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第八十二章~お礼~

「申し訳ない……」


五郎と藤吉郎の前で深く頭を下げる男……重治と改めて名乗った男は湯浴みの後、着替えを済ませた二人が客間で一息ついている所に現われたのである。

開口一番謝罪を述べると、此方が恐縮するほど深くお辞儀をされて顔を見合わせる。

一向に頭を上げる気配がない重治を見た二人は目で意図を通じ合わせると、どちらが声を掛けるべきか駆け引きを繰り広げる。


『五郎さん、出番ですよ』

『えっ! それはずるいよ!』

『こんな時こそ五郎さんの力の見せ所ですぜ』

『どんな力なの!? それって限定的じゃない!?』

『早くしてくださいよ~、きっと重治殿……でしたか、ずっとこのままですぜ』

『うぅ……こんな時だけ押し付けられるなんて……』

『上に立つ者の鏡ですな!』

『ぢぐじょう』


藤吉郎に押し切られた五郎は一つ咳をしてから喉の調子を整えると、綺麗な姿勢でお辞儀したままの重治に恐る恐る声を掛けた。


「あ、あの……重治様、頭を上げてくださいませ」

「……失礼を致したばかりか、聞けば妹を手助けして頂いたとか……これしきの事ではまだ私の気が……」

「いえ……あの~……重治様のような身分の御方に頭を下げられたままでは私共も気が落ち着けません、どうかお願いですから頭を上げて頂けませんか?」

「しかし……」

「お願い致します……!」


仕方ないので五郎もごり押しする事を決めて、頭を下げて重治の反応を窺う。

話を聞く限り此方が何を言っても簡単には頭を上げてくれそうにないのだ、ならば相手が先に折れるまで逆に頼み続けるしかない。

『お願いします』と繰り返して頭を下げ始めた五郎に重治は暫く悩んだ末に頭を上げる。


「五郎殿でしたよね、本当に申し訳ない」

「いえ……此方こそ湯浴みや着替えを用意して頂いてありがとうございます」

「迷惑をかけたのです、当然の事をしたまで……どうか一晩と言わずに好きなだけ泊まっていかれて下さい」

「は、はい……」


魅力的な提案だったが、色々と問題があるので素直に喜べない。

しかし、この重治の様子だと少なくとも一晩は泊まる事になるだろう。

それにしても見れば見るほど心配になるほど顔色が優れない人物だ、ただ驚愕すべきなのはあれだけ血を吐いたはずなのに平然としている事である。口の端から少し血が垂れている気がするが。


「とにかく、私共は井之口の市場を見に来ただけの商人ですから……お気になさらずに」

「商人……? そういえば結構な荷物ですな」

「はい、実は旅をしながら商売をしてまして……途中立ち寄った清洲の品々をつい仕入れ過ぎたのです」

「ほう……、清洲ですか」


五郎がつい『清洲』と漏らした瞬間、重治の顔が真顔になる。

あまりに一瞬だった為に五郎と藤吉郎は気づかなかったが、重治は『見ても?』と許可を得てから品々を見ながら尋ねてくる。


「清洲……いえ、尾張の国はどうでしたか?」

「どう……とは?」

「尾張を越えて来られたのならば見聞きしておられるのでしょう? 我が美濃の斉藤家と尾張の織田家がどんな状況であるか」

「ええ、一応は」

「そんな状況の中、尾張の人々の様子が如何なものか……知りたいのです」

「……私共が見た限りで宜しいですか?」

「勿論、『おふた方』の意見が聞いてみたいのです」


五郎は藤吉郎に視線を送ると『どうする?』と目配せした、藤吉郎はその視線を切ると右手を膝の上でトントンと叩いて返事を寄越した。

(当たり障りの無いように……ね、了解)

