第四十五章~岡崎潜入~
「一人旅って最高だなぁ~」
五郎は気ままな一人旅を満喫していた、旅の目的地である岡崎には今朝到着した所だ。
この世界に来た頃に比べて旅にも大分慣れてきた、そのお陰で岡崎まで特にトラブルに巻き込まれる事も無く到着出来た。
路銀も慎重に使ってきたので余裕がある、伊勢での一件と最近目の当たりにした夫婦からお金の無駄遣いには気をつけようと心に決めた五郎は誘惑に負けずに岡崎まで自制して来たのである。
「何度……団子の誘惑に負けそうになった事か」
途中立ち寄った村や町の茶屋につい引き寄せられそうになったが、織田夫婦の喧嘩を思い出して耐えてきたのである。
詳細は省くが、実は五郎が屋敷に戻った後も大変な目にあったのだ、揚羽の機嫌を損ねる事はなるべく避けたい。
「それにしても、清洲とは違った活気があるな」
小さな村や町には連れて行かれたことが数度あるが、城下町はやはりその賑わいが違う。
人が多いのは勿論、腕っ節に自信がありそうな輩がちらほらと歩いているのも大きな違いだろう。
「うーん、話には聞いてたけど。尾張の人達と雰囲気が違うなぁ」
事前に教えられた情報によれば、三河の人々はちょっと荒々しい人が多いらしく、絡まれないように気をつけろと注意された事を思い出す。
確かに、清洲と違った活気がここにはある。
清洲が商人気質の活気だとすれば、この岡崎は武士気質と言えばいいのだろうか……町行く人々も屈強な身体をしている者が多く見える。
「さて、思ったより早く着いたし、数日はのんびり町中を見て回ろうかな~。信長様も自由な時間は好きにしろと仰ったし」
鼻歌でも歌いそうな程うきうきする五郎は、少しくらいならいいよね?と茶屋を求めて町を散策することにした。
宿は日が暮れる前に探し始めても間に合うだろう。
賑わう町の雰囲気に乗せられてうきうきした足取りで人々の流れに紛れ込むと姿を消した。
――数日前、清洲城にて。
「さて、勝家。報告しろ」
「はっ!」
信長の命に深く頭を下げると、勝家が報告を始める。
本来は岡崎の松平軍と戦うための陣頭指揮をしているはずなのだが、その松平軍も無理に拮抗を崩したくないのか此方が攻め込まない限り動きは無い。
徐々に三河で力を取り戻している松平軍だ、先の合戦……大高で痛い目を見た経験上無理は出来ない。
「今の所拮抗した状況が続いています、が……これ以上力をつけられると今川よりも厄介な存在になるかと」
「だろうな、だからこそ岡崎を取ることが出来れば良いのだが」
「松平軍の士気は衰えておりません、何より今川の敗走によってこれから勢いを増す可能性が考えられます」
「悠長にしては居られん……か」
「今すぐに……ではありませんが、手を打っておいたほうがいいかと」
信長は勝家の報告と状況分析に考え込むが、顔を顰めるとそっと腫れている頬をさすっている。
真剣な会議の場で頬を腫らしている信長の顔は普段と違って面白い顔に変貌している、その証拠に数人の家臣は笑いを堪えているのか身体を震わせている。
勝家は自分が居ない間に何があったのか聞いていない、会議の前から機嫌が良くないのも腫れた頬が原因だと思うのだが……。
「五郎、何か知らんか?」
五郎が会議に参加するときは必ず勝家の隣に座ることが暗黙の了解になっている、今日の会議に参加する事を聞いていた勝家は隣に居るはずの五郎に尋ねる。
「実は先日、濃姫様と喧嘩を……」
「ぶっ!……五郎、その顔はどうした?」
「あ、あははは……俺もちょっと喧嘩?を」
「つまり、信長様の無駄遣いが濃姫様にばれたのか?」
「はい、そうです」
