第八十三章~酔って酔わされて~
「ははは! 中々なやりますな!」
「いえいえ、重治様こそ!」
肩を組んで酒を酌み交わす五郎と重治、食事の後に酒を勧められた五郎は断りきれず誘いに乗ったのだ。
すっかりいい感じに酔い始めた二人はやいのやいのと盛り上がっている。
そんな様子を眺める藤吉郎は何かあったら困ると、控えめに酒を胃に流し込みながらにこにこと微笑んで酒を注いでくれる重虎に話しかけた。
「いいんですかい? 重治様、真っ赤になってますが」
「兄上はお酒を飲むとすぐ赤くなるので大丈夫ですよ」
「しかし、身体に障るんじゃないんで?」
「ふふふ、そこまで兄上も病弱ではありませんから……それにちょっと無理をしたら血を吐いて教えてくれるのでご安心下さい」
「…………」
「それに、あんなに楽しそうにお酒を飲む兄上は久しぶりですので」
「久しぶりに……? 普段は酒を飲まれないので?」
「はい、お客様が来ても軽く口にして終わる事が殆どなのです」
「へぇ~……」
藤吉郎は顔を真っ赤にしている重治を見る、すっかり五郎と意気投合したのか酒を飲ませあって笑っている姿は別人のようだ。
それも五郎の人柄によるものかもしれないが、初めて会った時の堅物そうなイメージはすっかり消えてしまった。
「それにしても、凄い光景だぜ」
そう呟いた藤吉郎は益々盛り上がっている男二人の周囲を見る。
何が『凄い』か、それは辺りに飛び散っている血の跡である。
重虎は血を吐いて教えてくれると言ったが、藤吉郎には既に危険な量の血を先程から撒き散らしている気がするのだが……。
「あんなに血を吐いたら、流石に俺でも死ぬぜ……」
しぶとさには自信がある、だが刃傷沙汰があったかのような血が広間に広がっているのだ。
ましてや重治は自分達が屋敷を訪れた際も血を吐いている、この痩せた身体の何処にそれほどの血が入っているのか。
「止めよう、あの重治って人は只者じゃない……そういう事にしておこう」
藤吉郎は考えても仕方が無いと重治から視線を切ると、酒をちびちびと飲んでいる重虎に気づいた。
「重虎殿もお酒を飲まれるんですね」
「はい、あまり飲めませんが……お付き合いもありますので」
「もしかして、重虎殿がお客人のお相手を?」
「ええ……兄上は斉藤家に仕えているのですが、一部の家臣の方々を快く思っていないのです」
「…………ほう」
お酒が入って少し酔ったのか、頬を薄っすらと赤く染めた重虎の口から気になる情報が漏れる。
ここはそれとなく話を聞き出せないか集中する事にして、藤吉郎は重虎の酌をしながら酒を飲み込んだ。
「五郎殿、中々やりますな!」
「重治様こそ、そんな顔してやりますね!」
「はっはっはっ! まだまだこの程度じゃ私は潰れま……ごばぁ」
「お~! 見事な吐きっぷり、ささ……吐いた分は酒で補填しましょう!」
「ありがたい、今日は美味しいお酒が飲めて楽しいものです!」
「全くですね!あっはっはっ!」
二人は似たような台詞を繰り返しながら世間話を肴に酒を飲み続ける、そんなこんなで話を続けるうちにすっかり重治と打ち解けてしまった。
そして重治も酒の勢いだろうか、ポロっと愚痴を漏らす。
「それにしても、今日は申し訳ない」
「……何がです?」
「突然、斬りかかろうとした事です」
「あっはっはっ、大丈夫ですよ! 慣れてますから!」
「五郎殿はそんなに斬りつけられてるのですか?」
「この身なりですから、よく襲われるのです!」
「なんと! しかし荷物を持ったままで襲われたらひとたまりもないのでは?」
「奥の手があるのです」
「ほう! 奥の手……それは?」
「ふふふ……それは言えません、お……私の命綱ですから」
「確かに、奥の手は誰にも明かさぬものです」
うんうんと頷く重治に五郎は脱線しかけた話を戻そうと試みる。
「重治様、私共を見て飛騨の……あれ、なんだっけ……」
「……飛騨守」
「そう! その飛騨守がどうたらと仰ってましたが……飛び掛ってきた事と何か関係が?」
「実は……私の父は菩提山城の城主として斉藤家の前当主・義龍様に仕えていたのですが」
「ほう……」
