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リュカが溜め込んでいた愚痴を吐いてすっきりしたあとは、平和で他愛もないうわさ話に盛り上がった。毎度の事ながら、いったいどんな情報網を持っているのか、城内から城外まで、ありとあらゆる情報に精通しているアンジェ達に知らない噂はないのではないかと思う。諜報部員としてもやって行ける、と褒めれば、派手に暴れる方が好きなの、と2人は艶やかに笑った。そうやって楽しい時間はあっという間に過ぎた。
「それじゃあ、アタシ達はそろそろ戻るわね」
食堂の中央に飾ってある時計を見たあとで、言いながらアンジェが席をたつと、カーサもそれに続いた。
「リュカちゃんは?」
「まだ時間あるし、もう少しここで待ってるよ」
それより、とリュカはアンジェの袖を小さく引いた。何、と身を屈めた彼女に耳打ちをする。
「結局こいつ、誰?」
ちらり、と向かいに座るデアンタを見る。彼も時間を確認しているのか、時計のある方を見ている。しかし視線がはっきりしない為に正確にどこを見ているかまではわからない。やっぱり変な奴だな、とリュカは失礼な事を思った。
「だから、そのうち分かるわよ」
アンジェはやはり教えてくれる気はないようだ。含み笑いをたたえたまま、ひらりと手を振って2人は食堂を出て行った。
(気まずい…)
沈黙は、得意ではない。リュカはそわそわと落ち着かない視線をあちこちへと走らせた。先ほどまではアンジェとカーサがいたからそこまで気にならなかったが、いざ2人きりになってみると非常に、居心地が悪い。
話しかければ反応はあるのだ。しかしデアンタから返ってくる言葉が端的すぎてそれ以上会話が続かない、というか続けようがない。
無難な話題も尽き、誰でもいいから早く連絡を寄越してくれ、と縋るような気持ちでいると、突然デアンタが立ち上がった。リュカは驚いて彼を見上げる。
「どうし」
た、という語尾は湧き上がった悲鳴と歓声にかき消された。
前にも似たようなことがあったな、とリュカは嫌な予感にひきつった顔で食堂の入口を見やれば、案の定、そこにはギーレベルトの姿があった。彼は迷うことなく、まっすぐにこちらへと向かってくる。
何故と思うよりも早く彼がここへ来た理由に思い当たり、リュカは思わず頭を抱えた。連絡役は、確かに誰でもいいとは思った。だが、この男は論外だ。
「お待たせして、申し訳ありません」
颯爽と現れた男はつい先ほどと顔を合わせた時と変わらぬ笑顔を浮かべ、リュカに会釈した。その台詞に、リュカは思い切り顔をしかめる。
「お前と待ち合わせした記憶は、ない」
地を這うような声でリュカは続ける。
「大体お前、偉い偉い騎士様だろ。こんな使いっ走りみたいなことしてんじゃねぇよ」
「お気づかい、感謝いたします。ですが、譬えどんなに険しい山の頂でも、どんなに深い森の奥でも、貴方がいる場所ならば何処へなりと馳せ参じましょう」
柔和な表情の中にもはっきりとした意志を宿して、男は語った。そんな場所でも追いかけてくるつもりなのか、という想像にゾッとしながらリュカは叫ぶ。
「そうじゃなく、っていうか意味が分からな、ああもう、殴りてえぇ!」
こいつ殴っていいか、とリュカがギーレベルトに人差し指をつきつけつつデアンタに尋ねれば、デアンタは驚いたような表情で──そういえば、初めて表情らしい表情を見た──それでもゆっくりと首を横に振っていた。当然と言えば当然か。ぎりぎりの所でリュカがその衝動を押さえ込んでいると、ギーレベルトはその視線をデアンタに向けた。
「デアンタもご苦労だったね」
そう言ってギーレベルトが微笑めば、デアンタは、短く応えをして敬礼の姿勢をとった。その様子を、リュカはぽかんとして見る。
「知り合いか?」
デアンタに尋ねたというのに、答えたのはギーレベルトだった。
「彼は私の従者です。挨拶はもうお済みでしょうか」
「お前に聞いて…って、従者!? こいつが!?」
「ええ、優秀な子でとても助かっています」
思わずギーレベルトとデアンタの顔を交互に見比べてしまったことに意味はない。ただ、そんな事をしながらアンジェの言葉を思い出していた。すぐに分かる、とは、ギーレベルトの登場を見越しての台詞だったということか。
「早く言ってくれ…!」
そうと知っていれば、ギーレベルトへの悪態ももう少し控えめな所で済ましていたというのに。主の悪口を目の前で言われて良い気分になる従者も、中にはいるだろうが、デアンタは確実にそのタイプではないだろう。むしろその逆の可能性の方が高い。
ギーレベルトへの認識を改めるつもりはないが、彼の信奉者から不用意な怒りは買いたくないのだ。リュカは内心で少し焦った。
(あ、だからオレに対して態度がずっと硬くな…)
