第9話:二人でホラー映画
※この話には映画「カルト」(2013年公開・白石晃士監督)のネタバレが含まれます。
再生ボタンを押した瞬間、いきなり本編が始まった。
イントロもなかった。
いきなり、画面中央に白い文字が浮かんだ。
「1日目」
会議室のような場所が映し出される。
三人の女性が、雑談をしていた。
なんか、普通だった。
……あれ、思ったより普通に始まるんだ。
ちらっと白石くんを見た。
少しだけ、肩の力が抜けている。
しばらくして、手持ちカメラを持った女性がやってきた。
その瞬間から、映像がドキュメンタリー風に切り替わった。
三人が、ホラー番組の出演者として自己紹介を始める。
……なんか、作り物っぽくて、逆に安心するかも。
そう思った直後だった。
突然、電気が消えた。
「っ」
思わず声が出た。
白石くんも、僅かに身じろぎした。
画面の中では、VTRが始まった。
中学生くらいの女の子が映っていた。
母親らしき人が撮影しているようだった。
女の子が、震えていた。
変な音が、した。
扉が、勝手に開いた。
カメラが、一瞬だけ何か顔のようなものをとらえた。
「……っ」
今度は声も出なかった。
白石くんが、完全に固まっていた。
私も、固まっていた。
画面は、普通に続いていた。
でも二人とも、しばらく動けなかった。
VTRが終わった。
画面の中の三人が、一様におびえた顔をしていた。
私も、似たような顔をしていたと思う。
白石くんは、無言だった。
「3日目」と表示されて、場面が屋外に切り替わった。
霊能力者らしき男性が登場した。
待ち構えていたような、落ち着いた佇まいだった。
……この人、すごく強そうだ。
しばらくして、一行は問題の家に到着した。
霊能力者が家を調査し始める。
塩を各所に盛っていく。
……盛り塩、か。
なんとなく、白石くんを横目で見た。
白石くんは、じっと画面を見ていた。
さっきより、表情が真剣になっていた。
その時だった。
パンッ!
乾いた音がして、盛り塩が爆ぜた。
「っ……!」
「っ」
二人同時に、身を引いた。
イヤホンのコードが、ぴんと張った。
画面の中では、床に塩が散らばっていた。
何かの模様を描いていた。
盛り塩を盛っていた皿が、消えていた。
……皿が、消えた?
息を呑んだ。
白石くんも、息を呑んでいた。
聞こえた。
隣から、確かに聞こえた。
その日の夜、お払いが始まった。
霊能力者が呪文を唱える。
映像が乱れる。
ボールが、勝手に動いた。
「……」
白石くんが、何か言いかけてやめた。
私も、何も言えなかった。
お払いが終わりかけたその時、画面の中の女性と女の子の様子が、おかしくなった。
何かに、とりつかれているような。
霊能力者が、すぐさま動いた。
女性のお払いは終わった。
でも、女の子が。
女の子が、突然走り出した。
二階へ向かった。
カメラが追いかける。
追いついた先で、カメラがとらえたものを見て――
「っ、無理、ちょっと待って」
思わず、画面から目を逸らした。
白石くんも、目を逸らしていた。
二人で、天井を見た。
しばらく、天井を見ていた。
「……続き、見る?」
しばらくして、私が聞いた。
天井を見たまま。
「見ます」
白石くんが、即答した。
敬語だった。
……いつもなら微笑むところだ。
でも今は、笑えなかった。
私も同じくらい怖かったので。
私は、何かをこらえながら、画面に視線を戻す。
霊能力者が、女の子のお払いをしていた。
なんとか、正気に戻った女の子。
床に、血に濡れた何かがあった。
その中から、割れたお皿が出てきた。
消えていた、あのお皿だった。
「……」
白石くんが、また何か言いかけてやめた。
私も何も言わなかった。
言葉が、出てこなかった。
「6日目」と表示されて、新しい霊能力者が登場した。
さっきの人より、静かな、厳かな雰囲気の人だった。
でも、それがかえって、底知れない感じがした。
「7日目」。
家に向かう一行の中で、一人が突然泣き崩れた。
怖い、ごめんなさい、と繰り返した。
その人は、その場でドキュメンタリー番組を外れることになった。
……なんか、それが一番怖いかもしれない。
ちらっと白石くんを見た。
白石くんも、同じタイミングでこちらを見た。
目が合った。
二人とも、何も言わなかった。
でも、同じことを思っていた気がした。
お払いが始まった。
電気がバチバチと鳴る。
突然、消えた。
画面が、暗視モードに切り替わった。
カメラがとらえたのは――。
「っ……!!」
「っ……!!」
二人同時に、声が出た。
私はスマホを伏せそうになって、ぎりぎりで踏みとどまった。
白石くんは、私の方に少し身を傾けていた。
気づいたのか、すぐに戻った。
画面の中では、二人の霊能力者が異形のものと対峙していた。
強い方の人が、必死に呪文を唱える。
もう一人が、倒れた。
……倒れた。
息ができなかった。
白石くんも、息をしていなかった。
隣で、完全に止まっていた。
お払いは、終わった。
らしかった。
でも、画面の雰囲気は、晴れなかった。
「14日目」。
倒れた霊能力者が、亡くなっていた。
もう一人は、入院しているという。
病室で、もう一人の霊能力者が静かに言った。
自分にも、何かが起きるだろう、と。
その夜。
異形が、迫った。
霊能力者の中に、入った。
ビクン、ビクン!