「義龍様が亡くなられ、龍興様が後を継がれてから何かと問題が出始めたのです」
「問題……?」
「重用されるべき家臣を蔑ろにして、斉藤飛騨守の様などうしようもない男を重用して遊んでばかり……とても美濃を治める御方のする事ではありません」
「……今、織田の侵攻を受けているのに……そんな状態で大丈夫なのですか?」
「市場や町の中を見て歩いたのでしょう? 皆の反応を見れば分かるでしょう?」
「…………」
「何より許せないのは……」
「…………(ごくり)」
そこで重治は大きく息を吐くと、目を見開いて大きく口を開けた。
「重虎に執拗に言い寄って来る事だあああああ!」
叫びながら血を撒き散らす重治、相当飛騨守という人物が気に食わないのだろう、殺気を帯びた目を見た五郎はビクッと反応してしまった。
それにしても、重治は相当シスコンらしい、重虎に関する話題になると目の色が変わるのだ……怖い。
「し、重虎さんは綺麗な方ですから……どうしても目を惹きますよね」
「五郎殿……分かってくれますか、重虎は私の自慢の妹なのです」
「は、はい」
「それを……あんな頭の悪い荒くれ者に渡すものか!」
「は、ははは……」
「全く、龍興様も遊び惚けているし……このままでは美濃は……」
「重治様、ささ……今は酒を飲んで全部忘れましょう?」
テンションを上げたり下げたり不安定になってきた重治を見た五郎は焦る。
重治を見て少し酔いが醒めた五郎はまぁまぁと宥めながら酒を注ぐ。
これ以上興奮させたらまた血を吐き出しそうな気がする、いい気分に酔っていた時は気にならなかったが……冷静になってみると折角着替えた服がまた血で染まっている。
「……人間なの? この人」
自分の服や床、壁を見た五郎はつい呟く。
一度酔いが醒めた上にこの惨状を認識した五郎は顔を真っ赤にした重治を見る。
(自重しよう、このままだと……また血まみれになる気がする)
五郎は酒を飲みながらぶつぶつと呟いている重治に声を掛ける。
「重治様、もう夜も更けてきましたから……何か面白い話でもしながらのんびり酒を飲みましょう」
「……のんびり?」
「はい、のんびりと」
「…………あい」
大分酒が回っているのか少し言葉遣いが怪しいが……重治が五郎に返事をくれたのでホッとする。
そういえばと藤吉郎をチラリと見たが、あっちはあっちで上手くやっているようだ。
(俺も重虎さんと酒を飲みたかったなぁ……)
ふと冷静になると綺麗な女性と酒を飲む機会が中々無い、今までの中でも重要なイベントを逃した気になって少し悔しい。
「五郎殿? 重虎がどうか?」
「あ、いえ! あちらも楽しそうだなぁと……」
「……ほほう」
「重治様? あの……目が怖いですよ?」
「…………」
「黙って刀を抜こうとしないで下さい! 落ち着いて!」
幾ら二人が良い雰囲気になっているとはいえ、そんな甘い雰囲気じゃない事を察して欲しいものである。
五郎が必死に重治を制止していると、重治は叫び声を上げた。
「重虎ぁ! こっちに来なさい!」
重治の声を聞いた二人は此方を見ると、顔を見合わせてから近づいてきた。
五郎に座らされた重治の隣に重虎、五郎の隣に藤吉郎が腰を下ろして四人で酒を囲む。
「重虎、酌をしてくれ」
「はいはい、飲みすぎては駄目ですよ兄上」
「大丈夫だ……まだまだ飲める」
「もう……」
重虎に酌をしてもらってすっかりご機嫌になった重治を見て五郎はホッとする。
そんな五郎に藤吉郎がこっそり耳打ちしてきた。
「五郎さん、明日の朝……屋敷を出ましょう」
「朝? 何かあるの?」
「それは部屋で詳しく言います、日が昇る前に書置きか誰かに言伝を頼んで町へ出ます」
「う、うん……」
藤吉郎が真剣な声色で話すので大人しく聞く。
五郎は頭に疑問符を浮かべながらも酒を軽く口に含むと、視線を仲睦まじい兄妹に向けながらお開きになるまでのんびりと身体を休めた。
結局重治が突然倒れこむまで賑わいは続いたのであった、重虎が兄と後片付けは任せて下さいと告げたので、二人は小姓人に案内されて本日二度目の湯浴みと着替えを済ませるのであった。




