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第八十六章~竹中重治~

竹中重治、通称半兵衛。美濃の窮地を何度も救い、斉藤家を現当主・龍興が継いでから懸念されていた織田の侵攻を防いでいる強敵である。

そんな強敵を前にして捨てられた子犬のように目を潤ませている男が居た。


「うぅ……」

「さ、一杯どうぞ」

「は、はい」


重治に酌をされた五郎は少しだけ口にする、まだ昼間なので酔っ払うわけにはいかない。

五郎は返杯すると、美味しそうに酒を飲む重治の顔色を窺う。

こうして見ているだけだと物静かで穏やかな人物なのだが……。


「五郎殿」

「はい」


名前を呼ばれた五郎が返事をすると、身を乗り出して声を潜めた重治が尋ねてきた。


「清洲へ帰らなくていいんですか?」

「!?」

「おっと、静かに……」

「ど、どうして」


動揺する五郎にまぁまぁと重治は落ち着かせる。


「清洲に寄って井之口へ来られた……そう仰いましたよね」

「え、ええ」

「その後、私が清洲で仕入れたという品を見せて貰ったでしょう?」

「はい」

「旅の途中で寄っただけで、あれだけの品を仕入れる事が出来るのか……とね」

「い、いや~……」

「それに、五郎殿は全く気がついてなかったでしょうが。藤吉郎殿は私が二人を探っている事に気づき、警戒してましたから」

「……」


五郎は重治の言葉に呻く、確かに五郎は自分が探られていると思わずポンポンと話していた気がする。

一応、知られても問題がない事を話していたつもりだが。

冷や汗をかきながら俯いていると、困ったように頭を掻いた重治は明るい声を出す。


「五郎殿、安心して下さい……と言って安心出来ないかもしれませんが。私は貴方を捕まえる為に声を掛けたわけじゃありませんよ」

「いや、ですが……」

「貴方の正体が何であれ、妹の恩人を捕まえて喜ぶ趣味は残念ながらありません」

「……しかし」

「勿論、次に会った時は戦う事になるかもしれませんが」

「……」

「それに、五郎殿とは酒を酌み交わした仲ですし、色々と身の上話をしたじゃありませんか」


何とか五郎の警戒を解こうと重治が模索していると、その五郎は大きく息を吐く。

五郎は重治の話を聞きながら色々と考えていたが、段々面倒になってきていたのだ。

こうして重治が真意はどうあれ気を遣ってくれているのだ、身の危険を感じたら逃げ出せるようにだけ準備して開き直ろう。


「重治様」

「なんでしょう?」

「料理、まだ頼んでいいですか?」

「え、ええ……構いませんよ」


重治の許可を得て料理を追加した五郎は、一つ咳払いをして頭を下げる。


「重治様、改めてご馳走になります」

「……遠慮せずに食べて下さい」

「いただきます!」


色々と考えたお陰でお腹も減っていた五郎は重治が頼んでいた料理に箸を伸ばす。

五郎の雰囲気が変わったので少し呆気にとられていた重治だったが、その姿に酒を酌み交わした夜を思い出して笑みを漏らす。

それから暫くの間、何を話すわけでもなくのんびりと食事を取る、偶に五郎が料理について尋ねると重治が答える程度だ。


「ふぃ~……」


五郎が満足そうにお腹をさすっていると、重治が話しかけてくる。


「五郎殿、満足しましたか?」

「はい!」

「それは良かった」


五郎の返事に嬉しそうな表情を浮かべると、重治は酒をくいっと呷って息を吐く。

お腹が一杯になっていた五郎は、ふと気になる事が浮かんだので尋ねてみる。


「あ、あの~……」

「はい?」

「重治様は、俺を捕まえるつもりはないのですか?」

「捕まえる……ですか、『今の所』そのつもりはありませんよ」

「それは一体……」

「ははは! よく考えてみて下さい、もし間者だとしても……五郎殿は目立ちますし、何よりそんな身体で追っ手から逃げれるとは思えません 」

「ぐはっ! や、やっぱり……俺って弱そうに見えます?」

「ええ、とても旅をしているようには見えませんね」

「そ、そこまで!?」

「寧ろ、聞きたいのですが……藤吉郎殿は腕に覚えがありそうでしたが、五郎殿はどうなんです?」

「……ません」

「ん? なんと?」

「自信なんてありません! そう言ったんです!」


自棄になった五郎は叫ぶように言うと、酒をチビチビと口にしながらぶつぶつと呟く。

