第百十九章~猛犬と虎~
五郎は虚ろな目をして憔悴していた、何処でもいい、何なら牢の中でもいいからこの部屋から逃げ出したい気分だった。
お茶の一件もだが、事ある毎に火花を散らしあう利家と重虎を取り成すのに疲れてしまったのである。
「も、もう無理……」
五郎は利家と重虎を見て分かった事がある、それは……この二人は『水と油』なのだという事だ。
怪我の影響で利家が大暴れしないのが救いなのかもしれないが、それでも気を抜けば重虎に飛び掛りそうで心配になる。
「し、重治殿……ちょっとお聞きしたい事が……」
このままでは駄目だと重治に話題を振る為に声を掛ける、するとお茶を啜ってのほほんとしていた重治が五郎の呼びかけに反応した。
「うん? どうかされたかな?」
「あの、安藤殿からお聞きしたのですが……俺達はいつ清洲へ帰れるのでしょうか?」
「ふむ……」
「……帰してくれるん……ですよね?」
「それは勿論」
「そ、そうですか……」
五郎がホッとするのも束の間、重治は五郎にサラッと告げる。
「ですが……一月はこの城に留まって頂くかもしれませんねぇ、はっはっはっ!」
「……え”っ」
「利家殿も怪我をしておられる、その状態で身を守るのは至難の業でしょう。此方としても道中で『何か』あったら困りますからね」
「……そ、それは」
「それにお二人は信長公の使者として来られたのでしょう? ついでに信長公のお話を伺うとしましょう」
「あ、有難う御座います」
「但し」
「但し?」
「先に言っておきますが……まさかこの城を明け渡せなんて莫迦な事は仰られないでしょうね?」
「うぐっ……」
重治が表情を一変させて放った一言に五郎は言葉を詰まらせる。
どうやら重治は信長が何を要求するか予想していたのだろう、見事に先手を打たれた五郎は黙り込んでしまう。
すると重治は表情を和らげると、話題を変える。
「それよりも、五郎殿……貴方のお話を色々伺いたいのですが」
「お、俺の……ですか?」
「ええ、『貴方の』です」
どうやら重治はそんな事よりも五郎が気になるらしい、にこにこと人のいい笑顔で五郎からの返事を待っている。
しかし、五郎はその笑顔をそう簡単には信じられない。
(先に二人を何とかしないと、いつ重治殿が怒るか分からないからなぁ……)
そう、五郎は重治が勘違いから襲い掛かってきた事を覚えている。
その理由が利家が噛み付こうとしている『重虎』なのだ、このまま二人を放っておいて重虎に利家が手を出そうとすればどうなるやら……。
「え、え~っと……」
「…………(にこにこ)」
「し、重治殿! お願いです……っ!」
「はい?」
「俺の話なら幾らでも致します、その前にこの二人を取り成すお手伝いを……」
五郎の頼みを耳にした重治は視線を火花を散らしながらにらみ合う二人に向ける。
暫し間を置いてから五郎に視線を戻した重治は、顎を手で摩りながら頭を捻る。
どうやら自分の頼みを聞いて何か考えてくれているような気がするが、この様子だと重治でもどうしようもないのかもしれない。
「重治殿ぉ~」
「いや、私も何とかして差し上げたいのは山々ですが……重虎も頑固者でしてねぇ、ははは!」
「ははは! じゃないですよぉ……」
「だが、どうやら利家殿に何を申しても無駄なご様子」
「……(ちらっ)」
「がるるるるる!」
「……(絶望)」
「ね?」
「は、はい……」
確かに重治の言うとおり、すっかり猛犬と化した利家には声が届きそうにない。
こんな時、信長や勝家だったら拳骨の一発や二発で言う事を聞かせるのかもしれないが。
「……絶対噛まれるよなぁ、痛いのは嫌だし」
「どうやらこの二人は反りが合わぬようですな」
「へ……? あっ、そうですね……」
「さて、どうしたものやら……」