だったというわけでもなさそうである。先ほどの驚いた表情は何かの見間違いだったかと思うほどに無表情に戻ったデアンタは、ギーレベルトを前にしてもその淡々とした態度を変えることがなかったからだ。
「無理を言って済まなかったね」
「いえ」
「彼女は、素晴らしい方だろう」
「はい」
(その素晴らしいってのはもしかしなくてもオレのことか。そんでそれに頷くのか)
なんとも言えないやりとりに、この2人は一体どういう神経をしているのか、とリュカは不審なものを見る目で見る。ギーレベルトはそんな視線を全く意に介することなく、リュカに向かって微笑んだ。
「貴方とこうして言葉を交わせる喜びで、大事なことを忘れるところでした。ザインからの頼みでもあるのですが…」
「そういう前置きはいらねぇから、要件だけ喋ってさっさとどこへなりと行ってくれ」
「本当に、貴方はつれない方だ。…ですが、そんな所も愛おしい」
うっとりと見つめられ、背中を這い上がった悪寒に思わず悲鳴を漏らすところだった。その悲鳴をなんとか飲み込み、用がないなら詰所へ戻るぞと脅す。ギーレベルトは「わかりました」と答えたが、本当に分かっているのか甚だ疑問だった。
その時、ふと辺りを見回せば、いつの間に増えたのだろう、大量の食堂利用者がそこにいた。リュカ達の周囲を除けばほとんどの席が埋まっていて、気配から察するに皆がこちらへと聞き耳をたてているようだった。
騒ぎすぎたかもしれない。一応その自覚はあって、流石に居心地の悪さを覚えたリュカが、とりあえずもう少し人気のない場所へ行こう、と言うと、ギーレベルトはその笑みを一層深くし、嬉しそうに言った。
「貴方も大胆な方ですね。白昼堂々人気のない場所へ行こうだなんて」
「いい加減本気で殴るぞ」
額に青筋を浮かべ、引きつった笑みを浮かべて一文字ずつはっきりと言ってやれば、ギーレベルトはようやくその口を閉じた。
リュカが腕組をし、苛々と足先で地面をはたいている一方で、ギーレベルトは姿勢を正し、まっすぐにリュカを見ていた。ギーレベルトの後ろにはデアンタがいて、ギーレベルトよりもかしこまった姿勢で立っている。
場所は北館の端にある廊下だった。この辺りは倉庫として利用している部屋が多く、訪れる人は滅多にいない。長話になるかもしれないので、食堂でもう一杯お茶でも、とギーレベルトに誘われたが、もちろん断った。そしてやってきたのがこの場所だった。ここからならば、詰所までもそう遠くない。
「で、話って?」
突き放した風で尋ねても、やはりギーレベルトには堪えた様子が全くない。それがまた腹立たしくもあるのだが、今は無理矢理忘れる。
余計な事は言うなと念押ししたのが効いたのか、ギーレベルトの言葉は短く、そして分かりやすかった。
「契約の延長をして頂きたいのです」
「断る」
間髪入れずに答えたが、それは予想されていたのか、ギーレベルトに目立った反応はない。それからリュカは、フン、と鼻で笑いながら言ってやった。
「ザインの人選ミスだな。お前に言われてオレが延長するわけがない」
「では、他の者に頼まれれば延長を考えて頂けましたか?」
サラリと返すその言葉を、少し痛いな、とリュカは思う。その答えも決まっているからだ。
「いいや」
例えハルに頼まれようとも、ザインに直接頼まれようとも、リュカは契約の延長をする気はなかった。
やはりですか、と分かった風に微笑むこの男がいる限りは。
「話はそれだけか?」
「いいえ。ここからが聞いて頂きたい話になります」
そう言ってギーレベルトが懐から取り出したのは、一通の封筒。なんなのだ、とリュカが思っているとギーレベルトは続けた。
「この類の契約は、双方に不満がなければ自動延長となります。今回、我々としては不満はない。というわけで、解約の手続きはリュカの方から行わねばなりません」
「それくらい知ってる」
遠まわしな物言いに、苛立ちは更に募る。つまり何が言いたいのか、と、リュカが噛み付く前に、ギーレベルトはその美しい双眸を細めた。
「では、解約の承認に、ザインの他、私の印が必要な事もご存知ですか?」
一瞬目眩がした。あまりのことに、声が上ずる。
「……は? なんだそれ、脅しか?」
そして、その言葉を向けられた本人は、至って涼しい顔をしている。
「そう受け取って頂いて構いません」
ダン、と近くにあった壁をリュカが殴った。容赦なく叩きつけた拳は痛んだが、それ以上の怒りが腹の中で渦巻いていた。
例え承認されずとも、契約の一方的な解消は可能だ。こちらの正当性が認められれば、ギルドの経歴に傷がつくこともない。だがしかし、それとは全く関係のない部分が気に入らなかった。
「何がしたい」
権力をかさにきて、そこまでするのか。
これ以上ないところまで見損なったと、ギーレベルトを睨んでいると、彼はその視線をものともせずに、手にした封筒をひらりと揺らし、堂々と言った。
「賭けを、しませんか?」




