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憧れのカリスマが怖い人だと思っていたのに、実は私よりビビりだった件  作者: エティルク・ラ・ハオン/Etilk.Ra.Haon
第一章:春の秘密

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第13話:テスト前夜の攻防

 図書館からの帰り道、ずっと考えていた。


 ただの勉強会だった。

 それは間違いない。

 白石くんが修業のお礼として教えてくれる、それだけの話だ。


 でも。


 なんで私だけこんなにドキドキしてるんだろう。


 「やるね」という声が、なんとなく頭に残っていた。

 こつん、と合わせたグーの感触が、なんとなく手に残っていた。

 「さあ」という一言の、あの余裕のある言い方が。

 「笑ってない」と言いながら、絶対笑っていたあの口元が。


 打ち消した。


 電車に乗り込んで、端の席に座った。

 窓の外を見た。

 夜の街が、後ろに流れていく。


 断じて、これは勉強のストレスだ。

 テスト期間だから、気が張っているんだ。

 それだけだ。


 窓の外の景色が、流れていく。

 街灯が、線になって消えていく。


 ……たぶん。


    ***


 テスト前日。


 図書館の自習スペースは、いつもより少し人が多かった。

 テスト前日だから、当たり前だ。

 でも私は、そんなことを気にしている場合じゃなかった。


 ……数学B、絶対無理だ。


 参考書を睨みながら、そう思った。

 数学IIの式と証明は、なんとかなってきた気がする。

 でも数学Bは別だ。

 等差数列と等比数列、ここまではまだいい。

 問題は、応用問題に入った瞬間だった。


 なんで急に難しくなるんだ。

 応用問題、という言葉が憎い。

 応用しなくていいから、基本だけで点数くれ、と思った。


「数B、絶対無理だ……」


 思わず、声に出ていた。

 小声で。

 でも、隣に聞こえるくらいの声で。


「何が無理なの」


 白石くんが、参考書から目を上げずに言った。

 さらっと言った。


「等差数列と等比数列は、基本問題はわかるんだけど、応用問題になった途端に何をやっているのかわからなくなる」


「見せて」


 また、さらっと言った。

 私はノートを白石くんの方に向けた。


 白石くんが、ざっと目を通した。

 少しの間、黙っていた。


「条件が二つあるから、まず式を二本立てる。それから連立して解く。……ここまではわかる?」


「うん、そこまではわかった。でも、その後の『初めて何項目で100を超えるか』みたいな問題になると、途端に何をやればいいかわからなくなる」


「なるほど」


 白石くんが、さっとシャープペンを取って、別の紙に書き始めた。


「不等式を立てるだけだよ。一般項 aₙ が100より大きくなる条件を、nの不等式で表して解く。やり方は方程式と同じ」


 言いながら、式を一行ずつ書いていく。

 やはり、字がきれいだった。


「白石くんって、字きれいだね」


 思わず、口をついて出た。


 白石くんが、手を止めて、少し首を傾けた。


「そう? 特に意識したことなかったけど。……ありがとう」


 素直に返ってきた。

 照れるでもなく、謙遜するでもなく、ただ素直に。

 なんか、それがかえって、少し心地よかった。


「……そういう吉野さんも、字がきれいだよね」


 白石くんが、私のノートに視線を向けながら言った。


「それに、ペンの持ち方がすごくきれいだ」


 えっ、と思った。

 逆に褒められるとは、思っていなかった。


 なんか、少し、恥ずかしくなった。

 視線が泳いだ。


「……び、美術部だからね。正しいペンの持ち方も、絵の上手さにつながるから」


 言ってから、自分でも少し笑えた。

 本当かどうか、よくわからない。

 でも、とっさにそれ以外の言葉が出てこなかった。


 白石くんが、また式の続きを書き始めた。

 隣でシャープペンが紙の上を滑る音がした。


「ふふ。……じゃあ、問題に戻るよ。ここまでは、わかる?」


「……わかる」


 わかる、と答えながら、まだ顔が少し熱かった。

 美術部だからね、か。

 ……我ながら、なんてとっさの言い訳だ。


「じゃあ、同じ形の問題、やってみて」


 白石くんが、参考書の別のページを開いた。

 私はシャープペンを持って、問題を読んだ。


 等差数列。

 初項と公差を求めて、一般項を出して、不等式を立てる。


 白石くんの説明を頭の中でなぞりながら、一行ずつ書いた。


 ……あれ、なんか、できてる気がする。


「なんで天才なの」