重治は拗ねたように酒を飲む五郎に苦笑すると、一つ咳をしてから口を開いた。


「それに、五郎殿の様な面白い人には中々会えませんからね」

「面白い……ですか?」

「ええ、一昨日聞いた話もとても興味深かったですし」

「あ~……」


恐らく重治が言う面白い話というのは五郎が暮らしていた、元の世界での出来事をこの世界風にアレンジして話した事についてだろう。

法螺話だと思われるのは複雑だが、話の種には丁度いいのである。

特に重治とこうして話す事になると思っていなかったのだ、正直な話こうして再会する事になるのならば調子に乗って話さなければよかった。

五郎が軽く反省してると、重治は笑顔を崩さずに口を開く。


「そういえば、五郎殿は市場で何を?」

「……面白い土産になりそうな品を探してまして」

「……ふむ、土産ですか」

「重治様は……」

「五郎殿、そろそろ様は止めましょう」

「はぁ」

「あまり堅苦しい呼び方をされるのは好きじゃないんですよ」

「は、はい」

「重虎のように呼んで貰って構いません」

「……で、では重治殿と」

「……まぁいいでしょう」


重治は様よりはマシだと思うことにすると、土産物について考える。

土産物なら沢山あるが、面白いとなると話は別である。

この様子だと近々この町を出て行くつもりだと予想できるし、これが五郎と会う最後の機会になるかもしれない。

暫く考え込む重治、その姿を見ていた五郎もまた考え込んでいた。


「……ふむ」


未だに警戒を解くことは出来ないが、目の前で自分の相談について考え込んでいる重治の事を信用するべきだろうか。

確かに、必要があれば捕まえるぞと脅されはしたがそれだけである。

本気で捕らえる気があれば、既に追っ手を放っているだろう。

何より、こうして堂々と自分の目の前に姿を現して食事に誘うとは思えない。


「あの……重治殿」

「ん? なんでしょう?」

「もし俺が間者だとして、捕まえないのは何故です?」

「ははは、簡単な話ですよ」

「……え?」

「五郎殿の様な人が間者なんて出来ませんよ、目立ちますし」

「で、でもこうやって商人を装って……」

「見るものが見れば怪しすぎますよ、藤吉郎殿は見事な変装でしたが」

「うぐぅ」

「それに、織田だけに限らず間者なんて沢山居ます、もし重要な情報を知られれば別ですが……下手に捕らえるとそれはそれで面倒なのですよ」

「面倒ですか?」

「ええ、どうせ新しい間者が送られてくるだけです」

「な、なるほど」

「五郎殿も同じですよ、というよりも捕まえても意味がないでしょうから」

「……それはそれで、複雑な気持ちになりますね」


五郎の言葉に笑うと、重治は肩を叩きながら慰める。


「あぁ、一つだけ忠告しておきます」

「忠告ですか?」

「死にたくなければ、早いうちにこの町を出た方がいいですよ」

「!?」

「私と重虎は何も言うつもりはありませんが、何度も言いますが五郎殿は目立ちます、長居するのは危険ですよ」

「……」

「あまり嗅ぎ回っていると、それこそ捕まって首が飛びます」

「そ、それは嫌だなぁ……」

「これは五郎殿だから話す事ですが、もし我が主君の邪魔になれば私も貴方を捕らえなければいけません」

「は、はい」

「特に今は織田との小競り合いで殺気立ってます、死にたくなければ重々気をつけることです」


重治の忠告を聞いて唾を飲み込む、改めて敵地の真っ只中だという事を思い知らされる。

これはすぐに井之口を出発する必要があるかもしれない、藤吉郎に相談しなければならないだろう。

五郎は駄目で元々のつもりで重治に質問をする、意外な事に重治は五郎に答えを返してくれる。

流石に当たり障りの無い情報だけだが、重治から話を聞くと五郎は立ち上がる。


「重治殿、申し訳ありませんが……俺はこれで」

「……五郎殿、また会いましょう」

「今度は落ち着いて話がしたいですね」

「ええ」


五郎が足早に店から出て行く姿を見送って、重治は『はぁ』と息を吐く。

これから織田との戦も激しくなるだろう、藤吉郎の態度を見る限り五郎もそれなりの身分だと思うが、戦場で相対する事にならないよう祈りたいものだ。

重治は残った酒を飲みながら自分の代わりに登城している重虎にどう話したものかと考えるのであった。

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