、母さんが『何もないところ』なんて言ったのが嫌だったんだ。それにすぐに帰るからいいかって」
父の写真を強く抱きしめる。
「母さんに、忘れてほしくなかったんだ。父さんと一緒にいた時のこと」
ハマナスはおかみから聞こえた音を思い出し、目を閉じて、辺りに耳を傾ける。
ハマナスだけに聞こえる思い出の残響。そこからは、三人の家族と精霊たちが楽しく過ごす姿がイメージできた。
「お母さんは、忘れてないよ」
ハマナスは笛を取ると、曲を奏で始める。
それは、かつて少年がよく聞いたものだった。
つまみを捻ると鳴ったあの時の曲、捻った時に聞きたかった曲。
懐かしさと、自分の愚かさに、思わず涙が溢れた。
「だって、こんなに幸せな音、なかなかないもの」
「まぁ、口直しにはちょうどいいぐらいだな」
「ちょっと、空気読んでよね」
「俺からしたらいちばんの褒め言葉だぞ。毎日食ってたここの精霊たちが羨ましいぜ」
コナタの言葉に、精霊たちの嬉しそうな様子を思い出す。
「うん、本当に…好きな曲だったんだ」
再び写真を見ると、父はあの時の笑顔を向けてくれていた。
幸せな日常を再び奏でたいと、少年は強く思った。
涙でぼやけていた視界が晴れたころ、夜は明け始めていた。
「ありがとう、ハマナスお姉ちゃん。僕、帰るよ」
「うん、私たちも一緒に帰るよ。お母さんの宿に泊まるつもりだったんだ」
白んできた空のもと、三人は宿へと歩き始めた。
少年の足取りはここにきた時よりも、ずっと軽かった。
「私の探してる音も、あんな感じなのかな」
「さあな。だから旅してるんだろ」
「――そだね」
遠くに宿の明かりが見える。
その前で待つ人影を見つけ、少年は駆け出した。
「こりゃ、今夜の宿代はタダだな」
「もう、コナタったら」
ハマナスとコナタの旅は続いていく。
今日のところは、心地よい音に包まれながら過ごすことになりそうだ。
今回の執筆者。サークルメンバー:ゆまんくさん




