第五十章~松平元康との謁見~
「…………」
静まり返っている広間、そこで五郎は緊張した面持ちで正座していた。
自分が泊まっている宿に朝から乗り込んできた康政に連れられるまま、岡崎城のある広間に放り込まれたのである。
「……(チラ)」
「「「……(ギロリ)」」」
そろ~り視線を巡らせようとするが、背中に突き刺さってくる視線の鋭さと五郎を睨む様に視線を向けてくる家臣の皆さんに萎縮してしまう。
まるで極道映画のように並んでいる家臣の姿に五郎は喉が渇くほどの威圧感を感じる。
三河の武士は屈強だと聞いていたが、時代錯誤な短銃を取り出しても違和感がないほどの強面が五郎を囲んでいるのだ。この世界に来た当初だったら既に意識は飛んでいただろう。
(や、康政殿は何処に……)
五郎に対して友好的だった康政に助けを求めようと視線を恐る恐る動かすが、まだ姿を見せていないのか五郎の目では確認出来なかった。
(あ~……緊張で胃が痛くなってきた……)
胃の周囲を着物の上からさすりながら顔を顰めていると、襖が静かに開く。
それと同時に家臣一同が頭を下げた事に一拍遅れて気づいた五郎は慌てて自分も伏せる。
「一同、表を上げよ」
その声に顔を上げると、上段の間に座る人物が此方を見ていた。
その人物が纏う圧倒的な主君としての雰囲気に魅入っていたが、ハッとしてよく顔を見る。
五郎と居た時には見せなかった、鋭く、そして力強い目と落ち着き払ったその態度には小動物っぽさを垣間見せていた千代助の面影はない。
(康政さんに騙されたんじゃ……)
五郎が後で康政に愚痴でも言おうと考えていると、上段の間でジッとしていた松平元康らしき人物が口を開いた。
「にゃ、にゃを名乗るが良い!」
その言葉に広間が水を打ったように静まり返る。
異様な静けさが漂う中、上段の間に座っている元康らしき人物は、まるで別人のように涙目になりそうな目で五郎を見ていた。
その姿に見覚えがあるなと遠い目をすると、元康が千代助である事実を受け止めざるを得なかった。
それより問題は元康の噛んだ言葉により発生した無音空間である。
(どうするの!この空気!)
助けを求められている気がする……というか明らかに助けを求めているが、五郎は客人である上に相手はこの岡崎城の城主である。
例え、元康の保護欲を刺激するような目で見られても下手に動くことが出来ないのだ。
五郎が冷や汗を垂らしながらジッと耐えていると、家臣団の先頭に居た壮年の家臣が口を開いた。
「元康様、ゆっくりで構いませぬ、もう一度御願いします」
家臣の呼び掛けに少し落ち着いたのか、元康は一つ咳払いをして五郎に再度話しかける。
「そ、其の方、名を名乗れ」
「はっ!織田信長様に仕える家臣、丹羽長秀と申します」
名乗りと共に深く頭を下げる、暫く待って頭を上げようと許しを待つのだが……。
(あれ……?まだ下げてなきゃ……駄目なんだよなぁきっと)
様子を窺う事も出来ないので、声が掛かるまでじっと姿勢を保つ。
しかし、一向に声が掛かる気配がない、妙だなと思っていると上段の間から囁き声が聞こえてくる。
『忠次、次はどうすればいいの?』
『しっかりして下さい元康様、早く頭を上げるよう申すのです』
『……顔を上げていいよって言えばいいの?』
『……面を上げよと申してください』
聞いた此方が不安になりそうな会話をバッチリ耳にしてしまった五郎はこの後を考えると不安になる。
何かあったら康政が助けてくれるかもしれないが、敵地のど真ん中である。命の保障は確実ではない。
出来るならば、事を荒立てず、迅速に終わらせ、城から去ってしまいたい。
そんな事を考えながら油断していた所に声が掛かる。
「面を上げよ」
その声に慌てて顔を上げ、元康に視線を戻すと続けて問われる。
「今日は何用です?」
「はっ、此度は我が主君信長様の命により元康様への書状を預かって参りました」