 思わず、ぼやいた。


「天才じゃないよ」


 さらっと返ってきた。

 涼しい顔のまま、自分の参考書に目を落としながら。


「じゃあなんでそんなにできるの」


 なんとなく、聞いてみた。


 白石くんが、少しの間、黙った。

 参考書のページをめくる手が、一瞬止まった。


「やらないといけない環境だったから」


 短く、それだけ言った。

 それ以上は、何も言わなかった。


 ……やらないといけない環境。


「そっか」


 私は返した。

 それ以上は聞かなかった。

 聞けなかった、というか。


 なんか、聞いてはいけない気がした。


 その言葉が、なんとなく、胸の片隅に引っかかった。

 白石くんの声のトーンが、いつもと少し違った気がした。

 気のせいかもしれない。


 でも。

 「やらないといけない環境」って、どういう環境なんだろう。

 なんとなく、聞けなかったその先が、頭の隅に残ったまま消えなかった。


 ちらっと、白石くんの横顔を見た。

 もう涼しい顔に戻っていた。

 何事もなかったみたいに、参考書を読んでいた。


 私も、参考書に視線を戻した。

 問題の続きを解いた。


    ***


 勉強会も終盤になってきた。


 窓の外の光が、だいぶ落ちていた。

 図書館の閉館まで、あと少しだ。


 私はシャープペンを走らせた。

 等差数列の応用問題。

 一般項を出して、不等式を立てて、解く。


 ……できた。


「やった」


 小声で、思わず言った。


 白石くんが、こちらをちらっと見た。


「かわいい」


 小声で、言った。


 ……え。


「え?」


 聞き返した。

 白石くんが、一瞬だけ、固まった。


「いや、解き方が」


 即座に、涼しい顔で言い直した。

 参考書に視線を戻しながら。


 ……解き方が?


「解き方が、かわいい?」


 首を傾げた。

 どういう意味だろう。

 不等式の立て方が、かわいい?

 それって褒めてるのか、どうなのか。


「そう」


 白石くんが、短く返した。

 それだけだった。

 参考書に視線を落としたまま、それ以上何も言わなかった。


 でも、なんか、口元が少し緩んでいた気がした。

 さっきの「やらないといけない環境」の時の顔とは、全然違う顔だった。


 ……気のせいかもしれない。


 私は、もう一度問題を見直した。

 解き方が、かわいい。

 どういう意味なんだろう。

 なんか、変な褒め方だ。


 でも、まあ。

 褒められた、ということでいいんだと思う。

 たぶん。


    ***


 閉館のアナウンスが流れた。


 二人で、荷物をまとめた。

 参考書をしまって、ノートをしまって、鞄を持つ。


 図書館を出ると、外は暗くなっていた。

 六月の夜の空気が、少しだけ湿っていた。


「明日、頑張って」


 歩き始めながら、白石くんが言った。

 さらっと、いつもの涼しい声で。


「白石くんも」


 私も返した。


 白石くんが、少しの間、黙った。


「僕は大丈夫」


 言い方が、なんか、少し可笑しかった。

 大丈夫、というより、当然、みたいなトーンだった。


「それはそうだね」


 私が返すと、白石くんが、ふっと笑った。

 小さな笑い声だった。

 私も、つられて笑った。


 二人で、少しの間、笑った。


 それから、また静かになった。

 夜道を、並んで歩いた。


 駅で別れた。

 白石くんが改札を通って、人混みの中に消えた。


 私は、しばらくそこに立っていた。


 ……明日、頑張ろう。


 そう思った。

 なんか、頑張れる気がした。


    ***


 家に帰って、鞄を下ろして、ベッドに倒れ込んだ。


 天井を見た。


 ……かわいい、って何が?


 ぼんやりと、考えた。

 解き方が、かわいい。

 そういえば、どういう意味なんだろう。

 不等式の立て方がかわいい、ということは、つまり、丁寧とか、素直とか、そういうことかな。


 まあ、解き方のことだよね。


 うん、解き方のことだ。

 それ以外に何がある。

 白石くんほどにもなると、きっと解き方にも可憐さを見出せるのだ。


 天井を見たまま、そう結論づけた。


 ……たぶん。


    ***


 そういえば、桜ちゃんからメッセージが届いていた。


  ────────────────

  今日も、めいが可愛かったです。丸

  ────────────────


 無視することにした。

最後までお読みいただきありがとうございます!

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