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さらさらと、紙の上をペンが走る音が響く。大した量ではないが、基本的に事務処理は得意ではない。毎度の仕事ながら溜息を零したい気持ちを耐え、ザインは書類に目を通す。サインや不足事項があればその旨を書き足して書類を仕分けて行った。
傭兵をまとめる立場にあるが、ザイン自身は傭兵ではない。この国の人間だし、独立戦争でも目立った活躍している。ギーレベルトなどと違って騎士という立場にいないのは、そんな柄ではない、というただそれだけの理由だった。
とはいえ、それなりの立場であるザインだ。専用の執務室が存在するのだが、そちらにこもって作業することは滅多にない。もっぱらここ、傭兵達用の詰め所の一角を陣取って作業をしている。ここにいる限りあまり仕事が増えない──ような気がする──し、多少の雑音があった方が仕事がはかどるのだ。決して独りが寂しいわけではない。
だが残念なことに、またしても詰め所にはザイン以外だれもいなかった。皆で払っている。どこもかしこも人手が足りないのだ。傭兵達は毎日それなりに忙しく、各部署の手伝いを行っていた。
(正規の兵士はもちろん、傭兵ももう少し増やせればいいんだが…)
人事関係の書類をまとめながら、ザインは思う。採用の応募がないわけではないが、無条件に全員を雇い入れるわけにはいかない。城で働くという以上、実力はもちろん、ある程度の信用がなければ駄目だ。そういう意味で言えば、リュカは非常に良い物件だったと言えるだろう。ギルドに登録されている実績を見る限り、違反はないし、成績も良い。この若さで大したものだ、と素直に感心したものだ。
これで短期契約でなく、長期契約であれば文句無しであったのに、とザインは思う。
(残り1ヶ月とちょっと、か)
契約終了まで、まだそれだけの時間がある。期間の延長はもちろん可能だ。どうにか延長へ持って行けないだろうか、と頭を悩ませていると、静かだったこの部屋に、突然ドアの激しい開閉音が響いた。
何事かと、書類から視線を上げる。そこにはリュカの姿があった。ぜえぜえと肩で息をする彼女は少しだけ顔を青ざめさせていて、どこか涙目に見える。そんな様子のリュカを無視するわけにいかず、ザインは声をかけた。
「リュカ、どうしたんだ?」
声をかけられて驚いたのか、一瞬びくりと体を強張らせたリュカだったが、声の持ち主に気付くと「なんだ、ザインか…」と呟いて肩の力を抜いた。それから思い出したように目をつり上げると、ずかずかと乱暴な足取りでザインが作業していた机の前へとやってきた。そしてその勢いのまま、握りこぶしを作った両手で、ダン!と机の上を叩く。
「ザイン!」
「…なんだ?」
衝撃にグラグラと机が揺れた。書類に影響がなかった事を内心ほっとしながら、ザインはリュカを見上げる。
怒っているらしい事は分かるが、その怒りが自分に向けられる理由は分からない。とりあえずはリュカを落ち着けさせるのが先決だろうか、と考えていると、彼女は真剣な様子で言った。
「アンタ、あの男と仲がいいんだろ!? だったら、アイツをどうにかしてくれよ!」
「…は?」
思わず、間抜けた疑問の言葉が零れた。一生懸命な様子のリュカには悪いが、唐突すぎてさっぱり意味がわからない。
ザインは、とりあえず落ち着け、と促してから一つ一つ問いただして行くことに決めた。
「まず、あの男ってのは、誰の事だ?」
「金髪変態ナルシストストーカー野郎の事だ!」
間髪いれずに返ってきた答えは、答えになっていなかった。ぐっとこめかみを押さえ、脳内で該当しそうな人物の検索を行う。
「………、それはひょっとしてギイの事か?」
「他に誰がいるんだよ!」
後にも先にも、ギーレベルトをこんな風に称するのは、おそらく、リュカだけだろう。思わず吹き出しそうになり、ちょっと待ってくれ、と話を一旦中断させた。ザインはどうにか呼吸を整えると、悪いな、と簡単に謝罪、そして机の上の書類を片付けながら2つ目の疑問点を尋ねた。
「で、俺とギイが仲がいいっていうのは、どう言う意味だ?」
「どういう意味って、そのまんまだろ? 皆が言ってたぞ。建国前からの付き合いで二人は親友同士だとかなんとかって」
「…それは初耳だな」
本当に初耳だった。確かに付き合いは十年を越えるし、お互いの事情をいらない事まで知っている仲ではあるが、自分達は親友だとか、そんな薄ら寒い事を口にだして確認しあったことなど一度もない。
ザインの苦虫を噛潰したような顔に、リュカは首をかしげた。
「なんだ、仲悪いのか?」
「…いや、確かに悪くはない、が」
親友というよりも、どちらかと言えば悪友といった方がしっくりくるだろう。周囲にはそう思われていたらしい事を今更になって初めて知ったザインは軽くショック受けながらも、気を取り直して最後の疑問を口にした。
「あと、出来る出来ないは別にして、どうにかって、具体的にどうすりゃいいんだ?」
