第七十四章~留守番~
「う、う~ん……こんな筈じゃ……」
清洲城城内の一室で五郎はお茶を啜りながら独り言を漏らす。
信長が城を発ったのは今朝の事、見送りの為に早く城に来たのであった。
既に信長は城を発つ所で、五郎に『留守は任せたぞ、すぐ戻る』と告げると、勝家を伴って出発したのである。
その見送りの後、のんびり城内を歩いていると声を掛けられたのだ。
「おお、丹羽様!もう来ておられましたか!」
「うん、信長様を見送ろうと思ってね」
「なるほど、お喜びになられたでしょう」
「そうなのかなぁ……いつもと同じだったような」
「ははは、信長様らしくて良いではありませんか」
「そうだねぇ……不遜な態度を崩さず堂々としてる信長様じゃなかったら、それはそれで可笑しいか」
五郎は小姓と笑い合うと、『そういえば』と尋ねた。
「留守を任されたけど、今日はどうしたらいいんだろう」
「そうですね、突然の来客や細々とした用件が無ければゆっくりとお過ごしになられて良いかと」
「う~む……それでいいんだろうか」
「信長様からも何かあれば丹羽様の判断に任せ、それ以外はゆっくりして良いと伺っております」
「そっか……それじゃ適当に城内を見て回って手伝えそうな事でも探そうかな」
「いえ、信長様からお部屋に案内するよう聞いてますから、そちらでごゆっくりされて下さい」
話を終えた五郎は小姓に部屋まで先導される、歩きながらすれ違う者達と挨拶を交わすと、小姓が立ち止まって部屋の戸を開けた。
「どうぞ、お入り下さい」
小姓に促されて部屋に入ると、既にお茶とお菓子が用意されていた。
朝から何も食べていなかった五郎は、美味しそうなお菓子を前にお腹を鳴らす。
その音を聞いた小姓は微笑むと『何かお食事をお持ちしましょう』と言って去ってしまった。
「あちゃ~……もう行っちゃったか」
五郎と違って皆は朝から仕事に精を出しているのだ、自分に気を遣って色々と世話をさせる訳にはいかないと思ったのだが。
今に始まった事ではないが、五郎は清洲城で働く者達によく声を掛けられる。
五郎が気軽に話しかけているお陰かもしれないが、自分の顔を見ると必ず話しかけられるのだ。
勿論、大歓迎なのだが忙しい合間に五郎の世話をしてもらうのは心苦しいものがある。
「嬉しいけど、やっぱ自分を優先して欲しいなぁ」
本人達は『大丈夫ですよ、これくらい』と言ってくれるが、こうして五郎の食事を用意したり、目的の場所を探して彷徨っていると付き添ってくれるのである。
なるべく手間を掛けさせない様に気をつけているのだが、中々上手く行かない。
他の家臣達の様に遠慮なく小姓達を使う事に慣れない五郎はどうしても躊躇するのだ。
「まぁいいか……折角気を遣ってくれたんだから、ありがたく頂こう」
取り敢えずお茶を啜ってホッと一息つくと、お菓子を軽く摘む。
このお菓子も高級品なのかもしれない、上品な味だが薄味ではなくしっかりとした味が空きっ腹に響く。
思わず二個、三個と手を伸ばしていると……目の前の戸がバタン!と開いて誰かが入ってきた。
「丹羽殿!何をのんびりして居るのです!」
「え、あ……その……」
「若殿が居ないからといって暢気にされては困りますぞ!」
「ひ、平手殿……しかし、今日は特に仕事はないと……」
「かぁぁぁ~~~~っつ!」
「ひぃ!」
「確かに今日は特に予定が無く暇になりましょう……しかし!」
「しかし……?」
「丹羽殿はまだまだ未熟、今日は丁度いい機会です、空いた時間は全て私の話を聞いて織田家に仕える者の心得を学んで頂きますぞ!」
「うへぇ」
「何か?」
「何でもありません!」
政秀に睨まれて背筋をピンと立てて返事をすると、五郎は心の中で嘆く。
(俺だけのんびりするのは心苦しいと思ったけど、一日中政秀殿と勉強は嫌だな……)
何度も政秀のお説教を受けた経験がある五郎は、政秀と二人で過ごす事がどれだけ精神的に疲れるか分かっている。
