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憧れのカリスマが怖い人だと思っていたのに、実は私よりビビりだった件  作者: エティルク・ラ・ハオン/Etilk.Ra.Haon
第一章:春の秘密

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第3話:苦手なものリスト

 「他にも、ちょっと」と言ったきり、白石くんは黙ってしまった。


 視線が、机の上の参考書に落ちている。

 ページをめくる気配はない。


 急かすのも悪いな、と思って、私もしばらく黙っていた。

 窓の外で、また電車の音がした。


「……暗いところも、ちょっと苦手で」


 ぽつり、と白石くんが言った。


「暗いところ?」


「うん。暗くて、静かな場所。あと……お化けとか、そういうのも」


 お化け。

 あの白石悠星くんが、お化けが苦手。

 私は一瞬だけ固まってから、「そっか」と短く返した。


 ホラーじゃなくて、お化けって言うところが可愛い。

 笑ってはいけない。ぜったいに笑ってはいけない。


「他には?」


「……驚かされるのも、ちょっと」


「驚かされるの?」


「急に大きな音とか、後ろから声をかけられるとか。そういうの」


 あ。

 それ、わかる。

 ものすごく、わかる。


「……私も、それ苦手」


 白石くんが、少し顔を上げた。


「驚かされるの?」


「うん。美術部の同期が、よく廊下から顔を出して脅かしてくるんだけど……毎回びっくりする。全然慣れない」


「……それは、慣れないと思う」


 白石くんが、珍しく即答した。

 しかも妙に真剣な顔で。

 思わず目が合って、二人で少しの間、お互いの顔を見た。


 それから、同時に少しだけ笑った。


「虫と、暗いところと、驚かされるの。他にもある?」


 確認するように聞いたら、白石くんは少し考えてから、


「……だいたい、その三つ」


 と答えた。


「だいたい、ね」


「だいたい、です」


 また敬語になった。

 なんで敬語になるんだろう、この人は。

 でも今回は突っ込む間もなく、私は自分のことを思い返していた。


 虫。暗いところ。驚かされること。

 ……全部、私も苦手だ。

 というか、全部かぶってる。

 一個も克服できていない。


「あの、白石くん」


「うん」


「私も、その三つ、全部苦手なんだけど」


 白石くんが、目を丸くした。


「虫って、こっちに向かってくるやつが一番怖くない?」


 気づいたら、口をついて出ていた。

 白石くんが、びくっとしたように顔を上げた。


「……わかる」


「トンボとかが、ふらふら飛んでて、急にスーッてこっちに向かってきたことがあるんだけど。あれがもう」


「ゆっくりなのが余計に怖い」


「そう! 早かったらまだマシなんだけど。いや、それも怖いけど!」


「……なんで向かってくるの、あいつら」


 あいつら、と言った。

 トンボに「あいつら」と言った。

 昨日、ゴキブリに「あいつ」と言っていたのを思い出した。

 この人、虫に人格を感じる派らしい。


「ホラー系も、ゲームとか全然できなくて」


「僕も。ゲーム実況を見ようとしたら、怖い場面で動画を閉じた」


「わかる!! 私もそれやる!」


「……一回も敵に会わないまま閉じた」


「出会い頭で閉じてるじゃん!」


 思わず声が大きくなってしまって、慌てて口を押さえた。

 はっ、と自分の声の大きさに気づく。

 放課後の誰もいない教室に、二人の声が響いた。


 斜めに差し込む光の中で、白石くんが少し目を細めてこちらを見ている。

 さっきまでの完璧な横顔ではなく、どこかほぐれた、そういう顔。


 なんとなく、さっきより顔が近い気がした。


 気のせいだと思う。

 ……たぶん、ね。


 それから、白石くんがかすかに眉を寄せて、


「……修業、できる?」


「……やってみないとわからない」


 二人で少しの間、黙った。

 なんとも言えない沈黙だった。

 頼もしい共犯者のはずが、二人してビビりだった。

 その事実が、今さらながらじわじわと染みてくる。


