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第七十八章~出発準備~

「井之口……か、楽しみだな!」


五郎はにやにやと頬を弛ませると、近々訪れる事になる目的地に期待を膨らませる。

稲葉山城の城下町である井之口は商業が盛んで、市場の賑わいは小規模ながら凄いらしい。

もしかしたら面白い品物や食材があるかもしれないのだ、五郎は懐にこっそり貯めていたへそくりを潜ませてほくそ笑んでいた。


「……さん、……郎さん!」

「うへへ……」

「五郎さん!」

「ひ、ひゃい!何でしょうか!」

「……やっと気づいてくれましたか」

「な、なんだぁ~……藤吉郎じゃないか」

「なんだ~……じゃないですよっ!井之口が楽しみなのは分かりますけど、ちゃんと準備してください」

「は、はい……」


普段はお調子者でひょうきんな藤吉郎だが、仕事になった途端真面目になる。

岡崎の時もそうだったが『お金』と『準備』に関しては手を抜かない性分のようだ。

そんな藤吉郎に諌められた五郎は浮き足立っていた気持ちを抑えて大人しく座る。


「え、えっと……」

「信長様は何と仰られたんです?」

「藤吉郎と供に井之口を見て来いと……あ、あとは井之口に着いてから書状を見ろと渡されたくらいかな……」

「書状ですか?」

「うん、『くれぐれも井之口に着くまで見るな』と念を押されたけど……」

「内密の任務でしょうか?」

「さぁ?」


二人は書状を見つめて暫く首を傾げていたが、考えても仕方が無いと悟る。


「それにしても良かった、藤吉郎を連れて行く許可が下りて」

「突然、信長様に呼び出されたので驚きましたよ~」

「あはは、見知らぬ土地に行くからさ……護衛を頼むなら気心が知れた人がいいじゃない?」

「そこで俺を選んでくれて嬉しいですよ」

「今回も宜しくね」

「此方こそ」


改めて握手を交わすと、次の話題へと話を移す。


「よく考えたら準備するって言っても……何か必要な物がある?」

「五郎さんの場合、路銀と刀だけで良いかもしれませんね」

「……藤吉郎は?」

「俺は流れ者の商人を装うつもりです、ついでに色々と清洲産の品々をもって行きますよ」

「お、おお!」

「???」

「いや、ごめん……今までずっとこの姿だったから、その手があったのかと……」

「……五郎さんも商人を装いますか?」

「出来る!?」

「え、ええ……」


身を乗り出した五郎に藤吉郎が若干引いていると、五郎はむふむふと含み笑いをしている。

『うわぁ……』と藤吉郎が頬を引き攣らせながら声を掛けるか躊躇していると。


「待てよ……」


五郎は一旦冷静になって考えてみる、藤吉郎が言った事を良く思い出す。

彼は言ったはずだ『清洲産の品々を持っていく』と……。


「藤吉郎!」

「はい?」

「もしかして、井之口の市場で商売を?」

「ええ……井之口でしか手に入らない品があれば、信長様に献上してますから」

「そ・れ・だ!」


五郎は勢い良く立ち上がると両手をグッと天に伸ばして叫んだ。

今まで与えられた路銀だけで賄っていたが、よく考えれば藤吉郎のように変装して清洲産の品物を売れば良かったのではないだろうか。

幸いな事に、声を掛ければ協力してくれそうな商人に何人か心当たりもある。

この機会に軽い商売に挑戦してもいいかもしれない、今後の為に。


「俺がいつまでも戦える気がしない」

「それ、信長様に聞かれたら斬られますよ?」

「だって! この間も可成さんに『相変わらずだな』と笑われながら叩きのめされたんだよ!?」

「あの御方は鬼の様に強いですから……」


藤吉郎が苦笑するが五郎は叩きのめされた時の事を思い出して震えた。

近頃は森家に顔を出す度に可成が相手をしてくれるのだが、少しずつ厳しくなっている気がするのだ。

それにボロボロになった五郎を見つけた森家の子供達には玩具にされる始末である。


「もう、許して……」

「五郎さん!?」

「ふふふ……」


虚ろな目で天井を見上げて笑い始めた五郎に驚いた藤吉郎は慌てて身体を揺さぶる。

その振動でハッとした五郎は頭を振って息を吐いた。

危うく暗黒面に落ちる所であった、五郎にとって今や森家は魔境と言える場所なのである。

