第八十八章~ご機嫌斜め~
「五郎、藤吉郎。もう帰ってきたのか」
信長の第一声がそれである、その一言に二人はズコッとよろけた。
「早く戻ったんですから、喜んで下さいよ……」
「で、土産はどうした」
「ちょ、ちょっと! 他に言う事があるんじゃないですか!?」
「んん~?」
「無事に帰ってきたなとか、こう労いの言葉を……」
「よくぞ戻った、ほれ土産を見せんか」
「軽っ! 軽すぎるっ!」
「……五月蝿い奴だな」
信長は眉根を寄せて五郎を見ると、嘆息して口を開いた。
「五郎、藤吉郎。無事帰って来た事、嬉しく思うぞ」
「「はっ」」
「これでいいか? ん?」
「……え、ええ」
五郎は信長がいつもより不機嫌だと感じてはいたが、どうやら間違いなくご機嫌斜めらしい。
いつもは五郎が突っ込むと嬉々として弄ってくるはずだが、御座なりな扱いをされると、それはそれで意外と寂しいものだ。
五郎が肩を落としてそんな事を考えていると、信長は再度土産の品を催促してくる。
「五郎、ちゃんと書状は読んだのだろう?」
「はい」
「ならば土産はちゃんと用意したのだろうな?」
「え、ええ……」
「なら早く出せ」
「そんなに急かさなくても、今準備してますからっ!」
「準備だと?」
「はい、そう仰られると思って帰ってすぐに準備してましたから……そろそろ」
五郎が信長に話している丁度その時、部屋の外から声が掛かる。
「丹羽様、お持ち致しました」
「ああ! ありがとう、後は俺がやるよ!」
「では、失礼します」
「うん、ご苦労様」
頭を下げて去っていく顔見知りの小姓人に礼を言うと、五郎は更に切り分けられた瑞々しい果物を持って信長に差し出した。
「これは……」
「西瓜です、信長様」
「ほう、西瓜……何度か食した事があるが、この西瓜は大きいな」
「井之口の市場を探し回って見つけた西瓜です、その分値も張りましたが……それだけの価値がある美味しい西瓜だと思います」
「ふむ……」
信長は甘そうな赤い果肉を眺めると、不機嫌だった顔を和らげると持っていた扇子で膝を叩く。
「五郎、面白みはないが……丁度甘い物が食べたいと思っていたのだ、よくやった」
「ありがたきお言葉」
「折角だ、お前達も食え」
「い、いえ……それは信長様の為に切り分けられた西瓜ですから……」
「俺が良いと言っているのだ、それを断るつもりか?」
「…………い、頂きます」
「猿、お前もだ」
「は、はい!」
信長は自身の愛刀を抜いて西瓜を三等分に切る、その様子を見た五郎は冷や汗を流す。
(大事な刀で西瓜を切らなくても……! 平手殿が見たらお説教確定だっていうのに!)
相変わらず豪快な人だ、それにしても余裕が無かったとはいえ、西瓜を土産にしたのは正解だったかもしれない。
心配したのは無事に持ち帰れるかだったが、幸いな事にトラブルも無くスムーズに帰って来れた為に悪くならなくてよかった。
「信長様、西瓜は食べた事があるんですね」
「ああ、堺まで行けば見かけるかもしれんが、清洲では中々見ないのでな」
「なるほど……もしかしたら井之口で見つけたのも運が良かったのかもしれませんね」
「だろうな、良く見つけたものだ」
「いやぁ~照れますな! あっはっはっ!」
「調子に乗るでない」
少し部屋の空気が和らいだので安心した五郎は西瓜を食べながら話を続ける。
藤吉郎は既に食べ終えて自分と信長の話に耳を傾けているようだ。
「信長様、今日はどうかしたんですか?」
「ん? 何がだ?」
「いえ、険しい顔をなさっていたので」
「墨俣の一件が手こずっているのでな、気分が優れんのだ」
「あの勝家さんが指揮を執っているのに、手こずっているのですか?」
「うむ、予想以上に斉藤軍の邪魔が入っていると報告を受けている」
「それだけ墨俣を重要視しているんですね……」
「うむ」
五郎は勝家が手こずる姿を想像できないが、信長が眉間に皺を寄せるほどの状況なのだろう。
自分が居ない間に起こった事を信長から教えて貰っていると、上品に齧られた西瓜を藤吉郎が下げようと手を伸ばす。