勉強についても教えてもらったのだが、ちょっと集中が途切れて上の空になると予定より長く勉強が延長していくのである。
「こ、これは大変な事になったな……」
意気揚々とした政秀を見る限り、ちょっとやそっとじゃ解放されないだろう。
今日一日勉強尽くしになるかもしれないと思うだけで若干憂鬱になる。
これまでも五郎なりに勉強してきたが、頭に入れる情報が多過ぎて難航しているのだ。
それでも大分この世界に馴染んできたと思うのだが、政秀は五郎が限界を訴えても跳ね除けて続けるのだから困る。
「はぁ……」
「丹羽殿!さぁ、行きますぞ!」
腕を掴んで引っ張る政秀に慌てて五郎は訴える。
「平手殿!ちょっとだけお待ちを!」
「……どうしたのです?」
「実は、朝から何も食べていないのです……それを見かねた者が食事を持ってきてくれると……」
「ふむ……分かりました」
「では?」
「私も鬼ではありません、それにお腹を空かせたままでは身が入らぬでしょう」
「おお!ありがとうございます!」
「しかし!食事が済んだら私の部屋に来るのですぞ!」
「は、はい!絶対に行きます!」
政秀にしっかりと返事をすると、政秀はそのまま部屋から去って行った。
いつも自分に厳しい政秀だが、目を掛けてくれているのは分かっているつもりだ。
初めて信長と会って気絶した時、自分を運んで介抱してくれたは政秀だと聞いているし、彼女なりに心配してくれているのだろうと思う。
問題があるとすれば、信長に巻き込まれて色々な事件を起こしているお陰で自分も問題児と認定されてる節がある所だろう。
「留守番なんて、受けるんじゃなかったかな……」
朝食が届くまでぼへ~っと遠くを見ながら茶を啜る五郎であった。
朝食の後、政秀の自室を訪ねると……思わぬ人物がそこに居た。
「あら、長秀殿ではありませんか」
「お、お久しぶりです」
「ふふふ、どうぞ座ってください」
「はい……失礼します」
五郎は部屋に入って座ると、目の前でにこにこと微笑んでいる人物に話しかける。
「濃姫様、お元気そうで何よりです」
「長秀殿こそ、お元気そうで……揚羽から色々と聞いていますよ」
「えっ! ……一体何を?」
「ふふ、それは秘密です」
「気になる……」
「今日は夫の代わりに留守を任されたとか」
「……そうなんですよねぇ」
「大丈夫、気負わずに普段通りの長秀殿で居ればよいのです」
「普段通りですか」
「ええ、どうせ夫もすぐ戻るでしょう」
「そうだと良いんですけど」
五郎と帰蝶が穏やかに話をしていると、奥の戸から政秀が顔を出す。
「丹羽殿、ちゃんと来たのですね感心しました」
「酷い!」
「近頃は若と一緒に問題ばかり起こしていたじゃありませんか、もし来なければどうしてやろうかと思っていました」
「こ、怖い……」
「ふふふ……」
暗い笑いを浮かべる政秀を見て五郎はゾッとする、本当はそのまま顔を出さずにやり過ごそうと思っていたが、思い直して訪ねたのは正解だったようだ。
二人のやり取りを見ていた帰蝶はくすりと笑うと、口を開いた。
「政秀殿、取り敢えず座られてください」
「そうですな、そう致しましょう」
「それで、これから長秀殿と何を?」
「実は、長秀殿にこれから勉強して頂こうと思っておりまして」
「ふふふ、それで張り切っていたのですね」
「ええ!若も長秀殿には一目置いておるようですし、しっかりと学んで頂かねば」
張り切る政秀を微笑ましそうに見る帰蝶と対照的に暗い表情を浮かべる五郎。
どうやら今日は本格的に勉強に励む事になりそうな気がして肩を落とす。
「あぁ……信長様、早く帰って来て下さい……」
一日でも早く信長に帰ってきて欲しい、でなければ自分は政秀の教育によって息絶えるかもしれない。
既に心身ともに疲れてきた五郎は帰蝶が自ら淹れてくれたお茶を啜るのであった。




