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甘く、艶のある声とはこういう声の事を言うのだろう。
「初めまして。貴方がリュカさん、ですか?」
ギーレベルト・ル・エンデ。
そう名乗った男は、金髪に碧眼という、これだけならばありふれた組み合わせの容姿をしていた。しかしその造形はありふれるどころの話ではない、異常と言って差し支えのない程の美しさだった。
まず目につくのが引き込まれそうな程深く青く澄んだ瞳。以前の旅で「カリア海の青」を直に見た際に、世界で一番美しい青色と聞いた時は素直に納得したものだが、その青もこの色の前にはくすんで見える。涼し気な目元にすっと通った鼻筋と微かに微笑む口元。顔を象るパーツのどれをとってしても文句の付け様がないどころか、どれ程巧妙に計算したとしても再現できるものではない絶妙なバランスで彼の顔を形成している。
そしてこの金色の髪。近くでみればますます見事としか言いようがないプラチナブロンドは、灯りの少ない室内でも輝いてみえた。少しだけウェーブのかかった髪質は彼の甘さを引きたて、かといってその雰囲気が単なる美しく優し気な男で終らないのは、彼が纏う騎士としての矜持か。
とにかくこのギーレベルトという男は人並みなずれた見目麗しい容姿をしていた。
普通なら目が離せなくなる美しさ。だというのに、どうにも先ほどからリュカは、引き込まれるどころか目を逸らしたくて仕方がなかった。とりあえず座ったままなのもどうかと思い、立ち上がって体をギーレベルトに向ける。
「こちらこそ、初めまして。リュカだ。家名は、ない」
いつもなら堂々と名乗るリュカなのだが、今日はらしくもなく腰が引け、しかも口調もしどろもどろだ。てっきりギーレベルトに見惚れてそうなったのかと思ったザインだったが、それにしてはリュカの顔は青ざめている。
それが何故か分からなくて困惑しているのは、リュカ本人だ。先ほどから全身に鳥肌が立ち、大量の冷や汗がとまらないのを誤摩化すようにひきつった笑顔を浮かべる。
「宜しくお願いします」
ギーレベルトは身分で言えば自分なんかよりも数段上であろうくせに、妙に丁寧な物腰で右手を差し出してくる。それが握手を求める手であるのは直ぐに分かったが、どうしても、直ぐに返す手を差し出す事ができなかった。
(これに、触るのか)
無意識下の暴言は心の内のみにとどまり、ごくりと唾を飲み込んだ。
「リュカ?」
と、ザインが怪訝そうな声を上げる。その言葉に思わず、と言ったように慌てて右手を差し出せば、普通に交わされる握手。向こうは向こうで手袋をしていたし、リュカはリュカでグローブをはめていた。にも関わらず、触れた部分が激しい悪寒と堪え難い不快感を起こし──。
「わぁあ!」
情けない悲鳴を上げ、思わず振り払うようにその手を離してしまった。
周囲の人間による、嫉妬と羨望が入り乱れた視線とざわめきの中行われていた挨拶は、リュカのこの態度のせいで波をうったようにシンと静まり返る。それはどう好意的に解釈しようとしても、気持ち悪いものに触ってしまった、という風にしか見えなかった。
状況を理解しきれていない唖然とした視線がリュカに突き刺さる。リュカのこの態度の被害者といっていいギーレベルトも驚いたようにこちらを見ていて、非常に居たたまれない。
「わ、悪い…!」
青ざめていた顔を更に青くしてリュカは謝ると、その返事を聞く事もなく背を向け、食べかけの食事の片付けを始めた。手を動かす傍ら、同様に驚いているハルとザインに顔を向ける。
「えと、ハルとザインも、ごめん! オレ、ちょっと、その、忙しいんだ、また後でな!」
そして言うが早いか、リュカは片付けた食器を手にその場を後ずさり、近くにあった食器の返却棚にそれを置くと、逃げるようにその場を後にした。
「…はっ、ちょっと、リュカ!? どうしたのよ、ねぇ!?」
ハルが後ろから声をかけてきていたのはもちろん聞こえていたが、それを無視してでも、早急にギーレベルトのいない所へ行きたかったのだ。
どうしてかはわからない。
ただわかるのは、ギーレベルトという男の全てが嫌悪感を催すという事実だけだった。
その後、どうにか落ち着きを取り戻したリュカは、いつものように城の警備にあたったり、一般兵に混ざって訓練に参加したり──ギーレベルトの存在を心配したが、彼程の地位になると訓練には滅多に参加せず、デスクワークをしている事の方が多いらしい──と、特に変わった事もなく過ごした。ただ、中途半端に食事を終えたせいでいつもよりも空腹感を覚えたが、こちらは自業自得だろう。