勝家は五郎の返事に納得すると、信長が機嫌が悪いのは濃姫相手に相当絞られたからだろうと推察した。
それにしても、信長の腫れ方も結構酷いが、五郎の両頬も大分酷い。
勝家がそ~っと五郎の頬を突くと『あひゃ!』と奇妙な声を上げて五郎が跳ねる。
「勝家さん~、勘弁してくださいよ~」
「すまん、おたふくの様に腫れてるから突きたくなった。分かるだろ?」
「好きで腫れたんじゃないんですよ……」
「ははは!男前になったんじゃないか?ん?」
「えぇ~……皆、俺を見た途端吹き出して笑うんですよ?」
「まぁ理由は分かった、まさか俺が居ない時に起きるとはな」
「勝家さんが居たら……巻き込まれなかったかもしれないのに……」
「それは無いだろう、信長様は何度かその場に居合わせた俺と一益を盾にして暴れまわったこともある」
「なん……だと……」
勝家から肩をぽんぽんと叩かれると、五郎はがっくりと肩を落とす。
出張でもしない限り呼びつけられると断言された五郎は、この先も巻き込まれることが決定しているんじゃないかと思うと泣きそうである。
「おい、そろそろ続けるぞ」
気分が乗らない信長はだるそうに続きを促す。
会議の場で主君がだら~っと横になっている様は信長を慕う町民にはとても見せられない。
「信長様、ちょっと怠けすぎです」
「何、煩いばばぁと帰蝶からやっと開放されたのだ。少しぐらいよかろう?」
「……はぁ」
勝家が溜息をつくと『まぁまぁ』と他の家臣達が勝家を宥める。
あんな状態では何を言っても無駄だと悟ると、勝家は話を続けることにした。
「皆はどう思う?岡崎を攻め込むか、このまま拮抗状態を維持するか」
勝家の問いに家臣達の討論が始まる、ある家臣はこの間に美濃、そして伊勢を攻めようと提案する。
別の家臣は岡崎を攻め、今川の支配する駿河を取るべきだと提案した。
勝家は賑わう会議の中でぽつんとお茶を啜っている五郎の背中に張り手を一発くらわした。
「ぶーーーー!」
「おい、五郎……老けた爺さんみたいに茶を啜ってるんじゃない」
「いきなり背中に張り手はあんまりじゃないですか!?」
「頬が腫れてるんだ、背中くらいしか叩けないだろ?」
「叩く以外の選択肢はないんですか……」
五郎が涙目で訴えるが勝家は取り合ってくれない。
勝家は五郎が落ち着くのを待ってから言った。
「五郎、お前はどう思う?」
「え……」
「皆が話しているだろう?」
「そうですねぇ……このまま大きな戦にならないように平和的な解決を……」
「……お前らしい答えだが、その内相手から攻めて来るぞ」
「ですよねー」
「松平軍は厄介な奴が多い、出来れば正面からぶつかりたくないんだが」
「そんなに強いんです?」
「あぁ、俺でも油断したら首を刎ねられそうな奴が何人か居る」
五郎は勝家の言葉に『ひょえ~』と声を上げる、鬼のような勝家にそこまで言わせる人が居るなんて怖い。
想像して身体を震わせると、思わず落としそうだったお茶を持ち直して啜る。
「ほっ」
「五郎、お前も良い度胸してるよな」
「そそそそ、そんな事は」
「まぁいい、何か思いついたら遠慮せず言うんだぞ」
「は、はーい」
勝家はそれだけ言うと皆の輪に入って話し合いに参加する。
その後を茶を啜りながら見送ると、五郎はどうしたらいいかな~と考えていた。
結局その会議では方針は決まらず、また次回話し合うことにして解散となった。
「おい、勝家、五郎。……お前達は残れ」
信長がさっきまでだらけていた姿勢を正して二人を呼ぶ。
顔を見合わせた二人は広間から皆が退室した後で信長の前に腰を下ろす。
「どうしました?」
「うむ、二人に頼みがある」
信長の頼みと聞いた二人は顔を見合わせて顔を顰める。
