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たったの3日である。
現実逃避に数えてみたが、すぐに終ってしまった。何せたったの3日なのである。いつもならば、例えば3日前の訓練の内容はなんであったか、などと聞かれても答えられはしないが、3日で忘れるには凶悪すぎる記憶だったのだ。
もうしばらく現実逃避を続けるため、それでは、とその3日の間に何度会話したかを数えてみた。が、しかしこれもまた直ぐに終ってしまった。初対面の時の挨拶を除けば、たったの一度きりだ。ザインに用事があったらしい彼が、直接詰め所へと顔を出した時に彼の不在を告げる為に交わした会話がそれだ。何故使いの人間を使わないのかだとか、どうして自分しかいないタイミングでやってくるのかだとか、色々なものに毒づいた記憶が甦る。
こうして思い返してみるまでもなく、彼とは出会ってからまだ3日であり、交わした会話は2回のみ。それなのにこの男、ギーレベルトは人通りの一番多い廊下でリュカを呼び止めると、膝をついてこう宣った。
「リュカ、貴方の事が好きです。愛しています。どうか私と付き合って下さい」
切な気に細められた目元、乞うような響きを滲ませる口調。その告白は飾り気のないストレートな言葉だけに、意味のはき違えようがなかった。
呼び止められて嫌々振り返ったリュカは、この時ばかりは嫌悪感を忘れて、ぽかんと間抜けな顔でギーレベルトの綺麗な相貌を見下ろした。
どこからともなく悲鳴があがる。誰かが倒れるような音もした。しかしそれら全ては、リュカの認識の外の話だった。
(っていうか何この状況。おかしいだろ? この3日間のどこに好かれる要素があったんだ?)
我ながら、思い返してみれば酷いとしか言えない態度である。ギーレベルトが何をしたと言うわけでもないのに、あれほどあからさまに嫌悪の滲む態度をとられれば、普通は気を悪くして当然だろう。少なくともリュカはそうだ。間違っても好きだなんて単語は、出てこない。それなのに、
「どうかこの手を取っては頂けませんか…?」
その言葉に嘘や冗談はない。懇願するような真摯な視線を向けたまま、ギーレベルトはリュカに右手を差し出した。
ギーレベルトの醸し出す、まるで神聖な儀式でも執り行われているような荘厳な雰囲気はここが単なる城の廊下であり、周囲には沢山の人の目がある事を忘れさせる。普通の人間であればその雰囲気にのまれ、思わずその手を取ってしまいそうになるところだが、相手はギーレベルトを毛嫌いしているリュカだ。素直にその手を取るわけがなかった。
「ちょ、待て。待ってくれ」
こうして、この状況を理解したくなくて現実逃避をしていたリュカは、片手で痛むこめかみを押さえ、もう片手でギーレベルトに対し制止するポーズを取る。するとギーレベルトは素直に「はい」と頷いて、一度上げた手を下ろした。とはいえ、片膝はついたままである。頼むから普通にしてくれ、と言ってみたがそちらはやんわりと拒否された。
じりじりと後ずさりながらリュカは言う。
「オレ達、まだ会ってから3日だよな?」
「ええ、そうですね」
「そこからしておかしいだろ!?」
叫んだリュカに向かって、ギーレベルトは首を軽くかしげた。何がおかしいのか分からない、と、その顔にはっきりと書いてある。
「愛し合う2人の前に、その時間の長さなど、無意味でしょう?」
「誰と誰が愛し合うって!?」
あり得ない想像をして、リュカは引きつった声を上げる。
「つーか、我ながら分かり易すぎて申し訳ない位だけど! どう見てもオレ、アンタの事嫌ってるよな!?」
鳥肌の収まらない両腕をさすりながらリュカが更に後ずさる。そうして徐々に2人の距離が開きつつある事に気付いたギーレベルトは、思わず見とれてしまうような──もちろんリュカを除いて、だ──無駄の無い動作で立ち上がると、開いた距離を縮めるよう確実に彼女に迫った。
「嫌よ嫌よも好きのうち、という言葉がありまして」
「この状況でその解釈は、頭がおめでた過ぎるわ!」
思わずびしっと人差し指を突きつけながら大きく一歩足を下げた途端、がくん、と体のバランスが崩れるのを感じた。
リュカが咄嗟に後ろを見やれば、廊下と廊下の境目のそこにちょっとした階段があった。どうやら足を踏み外してしまったらしい。己の間抜けさに舌打ちしたくなる。
高さは5段程度の段差だ。体勢を立て直す事は無理そうだが、頭さえ庇えば転けてしまったところで大した事はないだろうと咄嗟に判断して受け身を取ろうとした直前、ふわりと何かがリュカの体を支えた。