時折できる暇な時間には、ギーレベルトへのあれはなんだったのだろう、と思い出してみるも鳥肌しか立たない自分に気付き、深く考えるのをやめた。どうせ自分には関わりのない人物だと、そう思っていたからだ。
そうしてつつがなくその日の業務を終えたリュカは、下宿先に帰る前に詰め所へと寄った。預けていた荷物を取りに行くためだ。
詰め所の門をくぐると、そこには机に向かうザインがいる以外に他に人影はなかった。リュカは昼間の出来事を思い出し、ばつの悪い顔をする。
「お疲れさん」
リュカに気付いたザインがいつも通りの挨拶をした事に少しほっとして「そっちもお疲れ」と返し、荷物を預けていたロッカーに向かった。晩ご飯は何を食べるか。帰る前にまた食堂にでも寄るか、なんて考え事をしていると、ガタン、と椅子を引く音がした。
「リュカ、夕食は?」
声をかけられ振り返る。ザインがこちらを見ていた。リュカは後ろ手てロッカーを閉めると、首をかしげた。
「まだだけど」
「良し、奢ってやるから付き合え」
奢りという言葉に反応したリュカは喜色を浮かべて頷いた。ザインの奢りなら高い酒も飲めるだろう。何を頼んでやろうかと目論んでいると、それが顔にでていたのか、少しは遠慮しろとザインは半分呆れたように苦笑していた。
既に帰宅準備の出来たリュカは、まだ準備の終っていないザインをせかし、揃って詰め所を後にした。途中、他の皆は、と聞けば一足先に帰ったりだとか、既に夜勤に出向いた後だったということだ。
それで、と尋ねたのはリュカだった。ザインは何がと聞き返す。
「オレ一人に奢りって、どういう風の吹き回し?」
あの部隊には皆で騒ぐ方が好きな連中が多い。ザインもどちらかと言えばその中に含まれる。奢りにせよそうでないにせよ、もっと大人数で、そして派手に盛り上がるのが常なのだが、今回はそのどちらでもない。
そんな意味合いが含まれたリュカの言葉に、ザインは少しだけ哀れむような目を彼女に向けた。
「ああ、それはギイに──…ってお前、そんな分かりやすい顔をするな。安心しろ、奴は来ねぇよ」
どうやらリュカは思い切りしかめっ面を晒していたようだ。指摘されてから、眉間に皺が寄っていた事に気付く。リュカは慌てて「何の事?」と取り繕ったものの、それに意味はなかった。
リュカよりも頭一つ分高いザインが、今度こそはっきりと哀れむようにリュカを見下ろして、ぽん、と簡単に頭を撫でる。
「まぁ、そのうち分かるだろ。とにかく今日のは、俺からの景気付けだ」
「…はい?」
全く意味の分からないリュカは疑問の声を上げたが、ザインはあまり多くを語ろうとしなかった。ただ、酒の席で意味深に
「運が悪かったと思って、諦めろ」
と、そんな事を言うのであった。
ザインの言った内容をリュカが理解できたのは、それから3日後の事だった。
そしてこれは、その3日間のどこかでなされた会話である。
「やはり間違いないようだったよ」
とある会員制の店のVIP室、全ての秘密が約束された場所でギーレベルトは笑った。人の笑顔というのは、ここまで美しくなるらしい。滅多に見る事のない改心の笑みに、ザインは御愁傷様、と、心の中でリュカを哀れむ。
「…だろうな」
「不満か?」
「そりゃあそうだろ。あいつは、文句無しに腕っ節のたつ可愛い部下だぞ」
あっさりと頷いてみせたザインに、ギーレベルトの余裕の表情は崩れない。それどころか、ますます笑みを深めただけだ。それに構わず、ザインは続ける。
「前に言ったよな? 愛はあるのか、って聞いたらはっきりないって」
「お互い、なんとも青臭い台詞だったと思わないか?」
「ああ、穴掘って埋まりたくなる」
先日、リュカと飲んだ酒とは比べ物にならない程高い酒を一気にあおって顔をしかめた。嫌な事を思い出した。これではせっかくのうまい酒が台無しだ。
「とにかく、だ。俺は、この件に関してこれ以上首をつっこむつもりはないからな」
言い切ったザインに、ギーレベルトは漸くくだけたように笑った。
「可愛い部下を見捨てるのか?」
「お前相手じゃ分が悪すぎる」
「彼女も可哀想に」
「だから、お前が言うなって」
深夜の密約。
当事者に知られる事無く進む事態。
被害者は、ひとり。




