第16話:席替えと、新しい距離
中間テストが終わってから数日後、ホームルームで席替えが発表された。
教室の空気が、ふわっと変わった。
「やった」「え、嫌だな」「絶対窓側がいい」という声があちこちから上がって、浮き足立った感じになった。
……席替え、か。
私は特に「ここがいい」という希望があるわけじゃない。
今の席が嫌いなわけでもないし、強いこだわりもない。
ただ、前の席だった人と少し話しやすくなってきたところだったのを、また一から、というのは少しだけ面倒だな、とは思った。
まあ、でも。
席替えは席替えだ。
くじを引けば決まる。それだけのことだ。
くじ引きが始まった。
一枚ずつ、順番に引いていく。
私の番が来た。
折りたたまれた紙を一枚取って、開いた。
……窓側の一番後ろ。
思わず、もう一回見た。
やっぱり窓側の一番後ろだった。
……いわゆる、主人公席というやつだ。
お、おう……。
ちょっと感動だ。
記憶にある限り、私は主人公席になったことはない。
よし、決めた。
私、授業中外を見ながら、あの雲おいしそうだな、って黄昏れるんだ!
***
一通りの席替え先が決まった。
すぐに授業が始まるので、移動は昼休みに行うことになった。
そして、昼休み。
席を移動しながら、周りを確認した。
隣の席を見て、誰が来るのかを確認していたら、渡辺くんが向かってくるのが見えた。
「渡辺くん、また席近いね。よろしく」
思ったより自然に言葉が出た。
「おう」
渡辺くんが、そっけなく一言だけ返した。
でも、私はわかっている。
これが渡辺くんのデフォルトだ。
口数が少なくて、ちょっとマイルドヤンキー味があるけど、私には「よろしくな」と聞こえた。
うんうん、と私が頷いていると、渡辺くんはちょっと怪訝そうな顔をした。
まあ、いい。
それより。
前の席を確認した。
確認して、少しの間、固まった。
「あ、吉野さん。よろしくね」
白石くんだった。
席を移動してくる白石くんが、私の真ん前の椅子を引いた。
そのまま、すっと座った。
いつも通りの涼しい顔で。
私の視界の真ん中に、白石くんの後ろ姿が収まった。
まっすぐな背中。
制服の肩のライン。
少し顔が前を向いている、横顔のシルエット。
……これ、授業中ずっとこれが視界に入るやつじゃん。
雲を見て黄昏れる予定は、どこかへ消えた。
「日向も、よろしく」
「おう」
「べ、別に、お前と席が近いからって、嬉しくなんか無いんだからな」、と渡辺くんを脳内アテレコする余裕なんて、私にはなかった。
***
午後の授業が始まった。
六月の教室は、少し蒸し暑かった。
チョークの粉と、窓の外から漂う雨上がりの匂いが混ざって、なんとなく眠くなるような空気だった。
先生の声が聞こえていた。
黒板に文字が書かれていた。
たぶん、ちゃんと授業は進んでいた。
でも、なんとなく、視線が前に向いてしまう。
白石くんの後ろ姿が、視界に入る。
ノートを取っている。
シャープペンを動かす手が、少し見える。
首の後ろが、少し見える。
……気になっちゃうじゃん。
いや、別に。
ただ、前に人がいるから視界に入るだけだ。
誰が座っていても同じだ。
……同じ、だよね?
先生の声に集中しようとした。
三回くらい試みた。
三回とも、気づいたら白石くんの後ろ姿を見ていた。
しかも、これ、クラスのみんながいる場所で、だ。
修業の時は二人きりだから、見ても別にいい。
でも授業中は、周りに人がいる。
誰かに見られていたら、なんか変に思われないだろうか。
……これ、大丈夫かな。
***
いつもの放課後が来た。
でも、いつもとは違う席に座る。
二人とも、新しい自分の席に座った。
いつもとは逆で、白石くんが前、私が後ろの形だ。
なんか、変な感じだった。
修業の時は、いつも私が正面から白石くんを見ていたから。
改めて考えると、白石くんの後ろ姿を、こんなに近くで見るのは初めてかもしれない。
振り返った白石くんが、「改めて、よろしく」と一言だけ言った。
突然の声掛けに、私はびっくりしてしまった。
「よ、よろしくお願いします」
なんで敬語になったんだろう。
自分でも思った。
白石くんが、少し目を細めた。
……笑ってる。
笑ってるな、これ。
「……なんで敬語?」
「な、なんとなく」
白石くんがふっと笑って、足元のカバンを弄った。
私は、なんとなく、机の端を見つめた。
しばらく、二人でそれぞれの準備をしていた。
チョークの匂いがする静かな教室に、ページをめくる音だけが響いていた。
「あのさ」
それから少しして、白石くんがふと振り向いて、何気なく言った。
「なに」
「授業中、分からないことがあったら振り返っていい?」
……え。
一瞬、何を言われたのか、よくわからなかった。
白石くんに限って、授業で分からないことなんてないでしょ。
そう返せばよかった。
冷静に考えれば、そう返せばよかった。
でも、その言葉が頭の中で一回転して、意味を理解した瞬間に。
「え、あ、え……」
言葉が出てこなかった。
なんで言葉が出てこないんだろう。
授業中に振り返ってくる白石くんのことを、一瞬想像してしまった。
それだけで、顔が急に熱くなった。
白石くんが、少し間を置いてから、続けた。
「吉野さんも、分からないことがあったら、遠慮なく背中を叩いてね」
……それは、なんか、違う。
違うけど、なんで違うのかうまく言えなかった。
背中を叩く自分を想像したら、また熱くなった。
口が動かなかった。
顔がますます熱くなった。
白石くんが、少し笑った。
***
帰り道、一人で電車に乗りながら、ぼんやり今日のことを振り返っていた。
席替えのこと。
白石くんの後ろ姿が視界に収まったこと。
授業中、三回集中しようとして三回とも失敗したこと。
……授業中に気になっちゃうじゃん。
いや、別に。
ただ、前に人がいるから目が向くだけだ。
誰が座っていても同じだ。
……誰でも同じ、か。
でも、なんかそれって、みんながいる場所で白石くんのことを見てしまってる、ってことで。
それがなんか、こそばゆかった。
修業の時は二人きりだから、見ても別にいい。
でも授業中は、周りに人がいる。
それなのに、気づいたら見てた。
……それって、なんか、違くない?
いや、違くはないけど。
前の席だから目が向くのは当然で。
窓の外の景色が、流れていく。
夕方の光が、車内に差し込んでいた。
「授業中、分からないことがあったら振り返っていい?」という声が、頭の中で再生された。
あの時、冷静に「白石くんに限ってそんなことないでしょ」って言えばよかった。
なんでアワアワしてしまったんだろう。
……わかってる。
なんとなく、わかってる。
でも、今はまだ、考えたくなかった。
……ほんとに、気になっちゃうじゃん。
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