第七十九章~五郎、迷子になる~
「どうしよう……」
五郎は大勢の人が賑わう市場の隅で途方に暮れていた。
右も左も人、人、人である。そこかしこで飛び交う声は市場の賑わいを感じさせてくれる。
意気揚々と藤吉郎と清洲を発ってから数日、予想より多くなった荷物を抱えてひいこらとこの井之口に着いたのはいいが……。
「……どうしよう……」
同じ言葉を繰り返しながら五郎は溜息をついた。
昼ごろだろうか、井之口に着いた二人は宿を決める事を後回しにして、先に市場を見ようと赴いたのだ。
清洲よりも賑わっている市場を見た五郎は、ついついはしゃいだ結果……見事に藤吉郎とはぐれてしまったのである。
「藤吉郎が何か言っていたような気がしたけど……聞き取れなかったんだよなぁ」
この賑わいである、飛び交う声にかき消され、更に五郎の意識があっちこっちに向くものだから全く耳に残っていない。
恐らくはぐれないように注意してくれたのだと思うが、既に一人ぽつんと佇んでいる五郎には意味が無い。
それにしても活気のある市場である、清洲の市場も負けてはいない!と言いたいが井之口の市場と比べるとまだまだに思える。
「いいなぁ~……あれも、これも」
通行の邪魔にならないように、人が少ない場所に荷物を下ろしてから眺める。
ここまで歩きながら眺めていたが、美味しそうな食材が沢山並んでいる。
その代わりに趣向品等は市場を占める割合が少ないようだ。
「あれは……!」
見た目がジャガイモらしき野菜がごろごろと積まれている出店に目を惹かれる。
この世界で五郎が嬉しかった事、それはジャガイモ等の食材がそれなりに存在している事であった。
戦国時代なんて紙切れでしか知らないのだ、何が存在して何が存在しなかったのか……五郎にとって未知の世界だったので安心したものである。
「手に入れて帰りたいなぁ……、揚羽や皆に食べて貰いたい料理が作れるし……」
すっかり思考が主夫になっているが、久しぶりにジャガイモを使った料理を食べたい。
特にジャガイモと玉葱を使ったお味噌汁が飲みたいのだ、ジャガイモのホクホクとした食感……それに玉葱の旨みが出て深みのある味になったお味噌汁。
「やべ、腹が減ってきた」
気づけば口から涎が垂れそうになっていた、袖で拭ってからここから見える範囲でめぼしい物が無いか探してみる。
この賑わいと店が所狭しと開かれている様子を見ると、自分が店を開く場所が確保出来るのだろうか。
最悪の場合、物々交換出来ないか交渉してみる事になりそうだ。
「あ、あれは……存在していたなんてっ!?」
五郎の目に留まったのは夏の定番、西瓜だった。しかもデカイ。
驚きのあまり二度見してしまったが、間違いない……あれは西瓜だ。
この暑い時期には冷やした西瓜に噛り付きたくなる、まさかこんな所で発見する事になろうとは……。
「やばい……楽しい!わくわくが止まらねぇ!」
性格が変わったかのようにテンションを上げている五郎、藤吉郎とはぐれて途方に暮れていた事などすっかり忘れて目を輝かせるのであった。
一方その頃、藤吉郎はというと……。
「五郎さんは何処に……」
市場の一角に持ってきた商品を並べると、藤吉郎は頬を掻いた。
子供の様に視線を彷徨わせてふらふらと歩き出した五郎に必死に声を掛けたものの、人の流れに遮られて見失ってしまったのである。
気掛かりなのは初めての土地で面倒事に巻き込まれていないか……そこである。
「不思議な事に、五郎さんと居ると面倒事に出くわす事が多いぜ」
そう呟く藤吉郎、しかし彼はどちらかというとお祭り騒ぎが好きな傾向がある。
勿論、藤吉郎が尊敬する信長の影響なのだが、藤吉郎の性格を考えると決してそれだけではないだろう。
「まっ、五郎さんの事だ。少し市場の流れを見てから探した方がいいかもしれない」
あの人が大人しく待っているとは思えない、見た目にはぼけーっとしているが意外と行動力があるのだ。
きっと今頃、この市場を見て回っているかもしれない。