数回、はねた。
動かなくなった。
画面が、暗くなった。
私と白石くんは、しばらく動けなかった。
どちらも、声が出なかった。
教室の、しんとした静けさだけがあった。
やがて白石くんが、静かに口を開いた。
「……今日は、ここまでにしよう」
「うん」
私も、即座に頷いた。
***
私は荷物をまとめ始めた。
スケッチブックを鞄に入れて、スマホを入れて、椅子を元の位置に戻す。
さて、帰ろう。
そう思って立ち上がった、その時だった。
「……あの、さ」
白石くんの声がした。
いつもと、少し違う声だった。
言い淀むような、間があった。
振り返ると、白石くんが鞄を持ったまま、立っていた。
ぺしょぺしょの顔をしている。
もう、取り繕うことのできない、限界といった様子だ。
「……今日、一緒に帰っていい?」
思いがけない言葉だった。
きょとん、とした。
「一人は、ちょっと」
それだけ言って、白石くんは少し黙った。
言いながら、自分でも少し驚いているような、そんな間だった。
「……うん、もちろん」
私は答えた。
当たり前のように。
でも、なんか、少し、心拍数が上がった気がした。
……ホラー映画の余韻だと思う。
たぶん。
***
廊下に出ると、もう薄暗かった。
放課後の遅い時間だ。
部活の声も、だいぶ遠くなっている。
蛍光灯が、いくつか消えていた。
……あ、これ、怖い。
ホラー映画を見た直後の薄暗い廊下は、なかなかに、きつい。
白石くんも同じことを思っているのか、歩くペースが、自然と少し速くなっていた。
私も速くなった。
二人して、早足で廊下を歩いた。
パタパタ。
足音が、廊下に響く。
それ以外は、しんとしていた。
角を曲がるたびに、少しだけ緊張した。
曲がった先に何もいないことを確認して、また歩く。
その繰り返しだった。
……なんか、二人して情けないな。
でも、一人じゃなくてよかった、とも思った。
断じて、それだけの理由だ。
校門を出ると、夜の空気が広がっていた。
街灯が、ぽつぽつと灯っている。
廊下よりは、少しだけ開けた感じがした。
白石くんの歩くペースが、少しだけ落ち着いた。
私のペースも、自然と合わせていた。
並んで歩く。
街灯の光が、アスファルトの上に細長い影を作っていた。
「……霊能力者が倒れていくの、じわじわ怖かった」
ぽつりと、白石くんが言った。
「うん。最初は強そうだったのに」
「そう。だから余計に」
二人で、少しの間黙った。
「あの盛り塩の皿、あそこで出てくるとは思わなかったよ」
「……あれは、想定外だった」
白石くんの声が、少しだけ低くなった。
まだ引きずっているらしい。
私も、引きずっていた。
「ドキュメンタリー風の撮り方が、本当に本物みたいで」
「うん。作り物っぽくなかった」
「だから余計に怖いんだよね。最初の、普通に始まる感じも」
「……そう。あの出だしは、ずるい」
ずるい、という言葉が、なんかおかしくて、私は少しだけ笑った。
白石くんも、口の端が少しだけ上がった。
笑ったら、少し、ほっとした。
二人でまた歩いた。
さっきより、歩幅がゆっくりになっていた。
白石くんが、ふと立ち止まった。
ぴたっ、と。
つられて、私も立ち止まる。
白石くんが、上を向いていた。
「……星、きれいだね」
静かな声だった。
独り言みたいな、声だった。
私も空を見上げた。
星が、出ていた。
街灯があるから、そんなにたくさんは見えないけれど。
でも、いくつか、はっきりと光っているものがあった。
……本当だ。
なんか、言葉が出てこなかった。
さっきまでホラー映画を見ていたのに、急に夜空を見上げていた。
その落差が、うまく処理できなかった。
胸の中で、何かが、静かになっていく気がした。
「白石くん、星詳しい?」
なんとなく、聞いてみた。