「あ……こほん、信長公からの書状ですか」
「此方です」
五郎が頭を垂れながら懐から書状を差し出す、その書状を真剣な表情で読み始めると、元康は傍で待機していた家臣に預ける。
「なるほど、用件はわかりました……返事は後ほど長秀、その方に預けます」
「はっ!」
「では、この場はもう終って良いな?忠次」
「宜しいかと」
五郎は謁見が終わりそうな雰囲気にホッと胸を撫で下ろす、このまますんなりと自分を帰してくれるならば何も問題は無い。
昨日は康政の提案を受けて、元康の相手をすると口約束したが……この家臣団に睨まれたままでは心休まる暇があるとは思えない。
(さっきから視線を感じるんだよなぁ……好意的じゃない視線を……)
敵意とまではいかないだろうが、この広間に入ってから突き刺さる視線に長時間耐えれるほどには鍛えられていない。
五郎が早く終われと念じていると、元康は大きく息を吐いて口を開いた。
「それでは謁見を終わる、皆の者下がって良いぞ」
元康の言葉に深く一礼すると、各々広間を後にすると思っていた五郎は自分もそそくさと退室しようと立ち上がろうとした……その時である。
「長秀、その方は残りなさい」
元康から掛けられた言葉にピタっと静止する、五郎はゆっくりと顔を元康へ向けると、元康はジッと此方を見ていた。
問題はそれだけではない、元康が五郎を呼び止めた事に気づいた家臣の数人が五郎に近づいて来たのである。
どうしようと焦った五郎は、康政の姿を探すが……彼は元康に助言していた壮年の家臣と話している所であった。
「こ、こんな時に……」
思わず口に出して両手で押さえると、元康は再度五郎を呼ぶ。
「長秀、此方に参られよ」
「は、はい!」
「皆はもう良いぞ」
元康の言葉に家臣達は渋々頷くと、残ったのは極一部の家臣だけだった。
上段の間で五郎を暫く見ていた元康だったが、大体の家臣が広間から居なくなったのを確認すると立ち上がる。
五郎が一体何をするのか動向を窺っていると、元康は五郎に向かって飛びついてきた。
「のわぁ!」
突然の行動に倒れそうになったが、何とか踏ん張っていると元康は五郎のお腹の辺りに頭を埋めてぐりぐりと押し付けてくる。
五郎がどうしたらいいか迷っていると、康政と話していた人物が五郎に寄って来た。
「丹羽殿。申し遅れたが、俺は酒井忠次と申す」
「丹羽長秀と申します、此方こそ先に名乗らずに失礼を」
「堅苦しい謁見は終わったのだ、気になどせずに力を抜くといい」
「は、はぁ……」
忠次は五郎に引っ付いた元康を見ると、やれやれと呟いて猫を掴むようにして五郎から引き剥がす。
「忠次!何するの!」
「元康様、もうちょっと我慢して下さい」
「えぇ~……」
不満そうに顔を膨らませる元康を見て不覚にも顔がにやけそうになる、必死に表情を引き締めようとしていると、後ろでバタン!と音が鳴った。
何だろうと五郎が振り向くと、大男が倒れてジワリと血が流れているではないか。
「ぎゃああああああ!血がああああああ!」
突然の事件にショックを受けた五郎は思わず叫び声を上げる。
しかし五郎以外の人間は動じる気配が無い、それどころか倒れた男を引き摺ってどこかに運んでいったのである。
「あ、あの!あの人に一体何が……!」
五郎がパニックになっていると、康政がどうどうと宥める。
「落ち着いて五郎、別に死んでないから」
「で、でも倒れて血が!」
「あれ、鼻血だよ」
「血じゃないですか!鼻血だなんて……鼻血?」
「そう、鼻血」
康政はそれから五郎に顔を寄せると、小さな声で耳打ちしてくる。
『元康様、小動物みたいで可愛いだろう?』
『それは、分かる気がしますけど』
『皆、元康様が好き過ぎてさ、元康様の可愛い仕草を見るとよく倒れるんだ』
『怖!怖いですよ!』