何度か井之口を訪れているが、相変わらず賑わっていると思う。
しかし、通り過ぎる人々の話に耳を傾けていると、色々な情報が入ってくる。
「……へぇ、なるほどねぇ」
どうやら思ってた以上に斉藤家も苦しいようだ、耳に入ってくる情報の殆どが現当主・斎藤龍興に対する不満だ。
前当主・義龍は我が織田の軍勢に対抗していたが、龍興に代わってからは度々我が軍に侵攻を許している。
今の所は『竹中重治』なる家臣の手で退却を余儀なくされているが、龍興はその勝利に気をよくして遊びまわっているらしい。
「暢気なもんだぜ」
まだまだ織田の侵攻は終わっていないのだ、そんな状況で遊びに耽る余裕があるとは呆れてしまう。
町民達の反応からも、龍興の評判は相当なものである事が分かる。
それでも聳え立つ稲葉山に築かれた城を落とすのは苦労しそうだ。
「厄介な城だよなぁ……」
顎を手で支えて見上げる、この市場からもハッキリとその存在を確認できる。
藤吉郎は稲葉山城への攻めにはまだ参加した事はないが、この城を落とすとなると、どれ程のお金が掛かるか……。
「何度も攻めてたらすぐ金が消えちまうぜ」
ふぅーと大きく息を吐くと、藤吉郎は暫くぼーっと人の流れを見るのであった。
藤吉郎が情報収集を兼ねて軽く下見をしている頃、五郎はある店でお節介を焼いていた。
「重虎さん、これでいいかな?」
「えっと……それではなくて、向こうの品を……」
「あ、あれか! 兄さん!それ頂戴!」
五郎は元気良く声を掛けて品物を受け取ると、代金を支払う。
店先から抜け出すと額の汗を拭う、それから隣で申し訳なさそうに立っている女性に声を掛けた。
「はい、どーぞ」
「ご親切にありがとう御座います」
「いえいえ、困っていたみたいでしたから」
五郎に丁寧にお辞儀をしている女性、彼女は『重虎』という名前らしい。
初めは『重虎、女性なのに凄い名前だ』と驚いたが、雰囲気というか……仕草を観察していると武家の娘さんなのかもしれない。
「……えっと、まだ買い物があるんですよね?」
「はい、その前に何かお礼を……」
「あ~……お気遣い無く、それより大丈夫ですか?」
「大丈夫です、お世話になりました」
「それならいいんですけど……」
「本当に助かりました、五郎様」
「気をつけて下さいよ?」
五郎の心配に微笑んで頷くと、重虎はそのまま人混みに消えて行った。
結構な量の荷物を持っていたが、本当に大丈夫なのだろうか……。
ついお節介を焼いて色々と手伝ったが、いっそ最後まで付き合うべきだったかもしれない。
藤吉郎が何処にいるかも分からないので、行き違いが嫌でこの場所を離れがたかったが。
「大分待ってみたけど、藤吉郎の姿は見えないし……」
藤吉郎が聞いたら素っ頓狂な顔になるかもしれない、五郎は『はぐれた事に気づいてからずっと』ここで待ち続けていたのである。
流石にここから見える範囲で店を眺めていたが、すぐに限界がきたのだ。
そんな五郎が暇を持て余していた時に重虎を見つけたという訳である。
「ま、喜んで貰えたからいっか~」
五郎が良い事をしたなと自己満足に浸っていると、誰かが自分を呼んでいる事に気がつく。
何だろう?と顔を向けると、町民らしき男が五郎に何事か話しかけていたようだ
「おい、あんた!」
「は、はい!何でしょう!」
「あの荷物、あんたのだろ?」
「……そうです」
「最近、この辺も盗人が多いんだ……悪い事は言わねぇからしっかり持っておきなよ」
「ありがとうございます!」
「おう、気をつけな」
親切な忠告を受けて慌てて荷物を確認する、どうやら何も盗られてはいないようだ。
盗人の事を教えてくれた町民に感謝をすると、ホッと一息つく。
確かに無防備過ぎたかもしれない、しかし流石にこのまま藤吉郎を待つのは限界だ。
「よし、なるべく人が少ないルートで見て回るか」
五郎は『よっこらせっ』と荷物を背負うと、肩を軽く回して市場をぶらぶらと歩く事にしたのであった。