「どうした?」
「あ、あの~その頼みごとって……」
「また、面倒事じゃないでしょうね?」
「勝家、まるで俺がいつも面倒事を頼んでいるみたいではないか」
「……えっ!?」
「…………」
二人の反応に信長が青筋を立てながら笑う。
「貴様等、俺を何だと思っている!」
「ど、どうどう!」
「五郎、信長様は馬じゃないぞ」
「知ってますよ!」
律儀に勝家に突っ込むと、五郎は必死に信長を宥める。
ムスッとした信長は大きな溜息をつくと、改めて口を開いた。
「勝家、このまま岡崎を奪い合っても仕方が無いのは俺も分かっている」
「では……」
「かといって攻める戦力も心もとないだろう」
「はい」
「未だに元康は今川と合流する気配がないのだろう?」
「そのようです、寧ろ混乱する今川軍から三河の地を取り戻してますので」
「元康……あの小狸に使いを寄越す」
「……何をなさるおつもりですか?」
「正直このまま三河と駿河を取るよりも、元康に駿河を抑えさせてさっさと美濃を取りに行きたいのだ」
「なるほど、手を組むと?」
「そうだ、その為に……五郎!お前に使いを頼む」
二人の真剣な話し合いを邪魔しないように聞き耳を立てていた五郎は、突然の指名に開いた口が塞がらない。
「おい、五郎?聞いているのか」
「あああああ……あがが……」
「ふんっ!」
「痛い!」
「五郎、聞いていたのだろう?」
「は、はぃ……」
「岡崎に向かい、元康に書状を届けてくれ」
「お、俺がですか……?」
「大丈夫だ、元康は俺の弟のようなものだ……きっと泣いて喜ぶ」
「…………」
疑わしげに信長を見る五郎の肩を叩くと、信長は決定事項だと書状を書き始める。
「勝家さん、本当に大丈夫なんです?」
「確かに松平元康殿は信長様が可愛がっていたが……」
「何か問題が?」
「いや……まぁ見れば分かるか」
「俺が行くのは決定なんですよね?」
「信長様がそう仰ってるからな、諦めろ。大丈夫だ、途中までは俺と一緒だ、その為に俺も呼ばれているんだろう」
「はぁ」
二人が話していると、信長は書き終わった書状を折りたたみ五郎に渡す。
緊張しながら受け取ると、五郎は信長に確認の為に尋ねる。
「岡崎の松平殿にお渡しするんですよね?」
「うむ、織田の使いと言えば大丈夫だ……一応忍びに言伝を頼むから安心しろ」
「それって忍びに書状を届けてもらうわけには……」
「話し合いの為の書状だぞ?それなり名のある者を使いにやらねば元康の顔が汚れるだろうが」
「な、なるほど」
「それに舐められてると応じぬ可能性もある」
信長は五郎にスッと包みを出す。
五郎は何だろうと思って受け取ってみると結構な重量感がある。
「路銀だ、受け取れ」
「こ、こんなに?」
「……帰蝶がお前に包めと煩かったのでな」
「あー……」
濃姫が後で何かお詫びをすると言っていたのを思い出す、恐らく信長なりに悪いと思って多めに包んでくれたのだろう。
「五郎、あまり急ぎすぎるなよ?目立つ行動は命取りだからな、ゆっくり書状を届ければいい。……もし早く岡崎に着く事があれば、連絡を寄越すまでゆっくりすればいいからな、無茶だけはするな」
「は、はい!」
「後、勝家は先に戻れ」
「……宜しいんですか?」
信長は勝家に頷くと、大丈夫だと扇子で畳をトントンと叩く。
五郎は信長から命じられた旅がのんびり出来ると嬉しそうに頬を緩ませている。
この後五郎を屋敷に帰し、勝家を送り出した信長は念の為に五郎に護衛をつけるべく指示を出すのであった。
一方、五郎は揚羽にお土産を約束してのんびり清洲を出発すると比較的楽なルートを歩いて岡崎へと向かったのである。