 ビビりの克服を、ビビりが手伝う。

 なんというか、盲導犬が盲導犬に道案内してもらうような状況だ。

 ……。

 我ながら、合ってるのかよく分からない例えをしてしまった。

 ……大丈夫か、私たち。


 白石くんが、小さく息をついた。


「……まあ、二人でビビりながらやれば、なんとかなるかもしれない」


「……そうだね。たぶん」


「たぶん、ね」


 今度は白石くんが繰り返した。

 私が言った言葉を、そのままの温度で。

 なんとなく、それがおかしくて、また少しだけ笑ってしまった。


「それで、修業の進め方なんだけど」


 白石くんが、少し姿勢を正した。

 さっきまでの、どこかぎこちない空気が、すっと切り替わった。


「まず虫から始めて、段階的にやっていこうと思ってる。一気にやろうとしても、たぶん無理だから」


「うん、そうだね」


「場所は、人目のない場所がいい。校舎裏とか、放課後の公園とか」


「秘密厳守で」


「そう。それが大前提」


 白石くんの声は、いつもより少しだけ真剣だった。

 完璧なカリスマが虫にビビっているところを誰かに見られたら、それはそれで大変なことになる。

 私にはわかる。ものすごくわかる。


「時間は、放課後がいいと思う。最近は日も長くなっているし。私は部活があるから、終わってから」


「それで構わないよ。僕は生徒会があるけど、終わったら合流できる」


「じゃあ、お互い終わったら連絡するってことで」


「うん」


 決まっていく。

 ちゃんと、具体的に、決まっていく。

 昨日の朝まで、白石くんとこんなに話すことになるとは思っていなかった。

 一週間前の私に教えたら、たぶん信じないと思う。

 「白石くんと秘密の修業をすることになった」って言ったら、「誰?」って返されそうだ。

 いや、「白石くん」はわかるけど、イコールで結びつかないだろう。

 「秘密の修業」の部分でも二度見されるか。


 白石くんが、少しだけ間を置いてから、


「……よろしく」


 と、短く言った。

 視線は、机の上に落ちたまま。


「うん。よろしく」


 私も、短く返した。

 なんとなく、正面から目を合わせるのが照れくさかった。

 なんでだろう。

 ……なんでだろう?


 教室を出たのは、それからしばらく後のことだった。


「じゃあ、また明日」


「うん。また明日」


 白石くんは席を立たなかった。

 参考書を開き直して、まだ残るつもりらしい。

 いつもの習慣なのだろう。

 一昨日もそうだったように。


 私は鞄を持って、教室の扉に手をかけた。

 振り返ると、白石くんはもう参考書に視線を落としていた。

 完璧な横顔。いつも通りの、涼しい顔。


 ……さっきまで「たぶん、です」って敬語になってた人と、同一人物とは思えない。

 あの完璧な仮面、いったいどこに収納されているんだろう。

 特注の収納スペースでもあるのかな、白石くんの中に。


 カタン。


 私は小さく息をついて、扉を閉めた。


 廊下は夕方の光に染まっていて、窓の外の空がオレンジから紫に変わりかけていた。

 昨日の部活帰りに見た空と、同じ色だ。

 でも昨日とは、なにかが違う気がした。


 これ、本当にできるのかな。

 虫の写真を見て、暗いところに入って、びっくり系も克服して。

 私、ビビりのくせに、ビビりの人の修業の手伝いをするって、どういうことなんだろう。

 冷静に考えると、なかなかに無謀な気がする。


 でも。


 ……でも、なぜか嫌じゃなかった。

 不思議と。


 白石くんの「よろしく」という声が、まだ耳の中に残っていた。

 視線を落としたまま、短く、でも確かに言った、あの声。


 ……なんでだろう。

 また、「なんでだろう」だ。

 最近、なんでだろうが多い気がする。

 このペースでいくと、そのうち「なんでだろう」だけで一日が終わりそうだ――私の語彙、大丈夫か。


 夕暮れの風が、少し冷たかった。

 でも、悪くなかった。


 私は少し早足になって、夕暮れの道を歩いた。

最後までお読みいただきありがとうございます!

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