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その回廊は中庭に面しているために、庭の様子がよく見えた。平民向けの民家程度であれば2軒や3軒は余裕で建てられそうな広さのそこには、中央より少し北寄りの場所に小さな噴水があって、それを囲むように花壇と背の低い植木が植えられている。そばにはいくつかのベンチもあって、今はそこで休む人影が何人分か見えた。
古くから避暑地としても利用されていたように、この地方の夏は日差しが多少きついものの比較的過ごしやすい気候をしている。今日のようなよく晴れた日には、外でゆっくりとした時間を過ごしたくなるものなのだろう。庭の風景を眺める人々も少なくはなかった。休む人を羨むものもいれば、この風景に癒されているものもいる。穏やかな、時間。
そんな爽やかな空気の中、庭の様子には目もくれず、この場にそぐわない雰囲気を纏って足踏み荒く行く人物がいた。──リュカである。
「あああああ、ムカつく! 腹立つ! 本当に、腹立つ!」
時折、耐えきれずその場で地団駄を踏んで叫べば傍を通りかかった人々がぎょっとしたように振り返る。しかしそれがリュカで分かると途端に、妙に納得をした顔をしてその場を通り過ぎた。この所、リュカの機嫌が良かった場面は数える程しかない。原因は言わずもがなであろう。無名の傭兵にしか過ぎなかった彼女も、ギーレベルトの件ですっかり有名になってしまった。
どこかの誰かのせいでもうしばらく時間をつぶす事になったリュカは、その事を伝える為にいったん持ち場に戻り報告だけして、そのまま食堂へと向かっていた。その道中で、常日頃からなるべく考えないようにしているギーレベルトの事をどうしても思い返してしまい、そしてひとりで腹を立てていた。
(毎度毎度おちょくりやがって! なーにが『愛しい人』、だ!)
内心で盛大に吐き捨てたリュカは、魔物ですら恐れをなすのではないかという形相で、結局一度も庭に目を向ける事なく回廊を抜けた。その間もずっとギーレベルトに対する悪態はつきる事がない。
今でこそギーレベルトを毛嫌いしているリュカだが、出会い頭の頃はここまで嫌いではなかった。確かにギーレベルトに対して取り繕う事も出来ない程の嫌悪感を感じてはいたが、彼の人となりについては、どちらかと言えば尊敬に値すると思っていたのだ。 リュカのあからさまな態度を前にも笑顔を崩すことなく、対応もとても丁寧なものであったのが一番の理由だ。目には目を、とまではいかないものの、負の感情や態度を向けてくる相手に親切にできる程、リュカは我慢強い質ではない。自分にできない事を平然とやってのけているギーレベルトの事を、リュカは純粋に凄いと思った。
だからこそ互いが嫌な思いをしないですむよう、なるべく接触を断とうと努力していたというのに、ギーレベルトはこちらの気遣いなど関係ないとばかりに接触を試みてきて、そしてこの有様である。
(オレは悪くない!)
果たして本当にそう言い切れるかは疑問だが、リュカがそう思ってしまうのも無理はなかった。
そんな様に頭の中で盛大に愚痴りながら歩いていたリュカがT字路になった廊下を右へ曲がろうとしたとき、反対の左から歩いてきた2人が、呆れたようにリュカに声をかけた。
「リュカちゃん…、いきなり女の子らしくなれなんて無謀な事は言わないから、せめてその凶悪そうな顔をするのはやめなさい」
「そうそう、せっかく可愛いのに、本当にもったいないわぁ…」
ギーレベルトに関する愚痴に没頭していたリュカはその言葉の内容に、凶悪と言われた顔をさらに凶悪にして振り向いた。しかしその先にいた2人の姿を認識するや否や、ぱっと顔を綻ばせた。
「姐さん達!」
その豹変ぶりに苦笑しながらやってきたのは、アンジェとカーサの2人だった。
アンジェはくすんだ灰混じりの金髪をしている。しかし、唯一上げられる欠点らしい部分といえばその一点のみで、大きくはっきりとした瞳は新緑の色、口は蠱惑的に微笑えんで男性の視線を集める。出る部分は出てしまる部分は絞まっている、まさにリュカと対極の体型をした彼女は、リュカが想像する大人の女性を体現した人だった。
一方のカーサは艶のある焦げ茶色をした髪を背中にながし、水色の瞳の奥に神秘的な雰囲気を漂わせて涼し気に微笑んでいる。アンジェが綺麗とするなら、こちらは美しいという言葉が似合うだろう。そのおっとりとした喋りの通り、普段もおっとりとした性格だ。しかし、ナイフを持った彼女とは絶対に対峙したくない、と戦場での彼女を知る人間は口を揃えてそういった。
決して多くない傭兵部隊の中でリュカを覗けば女性はこの2人のみだ。2人はリュカより十は年上で、数少ない女性ということでリュカを可愛がっており、またリュカの方も男性陣に引けを取らぬ強さを持つ彼女達によく懐いていた。
「ザインの用事は終ったの?」