『ま、まぁ結束力が高いのはそれだけ皆が元康様を好きな証拠なんだよ』
『ハッ!……もしかして元康様が噛んだ時に、俯いて震えていたのは』
『きっと耐えていたんじゃないかな』
『な、なるほど』
『まぁあれだけ可愛い所を見せられて御願いされてたら、魅了されちゃうよね』
康政から松平軍の強さの秘訣?を聞いた五郎は頭を抱える。
あんな強面の皆さんが元康に従う気持ちが若干分かるだけに、元康との接し方に気をつけなければ命が危ないかもしれない。
五郎が元康の扱いについて考えていると、忠次が改めて声を掛けてきた。
「さて、ここに居る者は温厚な者達ばかりだ、丹羽殿も安心して話に付き合って頂きたい」
「温……厚……!!」
忠次の衝撃的な発言に目を見開く、確かに鋭い視線を送ってくる者はいない……が、その屈強な身体に見る者を怯ませる迫力がある顔立ちの男達を目の前にしていると、すぐには受け入れられそうに無い。
「信長公の書状に拠れば、正式な場で同盟を結ぶ事を提案されている」
「結ぼう!いいよね?」
「元康様は少しお静かに」
「あう……」
「おほん、皆も我が軍の状況からこの提案を受けるべきか否か……分かっているだろうが、もし反対する者が居れば遠慮せずに申してくれ」
忠次の言葉に異を唱えるものは居なかった、逆にこれ以上、織田軍との小競り合いで疲弊する前に早く同盟を結んだほうが良いのではないのかと述べる者も居る。
その様子を見ていた忠次は康政に目で訴えると、康政は小さく頷いて皆の注目を集めるように手を叩く。
「細かい話は後にしましょう、元康様が決めた事なら無意味に異を唱えるものは他に居ないでしょう。織田との同盟を第一に皆の手綱を握るよう御願いします」
康政の言葉に『応!』と声を合わせると、広間から退室していく。
気がかりなのは、五郎の傍を通る際に何故か力強く肩を叩かれ、『元康様に失礼がないように』と警告された事である。
「丹羽殿は、元康様だけでなく皆からも気に入られた様ですな」
はっはっはと笑う忠次は傍で拗ねている元康に声を掛ける。
「元康様、約束通りに今日は丹羽殿と遊んでも構いません」
「本当!」
「ただし、今日は城内から抜け出さぬよう御願いします」
「分かった!城内ならいいんだね!」
「何かあれば康政に申すのですよ?」
「任せてよ」
元康は上段の間に居た時の威厳を木っ端微塵に吹き飛ばして、子供の様にそわそわしている。
「あの~……、俺の意思は……」
「丹羽殿、一応忠告しておきますが……元康様の命に背いたら家臣一同から命を狙われますぞ」
「…………あ、あはは」
忠次の忠告に肩を落とすと、五郎は元康に引っ張られて広間から連れ出される。
その光景を見送った忠次は康政に話しかけた。
「変な男だな、丹羽殿は」
「ですが、あの信長公の戦には常に付き添っているとの噂」
「ふむ、まぁ元康様があれだけ心を許しているのだ、ただならぬ男なのだろう」
「……う~ん、確かに変な才能は持っていそうですけどね」
康政は苦笑すると、後で元康と五郎に付き合う余裕を作る為に仕事を終わらせようと忠次と一緒に広間を去る。
この後、散々元康に付き合った五郎は久しぶりに体力を使い果たして倒れている所を康政に発見されるのであった。
因みに、五郎を見張ろうと部屋の外から様子を窺っていた数人の家臣は、五郎の前で見せる元康の仕草や表情にやられ、折り重なって倒れている所を発見されていた。
そんな事があってから、五郎を見る家臣の目は鋭さを無くし、時折五郎を訪ねる者は元康の可愛さについて語るようになっていく。
「な、なんだ!何が起こってるんだ!」
五郎は突然の対応の変化に状況を飲み込めなかったが、元康の可愛さを引き出せる事を自分の知らぬ間に広められた結果である。
結局、岡崎を離れる当日まで五郎は元康と図らずも友好を深めた者達と過ごす事になったのである。