「オレの事を諦めるよう説得してくれ」
リュカはあくまでも真剣だった。真剣を通り越して、必死だった。
ザインとしてもその気持ち、分からないではなかった。
ギーレベルトによるリュカへの愛の告白から一週間、二人の攻防戦は今日まで毎日続いている。時間帯としてはギーレベルトが自由に動けるときに限定されるが、彼の一日のスケジュールを知らないリュカからとってすれば、神出鬼没にしか見えないのだろう。一方のギーレベルトはリュカのスケジュールを完全に把握している──一応断っておけば、その情報は決してザインが横流ししているわけではない──ので、ちょっかいを出し易いというわけだ。
(そりゃ神経もすり減ってくってもんか…)
日に日にやつれて行く彼女をみていると、流石に気の毒になってくる。どちらの味方をするつもりもなかったザインだが、せめてギーレベルトのスケジュールを横流しするくらいはしてやるべきか、とリュカのギーレベルトへの不満を聞きながら考えた。
「ほんっとにいつもいつもいつも…! 嫌がらせか! オレが何をしたっていうんだ!? 今日だって…!」
「なんだ、今日は何をされたんだ?」
「挨拶無視したら、無言で10分以上後を付け回された!」
「…」
何をされたのか気になって尋ねてみれば、どちらも大人げない。というか、幼稚である。そんな気持ちが思わず顔に出てしまったのであろう。だって、とリュカは続ける。
「挨拶を返したら返したで、すげえ喜んで、今日こそは私の想いを受け入れて下さる気になったのですね、とかいって迫ってくるんだぞ! だから無視したら、今度は無言で、だけど、笑顔で…! とにかくすげえ怖かったんだからな…!」
あまりの恐怖に思わず全力疾走で彼を振り切ってここまで帰ってきたらしい。想像するまでもないが、確かにそれは、恐ろしかったことだろう。
「…そいつは、お疲れさん」
「おうよ…」
覇気のない声が更に同情を誘う。
あの男、本当にリュカに好きになって貰いたい気持ちがあるのだろうか。ザインからすれば、これではまるで嫌われようとしている風にしか見えない。
(アイツの考ることは、昔からわからん)
分かろうとも思わないし、分かりたいとも思わないが、と更に内心で付け足した。
溜息を一つ零してから、ザインは改めてリュカをみた。
「それで、俺にギイを諦めるように説得して欲しいって話だが」
「それだ! なあ頼む。この通りだ!」
がばり、とリュカは勢い良く頭を下げる。ザインとて、鬼ではない。その様子に手助けをしてやりたい気持ちが芽生えないわけではなかったが、無理なものは無理なのだ。基本的に、あの男が他人の意見を素直に聞き入れるはずがないのだ。事、リュカに関しては特に。
「悪いが無理だ」
「なんで…!?」
悲鳴ともとれる程悲痛な声は、そこまで切実だったのか、と言う事を改めてザインに教える。まだ短い付き合いではあるが、彼女が人を選り好みする質ではなく、直ぐに誰とでも仲良くなれるタイプであることは分かっている。そんな彼女がここまで拒絶の意志を示しているのだ。
(本当に、嫌われたもんだなぁ)
ザインは苦笑するしかなくて、その意味を込めてリュカの後ろへと視線を向けた。
「本人にその気はサラサラないらしい」
「はい、いかなザインの言葉といえど、これは直ぐに心変わりする程、簡単な想いではないのです」
突如として響いたのは、ギーレベルトの声だった。
面白いぐらい一気に顔を青ざめさせたリュカは、油のきれた機械のようなぎこちない動作で後ろを振り返る。詰め所のドアから少し離れたところに、ギーレベルト本人がニコリと笑顔を浮かべて立っていた。
「ぎゃー!」
ギーレベルトの姿を認めるやいなや、色気もなにもあったものではない悲鳴を上げ、後ろに下がりすぎて腰を思い切り机にぶつけていた。その衝撃で、インクの入った容器が倒れる。書類を片付けておいてよかった、と、倒れて中身の零れた容器を元に戻しながらザインは密かに思った。
腰は相当強くぶつけていたようだったから痛かっただろうに。しかしそれを感じさせない素早い動きで、リュカはザインの後ろへ逃げかくれた。ザインを盾にしながら、リュカが叫ぶ。
「いつからそこにいたー!?」
「ザインに私を説得するよう頼んでいた辺りでしょうか。この男は私に気付いていましたよ」
ギーレベルトの律儀な回答に、リュカは裏切り者と書いてある目をザインに向ける。
「気付いてたなら言ってくれ…!」
「いや、悪い、タイミングがな」
詰め所への入室は誰だって可能だし、ノックも必要はない。入り口に背を向け、ヒートアップしていたリュカが静かにやってきたギーレベルトに気付かなかったのも無理はないし、それを教えなかったザインも悪くないとは言わない。が、黙って声をかけずにリュカを見つめていたこの男もこの男だ。
(こういう所が、ますます嫌われる原因か)
なんとなく分かったような気がしたのと、そんな二人に挟まれているという状況に、ザインはもう一度溜息を吐いた。