アンジェが尋ねる。それに対し、リュカは「いいや」と首を横に振った。
「割り込みが入って、時間つぶしてろって言われた。だから今から食堂。姐さん達は?」
「アタシたちは今から休憩。こっちも食堂に行く予定だったから、一緒に行く?」
行く、と元気よく返事した後、リュカが改めて当初の進路へと向き直ろうとすると同時に「それにしても」とカーサが小さく首を傾げて意外そうに言った。
「リュカちゃんてば珍しい子連れてるのねぇ」
「んん?」
カーサの言葉に、今度はリュカが首を傾げる番だった。アンジェとカーサ、2人の視線がリュカの背後を見ている事に気付き、振り返る。
「………えと、誰?」
振り向いた先にいたのは、1人の少年だった。確かこの服装は騎士見習いの格好だったか、とリュカは思い出す。榛色の髪は短く切りそろえられ、灰色の瞳はリュカの方へと向けられていた。身長はハルより少し高いくらいだろうか。なかなか整った顔をしているが、表情らしい表情の浮かんでいないその顔に、誰か知り合いだっただろうか、と考えてみたものの思い当たる人物はいない。
一体いつから背後にいたのか。全く気付かなかったリュカが、気を抜き過ぎだろうと少しばかり落ち込んでいると、その考えを遮るようにアンジェが言った。
「リュカちゃん、この子を知らないの…?」
アンジェのその言葉は知らない事を意外と思っている風な響きで、リュカはますます困惑するばかりだった。
そんなリュカの様子にカーサが何かを告げようと口を開いた瞬間、少年はその表情を変えることなく踵をならして姿勢を正した。そして、
「はじめまして、僕はデアンタ・カーゴニカと申します」
変声期前の少年特有の凛とした声で彼はそう名乗ったあと、慣れた仕草で一つお辞儀をした。それから顔を上げ、一言。
「僕の事は気にしないで下さい」
「気にするなって…、え?」
頭の片隅では、どこかで聞いたような、とデアンタという名前を反芻する。しかし思い出す事は叶わず、口をつぐんでしまった少年に困って、リュカは助け舟を求める視線をアンジェとカーサに向けた。2人は顔を見合わせてアイコンタクトを交わしたあと、何故か揃って含み笑いを浮かべた後に、ずっとこの場にいても仕方ない、といってリュカを食堂へ向かうよう促した。
昼食をとるには少し早すぎる時間帯。食堂の人影はまばらで、リュカ達は壁際よりの席を陣取った。最初、デアンタは同席する事を遠慮していたが、かといってずっと背後立たれていても困る、とリュカが言えば、相変わらず無表情なまま彼はリュカの向かい側に腰を下ろした。
「姐さん、こいつを知ってる?」
こそり、と隣に座ったアンジェに耳打ちする。アンジェは少しだけ意地の悪い笑顔を浮かべて、そのうち分かる、とだけ言った。どうやら教えてくれる気はないらしいと悟ると、リュカは納得いかないまま、注文したアイスティーを口にする。
リュカ達3人が話している間もデアンタはずっと無口無表情を貫き、気を使って話しかけてみたところで返ってくる返事は「はい」や「いいえ」といったものばかり。かといって感じが悪い、という印象を与えないのはある意味才能ではなかろうかとリュカは密かに思った。
「そういや姐さん達、契約の延長しないつもりなんだって?」
「まーねー」
ふと聞いた話を思い出し、尋ねた。アンジェ達は5人組のチームで、全員が2年前からこの城で働いていると聞く。元々は半年だけの契約だったらしいが、何度か契約の延長を行って、気付けば2年もこの城で働く事となった。だが今回は違う。
「物足りなくなった?」
何の含みも持たせずにリュカが軽く尋ねる。カーサは相変わらずのんびりと笑った。
「リュカちゃんもはっきり言うわねぇ」
否定をしないのが、その答えだった。傭兵ではなく、正式にこの国で働かないかとも誘われたらしい。だが、彼女達はそれを断った。
2年前は魔物の侵攻も頻繁にあったし、野盗の類いも多かった。まだ戦が多かったのだ。しかしここ最近ではそれも激減し、平和そのもの。相も変わらず人手不足ではあるが、それを埋めるのは彼女達でなければならない、なんて理由もない。そして何よりも彼女達は、平穏を退屈と感じる人種だ。
「ここでの仕事もあと少しってことね」
コーヒーを啜りながらアンジェは言った。それ以上は2人も何も言わないので、リュカも深くは尋ねない。
微かな沈黙のあと「リュカちゃんはどうするの?」と、カーサが尋ねてきた。
契約の延長をするのか、しないのか。その問いかけにリュカはあっさりと、しないよ、と首を横に振った。驚きはない。むしろ、やはり、と2人は笑った。
「あの男がいなきゃ、考えてもよかったけど」
リュカが苦々しくぼやく。
「あの男って、やっぱりギイ様のこと?」
アンジェが発したギイ様という単語に、今まで何の反応も示さなかったデアンタの眉が少し動いた。しかし、それはあまりにも微かな反応で、ギーレベルトへの恨み言に夢中のリュカが気付く事がなかった。