五郎が重治と一緒に頭を捻っていると、それまで黙っていた重虎が口を開いた。
「兄上」
「……」
「……兄上っ」
「ん?」
「このまま安藤様のお部屋に居れば、このお犬様が部屋を荒らすかもしれません」
「これ、重虎……無礼が過ぎるぞ」
「……すみません」
「だが……確かにここで暴れられると私も困るなぁ……」
「安藤殿には書置きを残して部屋を移しませんか?」
「……そうするか、お二人もそれで宜しいか?」
「あ、はい……(ちらっ)」
「がるるるる!」
ここは重虎の提案に大人しく従った方がいいだろう、部屋の主が不在の間に荒らしたら急に扱いが変わるかもしれない。
「そ、それで……一体何処へ?」
「私が今使っている部屋に行きましょう」
「分かりました」
「それでは……重虎!」
「はい」
「俺がお二人を連れて行く、すまないがお前は安藤殿に書置きを残してから来てくれ」
「兄上をお一人にする訳には……!」
「大丈夫だ、利家殿とあろう御方が無手の私相手に二人掛など卑怯な事をなさる筈がない……でしょう?」
「あ、当たり前だろう! この俺がそんな卑怯な手を使うわけないだろ!」
「あ……犬から人に戻った」
「な?」
「……しかし」
「何かあったら、二人とも始末すればよい」
「い”っ!?」
「……な~んて」
重治のお茶目なのかもしれないが、殺気が滲んだ一言に五郎は鳥肌が立つ。
確かに一瞬だが刀を突きつけられたような感覚を味わったのだ、やはり油断すると危険だと五郎は気を引き締める。
「五郎殿、そんな警戒せずとも冗談ですよ、冗談」
「は、はい」
「……」
「さて、では……行きましょうか」
重治の後に続くように二人も部屋を出る、後に残されたのは書置きを残す役目を任された重虎のみである。
重虎は大きく息を吐くとぼそりと呟く。
「色々五郎様にはお聞きしようと思ったのですが……儘ならぬものですね」
しかし、これでも自分なりに出来る限り利家を刺激せぬように対応したつもりである。
だがどうにも反りが合わない、きっとこの先も利家とは仲良く出来る気がしないと重虎は感じていた。
「いやぁ、利家殿は中々気骨がある方ですねぇ」
「あん?」
「……気骨?」
「私の妹も中々の物だと思っていましたが、利家殿には負けるかもしれませんね」
「はんっ! 俺に勝てる奴なんてそうは居ねぇ!」
「なるほどなるほど」
重治の言葉に気分を良くしたのだろう、利家は重虎と対峙していた時打って変わって上機嫌で話し続ける。
(利家が乗せられやすいのか、重治殿の話術が凄いのか……)
適当に相槌を打つだけで楽なのだが、五郎は利家がぽろっと口を滑らせないかだけが不安である。
調子に乗った利家がドジを踏まなかった記憶が殆どないのだ、一応警戒だけはしておかねばならないだろう。
「話は変わるのですが……」
「あん?」
「利家殿は五郎殿とどの様なご関係で?」
「……」
「……」
重治の言葉に五郎と利家は顔を見合わせる、二人は目で意思を通じ合わせて頷きあう。
「五郎は……こんな弱っちい見て呉れだが、俺の忠実な家臣の一人だ」
「……そ、そうなのです(と、利家……ここぞとばかりに好き勝手言っちゃって)」
「ほう」
「今回も俺一人では危険だ、どうしても付いて来たいと泣きつかれてだな……」
「……(が、我慢だ…我慢)」
「なるほど、そういった経緯で……(ちらり)」
五郎が利家に突っ込みたいのを我慢していると、どうやら重治も利家の言葉を真に受けてはいないらしい。
利家の話を聞きながらちらちらと五郎の顔を窺う様に視線を寄越してくる。
(と、利家には難易度が高かったかな……)
流石に重治……いや、竹中半兵衛ほどの相手では分が悪かったかもしれない。
五郎は妙な事だけは言わないでくれよと念じながら重治の部屋へ案内される間、愛想笑いを浮かべ続けるのであった。