ここで下手な事を言ってボロを出したくは無い、五郎はふーっと息を吐いてから口を開く。


「清洲の町はこの井之口よりも市場は見劣りしますが、人々は負けず劣らず活気がありました」

「尾張の織田信長殿は苛烈な人物だと聞きますが、民は圧政に苦しんではいないと?」

「どうでしょうか……数日だけしか滞在していませんので」

「そうですか……」

「ただ……一つ言えるのは、清洲の町民達は日々楽しそうに暮らしているように見えました」


五郎の感想を聞いて『ふむ』と漏らして暫く考え込んだ重治は、五郎と藤吉郎の顔を改めてジッと見つめる。

真剣な顔で見つめられて背筋が凍るような緊張感を味わう。

何か探られているような、見透かされているような視線を感じて心臓の鼓動が早くなる。

じとりと額に汗を掻きながら、視線を受け止めていると重治はフッと表情を緩ませて笑った。


「そうでしたか、いきなりの質問に答えて頂きありがとうございます」

「いえいえ! 大した事を教えれず……すみません」

「ははは、お礼を言うのは私の方ですよ……話はここまでにして食事にしましょう。重虎がお二人の為に腕によりをかけて作っていましたので」

「おお……楽しみです」


五郎の返事にうんうんと頷いた重治は立ち上がると、『案内しますので、ついてきて下さい』と告げる。

二人は重治が背を向けたのでホッとすると、立ち上がって後を追いかけた。

時間にすれば僅かの間だった筈だが、五郎にとっては凄く長い時間に感じた。

お陰で食事と聞いてお腹が鳴いたのだ、色々とあって大分体力も消耗したのでお腹の虫がカーニバル状態である。


「お、お腹減った……」


思わず五郎が漏らすと、五郎の呟きが聞こえたのだろう、重治が振り向いて告げる。


「重虎の作る食事は中々の物、期待していいですよ」

「……あぁ、それを聞いてもっとお腹が……」

「ははは、面白い人ですね五郎殿は」

「いや……食い意地を張ってすみません」

「良い事ではないですか、健啖でなければ旅など出来ないでしょう?」

「あ、あはは……」


重治は五郎に話を合わせながら案内をしてくれるので退屈をせずに済む。

藤吉郎は何やら考え込んでいるようだし、沈黙が苦手な五郎は重治と世間話で盛り上がる。

聞き上手なのだろう、五郎の話に上手く相槌を入れてくれるものだから夢中になって話してしまう。

すると突然重治が立ち止まったので、五郎も慌てて立ち止まると。


「着きましたよ、どうぞ中へ」

「それじゃ、失礼します」


五郎が頭を下げてから先に入ると、広間に配膳された料理と重虎が座って待っていた。

重虎は三人に気づくとにこりと微笑んで立ち上がり、二人を席へと案内する為に傍に寄る。

上座に重治、下座に重虎、間に挟まれるようにして二人は席に座ると重治が口を開いた。


「改めて、お二人には感謝します……どうかゆっくり食事を堪能してください」

「おかわりもありますから、遠慮せず食べて下さいね」

「では、食べましょう」


重治の合図で各々箸を伸ばす、五郎もすっかりお腹が減っていたので煮物らしき料理に箸をつける。

恐らく芋の類だと思うが……ホクホクとした食感に濃いめの味付けが白米に合う。

他にもお浸し、漬物、お味噌汁等のメニューにお腹がもっと寄越せと叫んでいる。


「ふふふ」

「重虎さん! 美味しいです!」

「喜んで頂いてなによりです」

「とても嬉しいです!」


美味しそうにご飯をかきこむ五郎を見て微笑む重虎も少しずつ箸を伸ばしている。

対面に座っている藤吉郎は食事を摂りながらどうやら重治と何やら話しているようだ。

この様子なら自分は食事に集中してもいいだろうと思った五郎は、目の前の料理を味わう事に神経を集中する事にした。


「重虎さんは料理がお上手なんですね」

「兄上があの調子ですから、私がしっかり食べさせれるように教わりましたので」

「なるほどねぇ……」


食事の合間に変哲の無い話を重虎と交わす、お腹一杯になるまで食べ続けた五郎は脹れたお腹を叩きながら重虎に淹れて貰ったお茶を啜る。

一足先に満足した五郎はのんびり胃を落ち着けながら皆が食べ終わるまでその様子を眺めるのであった。

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