藤吉郎に気づいた五郎は咄嗟に手を掴むと尋ねた。
「ちょ、ちょっと待った……藤吉郎、西瓜をどうするの?」
「?? どうするもなにも、捨てるに決まってるじゃないですか」
「駄目だ! それは駄目!!」
「駄目って……もう食べるとこなんてありゃしませんぜ」
「信長様! この西瓜俺が貰っていいですか?」
藤吉郎が訝しげに自分を見ているのは分かっているが、五郎にはどうしてもこの『食べ残しの西瓜』が必要なのだ。
お伺いを立てると、信長は藤吉郎同様に訝しげな視線を寄越しながら許可をくれる。
五郎は『ありがとうございます』と礼をすると、西瓜の載ったお膳を持つと信長に話しかけた。
「信長様、少しばかり失礼して宜しいですか?」
「何処へ行く?」
「この西瓜を使ってある物を作って来ます」
「……その西瓜をだと?」
「はい、きっと信長様も驚いて頂けるかと」
「ほう……面白い、許そう」
「ありがとうございます! 藤吉郎、後は宜しく!」
「え、ちょっと! 五郎さん!?」
五郎は足早に部屋を出て行く、その後姿を見送りながら残された藤吉郎は呆気にとられていたのだが。
「猿」
「は、はい!」
「丁度良い、井之口はどうだったか報告しろ」
「実は……」
藤吉郎は井之口での出来事をゆっくりと報告する、信長は静かに報告を聞きながら有益な情報があるか整理するのであった。
その頃、真剣な表情をした五郎は清洲城の台所に居た。
包丁を片手に、もう一方の手に西瓜を持った五郎は上品に齧られて余っている果肉を薄く削る。
あまり削り過ぎると美味しくなくなるのだ、薄っすらと赤い果肉が残る程度まで削れば十分である。
そして固い皮を慎重に剥く、気をつけなければならないのは無理に剥くのではなく、固くなって刃を動かせないときはパキッと折る位の気持ちでいる事である。
五郎は丁寧に全部の西瓜を剥くと、貴重な塩を手に軽くまぶして西瓜の表面を撫でながらまぶしていく。
本来ならば適当に塩をふって漬けるのだが、この世界では貴重な調味料なので節約しなければならない。
「よ~しよし、いい感じだぞ~」
清洲城の台所を預かる数人の料理人も珍しそうに五郎の様子を見守っている。
塩をまぶした西瓜を皿に重ねると、五郎は適当な蓋を探して塞ぐと声を掛けた。
「これ、暫く触らない様にお願いね」
「へ、へえ」
「出来たら皆にも食べさせてあげるからさ」
「……あんな固くい身が食べれるんです?」
「ふふふ……それは出来てからのお楽しみ!」
五郎は頬を緩ませて笑うと、台所を後にした。
五郎が西瓜を調理して戻っている頃、藤吉郎は信長の愚痴を聞かされていた。
報告を終えて一段落したのはいいのだが……ここ数日溜まっていたらしき主君の鬱憤をずーっと聞いていると流石の藤吉郎も疲れてしまう。
藤吉郎が辟易しながらもなんとか相槌を打っていると、部屋の外から五郎が入ってきた。
やっと解放されると藤吉郎は内心喜ぶと声を掛けた。
「五郎さん、やっとお戻りに……」
「あ、あれ……どうしたの?」
「すぐ分かりますよ、すぐに」
「???」
藤吉郎がやけに疲れているが……どうしたのだろうか、自分が居ない間に何があったのだろう。
自分が部屋に戻るまでそんなに時間が経っていない筈だが、そんな短い時間で藤吉郎がこんなに疲れているとは。
五郎が首を傾げながら考えていると、信長から声が掛かる。
「五郎、丁度良い所で戻ってきたな」
「……え?」
「さっさと部屋に入って此方に来い」
信長に呼ばれて歩きながら、藤吉郎の様子から考えられる展開を予想する。
段々嫌な予感がしながら信長の表情を窺うと、気色悪い微笑みを浮かべていた。
(しまった! これは拷問が始まる展開じゃねぇか!)
思わず足を止めて後退りしようとすると、何者かに足を掴まれる。
「と、藤吉郎!」
「……五郎さん、逃がしませんよ」
「い、いやあああああ!!!」
五郎がとても振りほどけそうに無い力で足を掴まれて逃げる機会を失う。
叫び声を上げた五郎は藤吉郎と供に延々と信長の話を聞く事になったのであった。




