第17話:暗闇が怖い理由
暗闇修業は、難しかった。
あの日――カーテンを閉めて電気を消してみたものの、夕方の光が漏れ込んでくるだけで、全然怖くなかった。
怖くない、というより、なんか微妙に薄暗いだけで、二人でぼんやり話していたら逆に居心地よくなってしまうという。
あれは、修業とは呼べなかった。
そして今日の放課後。
六月の教室は、少し蒸し暑かった。
窓の外は曇っていて、薄い光が斜めに差し込んでいた。
チョークの粉と、どこかから漂う雨上がりの匂いが混ざった空気の中、白石くんと向かい合って、互いに少しの間考え込んでいた。
「……暗闇修業、どうしようか」
私が言うと、白石くんが「そうだね」と返した。
それだけで、二人の方針が一致した。
この修業、根本から立て直す必要がある。
「まず、なんで暗闇が怖いのか、ちゃんと調べてみようか」
言いながら、スマホを取り出した。
白石くんも少し体を寄せて、画面を覗き込む体勢になった。
制服の袖が、少し視界に入った。
……いつの間に、こういう距離感が普通になったんだろう。
そう思いながらも、特に何も言わなかった。
普通だ。
修業仲間なんだから、スマホを一緒に見るくらい普通だ。
検索する。
「暗闇 怖い 理由」
検索ボタンを押した。
最初に出てきた記事を開いた。
読み進めるうちに、なるほど、と思い始めた。
暗闇では視覚情報がなくなるため、聴覚・触覚・嗅覚が普段より鋭敏になる。
人間の脳は暗闇を「危険信号」として処理する本能がある。
だから怖いのは、異常ではなく、むしろ正常な反応だ。
「……なるほど」
白石くんが、静かに言った。
いつもの涼しい顔のまま、でも目線はちゃんと画面を読んでいた。
「だから怖いのは正常な反応なんだ」
私が言うと、白石くんが小さく頷いた。
なんか、それだけでちょっと気が楽になった。
怖いのは変なことじゃなかった。
脳が正しく仕事をしているだけだった。
虫の時も、最初に虫を知ることから始めた。
知ることで、少し落ち着けた。
今回もそれと同じだ。
「ちゃんと調べてよかったかも」
思ったことを、そのまま言った。
白石くんが「まあ、ね」と返した。
少しだけ、口の端が上がった気がした。
続きを読む。
するとページの途中で、聞き慣れない単語が出てきた。
ニクトフォビア。
……なんか強そうな名前だ。
「……なにこれ」
「暗所恐怖症、らしい」
白石くんが、画面を指さしながら言った。
読む。
暗闇や暗い場所に対して、強い恐怖を感じる状態。
日常生活に支障をきたすほどの症状が出る場合に、そう呼ばれるらしい。
「病名、あるんだ」
思わず声に出た。
白石くんも「そうみたいだね」と返した。
二人して、少しの間、画面を見つめた。
そういう名前がついているんだ、と思った。
きっと、日常の中でそれが怖くてたまらない人もいるんだろうな、とぼんやり思った。
私たちの場合は、日常生活に支障が出るほどではない。
ただなんか、暗闇の中に何かがいそうな気がして落ち着かないとか。
感覚が鋭敏になる感じが嫌だとか。
そのくらいだ。
「……でも私たちは、日常生活に支障が出るほどじゃないよね、たぶん」
私が言うと、白石くんも軽く苦笑いした。
「まあ、そうだね。何かがいそうな感じが嫌なだけで」
二人で、少し笑った。
それを確認し合って、なんとなく、また連帯感みたいなものが生まれた気がした。
ビビりどうし。
でも、ビビりなりに、ちゃんと向き合おうとしている。
……我ながら、この修業仲間、悪くないな。
続きを読んだ。
治療法のページに飛ぶと、こんなことが書いてあった。
段階的に暗闇に慣れる。
誰かと一緒に行う方が効果的。
「……あれ」
思わず声が出た。
「なに?」
「これ、前回の修業の方針と同じじゃん」
白石くんが画面を見て、少し考えてから、
「……理にかなってたんだね」
と言った。
なんか、それがすごく嬉しかった。
なんとなく提案した方針が、ちゃんと正しかった。
めいの修業哲学、間違ってなかった。
……いや、哲学って大げさか。
でも、まあ。
「じゃあ、方針はそのままで。問題は場所だよね」
私は続けた。
「学校の教室だと、カーテン閉めても光が漏れてきちゃうから、全然暗くならないんだよね」
「そうだね」
「この時期に、陽が落ちるまで残ると遅くなっちゃうし……」
白石くんが頷く。
学校の教室では真っ暗にならないことは、あの日に証明済みだ。
夕方の光が漏れ込んで、薄暗いだけで終わった。
「もっとちゃんと暗くできる場所じゃないと、修業にならない」
「同意」
二人して、少しの間、考え込んだ。
放課後に使える、ちゃんと暗くできる場所。
人目につかない場所。
秘密を守れる場所。
……あ。
一つ、思い浮かんだ。
思い浮かんだ瞬間、口が動いていた。
「……私の部屋とか、ど」
そこで、止まった。
え。
待って。
今、私、何を言いかけた?
脳が一拍遅れて、さっき自分が言いかけた言葉の意味を処理した。
私の部屋。
つまり、私の家。
つまり、白石くんを家に呼ぶ、ということ。
つまり、白石くんが私の部屋に来る、ということ。
……え???
顔が、一気に熱くなった。
なんで言いかけたんだろう。
いや、わかる。
確かに部屋を暗くすることはできるし、秘密も守れるし、修業の場所としては理にかなっている。
頭ではわかる。
でも。
でも、でも、でも。
「……どうかした?」
白石くんが、静かに聞いてきた。
涼しい顔で、こちらを見ていた。
その目が、少し細くなっている気がした。
「な、なんでもない! ちょっと待って、考えてる」
そう言って、視線を机の上に落とした。
スマホの画面が、手の中で少し滑った。
顔が熱いのが、自分でわかった。
……これ、続きを言うべき?
言うべき、なんだろうけど。
深呼吸した。
落ち着け、私。
これは修業だ。
修業の場所を探しているだけだ。
別に、遊びに来てもらうとか、そういう話じゃない。
暗くできて、人目につかなくて、秘密が守れる場所。
条件を満たしているのは、確かだ。
……うん。
修業仲間として、提案するだけだ。
おかしくない。
全然おかしくない。
うん、おかしくない。
……三回言ったから、大丈夫。
「……えっと」
意を決して、続きを言った。
「私の部屋、カーテン閉めたら結構暗くなるんだけど。修業の場所として、どうかな」
なるべく平静を装って言った。
我ながら、声が少し上ずっていた気がした。
白石くんが、少し間を置いた。
何かを考えているような間だった。
「……いいの?」
いつもより、少し低い声だった。
「修業のためなら、まあ」
またしれっと言えた気がした。
でも顔はまだ、たぶん少し赤かった。
白石くんが、小さく「ありがとう」と言った。
それだけ言って、また前を向いた。
その横顔が、なんか、いつもより少し柔らかい気がした。
……気のせい、だと思う。
***
帰り道、一人になってから、ずっとそのことを考えていた。
修業の場所を提案しただけなのに、なんでこんなに心臓がうるさいんだろう。
……断じて、そういうことじゃないから。
……たぶん。
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