「…大丈夫、ですか?」
いつの間にあの距離を詰めたのか。目の前にギーレベルトの顔をがある。どこまでも澄んだ蒼い瞳の中に、引きつる自分の顔が映っていた。咄嗟の事態で頭の中が真っ白になってしまったリュカに構わず、彼は語りかける。
「こんな風に、貴方の全てを守りたい。貴方を愛しています。愛してしまったのです」
ギーレベルトは一度言葉を切る。それから、いつ間に捕われたのだろう、突きつけたはずのリュカの右手を彼がそっと掴んで告げる。
「どうかこの想いを、受け入れて欲しい」
そしてギーレベルトはリュカの手を口元へともってくると、音も立てずその甲に口づけた。
「──ッ!」
先日、握手した時とは比較にもならない。毒を流し込まれる方がまだマシだと思えるようなその感触に、一気に目が覚めたリュカは全身の気を逆立てた。
「離せ!」
体勢も忘れ、暴れるリュカをギーレベルトが安全な位置に下ろす。
リュカは直ぐさま忌々しいとばかりに思い切りギーレベルトの体を突き飛ばすと
「アンタと付き合うなんざ、御免被る!!」
真っ青な顔をして言うや否や、脇目もふらずにその場を走り去った。その直後に「ニノ先生消毒ー!」というドップラー効果を伴ったリュカの叫びが城に響き渡る。ちなみにニノとは、この城付きの軍医の名だ。
一方、リュカの渾身の力に突き飛ばされて多少のたたらを踏んだものの、大したダメージを受けなかったギーレベルトはただ黙ってその後ろ姿を見送っていた。
流石にショックだったのか肩を落としているように見える。ひそひそと囁くように聞こえてくる声は、お労しいギイ様だとか、あのリュカとか言う奴は何様なのだとか、ギーレベルトを労る声とリュカを非難する声が半々だ。皆が殺気立ち、非常に宜しくない空気が一帯を支配する。
と、そこでギーレベルトは唐突に皆の方へと振り帰った。誰が一番に慰めの言葉をかけるか、と互いを牽制しあっていた一同が見たのは、爽やかな笑みを浮かべたギーレベルトの姿だった。見る人がみれば、その笑みの中に恍惚としたものが微かに紛れていたのに気付くだろう表情には、傷ついた様子は欠片もない。
「あ、あの…、ギーレベルト様?」
一部始終を見ていた兵の一人が恐る恐る声をかける。兵に気付いたギーレベルトは、彼に向かって「可愛らしい人だろう?」と微笑みかけた。いくら同性であり、どうにか見慣れてきた顔といっても、この笑顔は反則だ。少しばかり顔を赤らめた兵士は要領を得ず「は…?」と聞き返す。
しかしそれには答えず、ギーレベルトはもう一度微笑んだあとでその場にいた全員に告げた。
「ありえない!」
両手に握りこぶしを作って勢い良く机に叩き付けたリュカは、そのままわっと顔を伏せた。
あの後ニノのいる医務室へと詰めかけたリュカは、お茶を一杯進められた後に体よく追い出され、しぶしぶと詰め所へと向かった。何とも早い事に、噂は既に城中に広まったらしく、ひそひそと囁く声と視線が彼女に突き刺さった。だが、それ位ならまだいい。ニノの元で冷静になったリュカはある程度の嫌がらせを受けるだろう覚悟を決めていたからだ。
この3日間でギーレベルトの人気は嫌という程思い知らされている。殺されないように気をつけねばいけないかも、と思っていただけに、むしろ陰口を囁かれるだけで済んで拍子抜けした位だ。
しかしその理由は、詰め所に戻ってから直ぐに判明するところとなった。
待っていましたとばかりにリュカに詰め寄った傭兵仲間がした話によると、リュカが立ち去った後でギーレベルトはその場にいた一同に向かって切々と語ったらしい。何の話か。もちろん、リュカの話である。
ギーレベルトは如何にリュカを大切に思っているかを語り、そして最後には、どうか自分たちの事を暖かく見守って欲しいとまで宣ったそうだ。これでギーレベルトの信者達は、リュカに手出しができなくなったというわけである。
これに対して何が一番衝撃だったかと言えば、あれほど手ひどく振ったにも関わらず、ギーレベルトがリュカを諦めるつもりが微塵もないということだ。どうやってあのギーレベルトの心を射止めたのかと聞かれれば、こちらが聞きたい位だと涙目になって怒鳴り返した。
「何が不満なんだよ。あんなイイ男、他にいないぞ?」
「不満とかじゃなくて、生理的に受け付けないんだよ! 見ろ、まだ鳥肌が治まらない!」
その内蕁麻疹でも出てくるのでは、と本気で心配するリュカの意見は黙殺された。
その後も好き勝手言ったあげくに、これで少しは女らしくなれるのでは、と無責任な事を言いまくる連中に向かって
「ふ、ざ、け、ん、なー!」
リュカの怒声が木霊した。