「少し。……北の空に、ひしゃくの形をした星の並びが見える? あれが北斗七星。七つの星でひしゃくを作ってる」
「……あ、本当だ」
「あの柄の部分を、弧を描くように伸ばしていくと、オレンジ色の明るい星に当たる。それがアルクトゥルス。さらに伸ばすと、青白い星、スピカ。それから、南の空に白く輝いているのがデネボラ。しし座の尻尾の星だね。この三つを結んだのが、春の大三角」
白石くんが、空に指で線を引くように話した。
私は首を動かしながら、必死に目で追った。
白石くんの横顔が、街灯の光を受けていた。
さっきまでホラー映画で固まっていた人と、同一人物とは思えない顔だった。
……さっきまでホラー映画で固まっていた人が、急に流暢に星を説明し始めるのは、なんなんだろう。
でも、嫌じゃなかった。
「……なんとなく、わかった気がする」
「北斗七星からアルクトゥルス、スピカへの弧のことを、春の大曲線、って呼ばれてる」
「へえ」
「吉野さんは?」
「ん?」
「星には詳しい?」
「全然。星座早見盤とか使ったことない」
「……そっか」
白石くんが、また空を見た。
私も、また空を見た。
しばらく、二人で黙って空を見上げていた。
夜空が、静かだった。
さっきまでのホラー映画の騒がしさが、どこか遠くなっていく気がした。
心拍数が、少しだけ落ち着いてきた。
でも、落ち着いたのとは、また別の何かが、じわっと上がってきた。
なんだろう、これ。
ヒューッ。
風が、少し吹いた。
五月の夜の風は、まだ少し冷たかった。
思わず、少しだけ身をすくめた。
白石くんが、こちらを見た気がした。
気のせいかもしれない。
確かめる前に、また空を見た。
白石くんが、また歩き始めた。
私も、一拍遅れてついていった。
さっきより少しだけ、歩幅が遅くなっていた気がした。
気のせいかもしれない。
……たぶん。
***
駅が近づくにつれて、人通りが増えてきた。
コンビニの明かりが見える。
信号が、青から赤に変わった。
二人で立ち止まって、信号が変わるのを待った。
白石くんの横顔を、ちらっと見た。
いつもの涼しい顔に、戻っていた。
さっきの、星を指さしていた時の顔とは、また違う。
……あの顔、なんだったんだろう。
信号が、青になった。
二人で歩き出す。
改札が、見えてきた。
人が増えた分、自然と歩幅も少し狭くなった。
白石くんと、さっきより距離が近くなった気がした。
気づいたら、離れた。
改札の前で、足が止まる。
「一緒に帰ってくれて、ありがとう。……じゃあ、また明日」
白石くんが、短く言った。
いつも通りの、涼しい声だった。
「うん、また明日」
私も返した。
白石くんが、改札を通った。
振り返らなかった。
人混みの中に、すっと消えていった。
私は、しばらくそこに立っていた。
改札の向こうを、なんとなく見ていた。
……また明日、か。
それだけの言葉が、なんか、少し、重かった。
重い、というのとも違うか。
なんというか。
……わからない。
***
白石くんとは別の改札を通って、ホームに降りた。
ガタン、ゴトン。
電車が来る。
乗り込んで、今日も端の席に座った。
扉が閉まる。
電車が動き出した。
窓の外を見た。
夜の街が、後ろに流れていく。
駅のホームが、どんどん遠くなる。
胸が、なんかドキドキしていた。
……ホラー映画のせいだ。
じわじわ怖い場面が続いて、急に怖い場面が来て、あれだけ緊張したんだから。
そのせいだ。
白石くんが星を見ていた顔が、なんとなく頭に浮かんだ。
打ち消した。
また明日、という言葉が、なんとなく頭に浮かんだ。
打ち消した。
……ホラー映画のせいだ。
断じて。
窓の外の夜景が、流れていく。
街灯が、線になって消えていく。
……たぶん。
電車は、どんどん進んでいった。
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