五郎が元に戻った事を確認した藤吉郎は一つ咳をして口を開いた。


「それで、五郎さんはどうします?」

「俺も商人を装うよ」

「分かりました、なら五郎さんの分も服と品物を……」

「藤吉郎」

「はい?」

「俺の分は服だけ用意してくれないかな?」

「それは構いませんが……手ぶらじゃ怪しまれるかもしれませんよ?」

「大丈夫、ちょっと顔馴染みの商人が居てね」

「そうでしたか」

「それで相談なんだけど、少しだけ時間が欲しいんだ」

「いいですよ、信長様もすぐ向かえと仰いませんでしたし」


五郎が申し訳なさそうにお願いしたので、藤吉郎は微笑みながら快諾してくれる。

そうと決まれば後で店に顔を出しに行く必要がありそうだ、持って行く荷物が多過ぎず少な過ぎずにならぬように考える為にも早めに動くべきだろう。

五郎は顎に手を当てて考えに耽っていると、藤吉郎が声を掛けてきた。


「では、五郎さん……準備が出来たら呼んで下さい」

「分かった~、ごめんねわざわざ来てもらったのに」

「いえ! こうやって予定を立てる事は大切ですから、それに俺も五郎さんが準備出来るまで色々とやる事がありますし」

「そっか……なるべく早く終わらせるよ」

「はい、では失礼します」


軽く頭を下げて部屋を去って行く藤吉郎を見送ると、五郎は先に腹ごしらえをするべく台所へ向かった。

すると五郎に気づいた料理人が声を掛けてくる。


「旦那様? 如何しました」

「あ、いや……お腹減ったなぁ~っと」

「ははは、何かご用意しましょうか?」

「お願い出来るかな?」

「任せて下さい、出来たらお持ちします」

「お願いね~」


快諾してくれた料理人に感謝して自室に戻る。

まずお腹を満たしたら城下町へ出かけるとしよう、今日は朝から予定を空けていたのだ。

勿論、サボる為ではない。信長の話が長くなる可能性を考えた結果である。

そのお陰で昨日は揚羽にせっつかれながら夜まで仕事をする事になったが。


「……待てよ、また暫く家を空けるって事は……仕事が溜まる?」


当然の事だが五郎がするべき仕事は多かれ少なかれ存在する、ふと岡崎から戻った時を思い出した。

あの時、自分はどうしたんだったっけ……確か、揚羽が底冷えする様な空気を身体から溢れさせて五郎を監視し、暫く背筋が凍るような状況で溜まった仕事を必死で終わらせた筈。


「…………ふむ」


これは井之口でやるべき事がもう一つ増える事になりそうだ。

岡崎では色々とあったせいでお土産を買う余裕も無かった、しかし今度は藤吉郎と二人旅である。

計画通りに小銭でも稼げれば尚更都合が良い、ここは揚羽に自分のセンスを生かした素晴らしい贈り物を用意するしかあるまい。

ご機嫌を取れば少なくとも前回の様に怯えずに済む筈だ。


「これは重要なミッションになりそうだ」


一応、夫婦としてそれなりに月日も経った、よく考えたら揚羽を誘って出掛けた事も殆ど記憶に無い。

揚羽の性格から考えても、五郎に物をねだる事もないだろうし、何処かへ行きたいとお願いされる事もないだろう。

今回の任務が終わったら、揚羽を労う為に何処かへ誘うとしよう。

その為に、井之口で掘り出し物が見つかる事を期待するしかない。


「考える事が多過ぎて、つい後回しになっちゃうんだよねぇ」


自分より揚羽がしっかりしているからこそだが、つい疎かにしてしまう事が増えた自覚はある、もっと家族として触れ合う機会を増やすしかないだろう。

小難しい顔で考え込んでいると、外から美味しそうな匂いが漂ってくる。


「旦那様、お食事をお持ちしました」

「入っていいよ」

「失礼します、どうぞ……」

「うーん、良い匂い!」

「そうでしょう、揚羽様のお手製ですから」

「揚羽が作ってくれたの?」

「はい、旦那様が最近頑張っているので精の食事をと……」

「そっか、後でお礼を言わないと……ありがとう!」


五郎の感謝を伝えると料理を運んできた家人は頭を下げて退室して行った。

揚羽が五郎を気に掛けて作ってくれた料理は確かに元気が出そうな物ばかりだ。

後で必ず感謝を伝えなければならないなと思いながら箸を伸ばすのであった。

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