第百十三章~潜伏~
「五郎! いつまでこうしてる……もがっ!」
「ちょっと! 静かにっ!」
「もが! もがが!(おい! 離せ!)」
「大人しくして!」
「…………」
「いい? 離すけど静かにしてね?」
「…………(こく)」
渋々頷いた利家は五郎に言われたとおり静かになる、五郎はホッとして利家の口から手を離した。
ぷはっと息を吸った利家は少し落ち着いたのか小声で五郎に文句を言い始めた。
「五郎、いきなり口を塞ぎやがって……苦しかっただろ!」
「仕方ないでしょっ! あのまま大声上げてたら見つかっちゃうよ!」
「見つかったらぶっ倒せばいいだけだろ?」
「もっと大騒ぎになるよっ!」
「なんでぇ、別に命まで取る訳じゃねーんだぜ?」
「いや、どっちにしても目を付けられるだけでしょ! これ以上身動きが取れなくなったらお役目所か清洲に帰るのも大変だよ!」
「……面倒くせぇな」
「いや、利家はどうして自信満々にこのお役目を受けたのさ……」
「そりゃ、使者ってのは信長様の建前上のお役目で……本当は俺に竹中って奴の首を取ってこさせる為じゃねーのか?」
「いやいやいやっ! せめて敵情視察にして!?」
「違うのかよ?」
「そんな事したら美濃の民達がどれだけ信長様に反感を持つと思ってるのさ」
「あん?」
「……駄目だ、この顔は何も分かっていない……ある意味純粋な目をしている……」
五郎は利家を見てから深く溜息をつく、どうやら井之口に到着してから千党体制に入ってしまったらしい。
散々この町への道中でくどくど言い聞かせたというのに一瞬で吹き飛んだようだ。
もし、このまま自分達を探し回っている兵達に見つかりでもしたら……。
「あぁ……胃が、お腹が痛くなってきた……」
想像するだけで最悪の状況である、稲葉山城の城下町である井之口に美濃三人衆の一人である安藤守就の兵が闊歩していると聞いていたが……。
「予想以上に多いなぁ……」
「あん?」
「いや、町を警護している兵の数だよ」
「そうかぁ? 確か数千の兵が居たって話だろ? 大分城に居るんじゃねぇのか?」
「うへぇ……行きたくないなぁ」
「行きたくないだぁ? 五郎、お前も男だろ? これ位で怯えるんじゃねぇ!」
「俺は利家と違ってか弱いのっ! この前も揚羽に鍛錬で負けたのに……」
「…………五郎、そう気を落とすな」
「今はその優しさが痛いっ!」
利家が可哀想な目をして五郎を優しく慰める、その優しさが五郎には辛かった。
二人がそうやって物陰に隠れてあーだこーだしていると、突然背後でカタッと音がしてピタっと固まる。
息を呑んでそろ~りと後ろを振り返ると、相手が二人の顔を見て大声を上げた。
「い、居たぞ~~~!!」
「やばいっ!」「やべぇ!」
「こっちだ~~!! さっきの奴らはここだ~~!!」
兵が叫ぶと同時に二人は表に飛び出す、驚いて固まる民達の中に紛れながら人気の無い方へ走る。
「どうすんだよ! 結局見つかっちまったじゃねぇか!」
「利家だって! 全く気配に気づいてなかったじゃないか!」
「くそっ! 面倒だな……取り敢えず追いかけてくる奴だけでも殺っていいか?」
「殺ったら駄目だよっ!? 物騒な事言わないで逃げるの!」
「まだ逃げるのかよ~……」
「仕方ないでしょ! 下手に手を出すと信長様が何て言われるか分からないよ!」
「けっ! 俺が織田の前田利家様だと言っても信じなかったんだぜ? 一人や二人殺っても平気だろ?」
「いやいや……難癖つける理由になれば俺達が誰であろうといいんだよ!」
「あん?」
「兵達じゃなくて頭の良い人物に利用されたら面倒って事!」
「……まぁいいや」
「ちょっと! 面倒になったでしょ!」
「五月蝿い五月蝿い! それよりさっさと撒こうぜ!」
「わ、分かってるよ」
「もうちょっと気合入れねぇと追いつかれるぞ!」
「こ、これでもっ……必死……な・ん・だ・よっ!」
「ちっ、おらよっ!」
息を荒げてペースを落とす五郎を見かねた利家は舌打ちをしながら五郎の手を掴む。
「うおっ!」
ぐっと利家に引っ張られた五郎は足を縺れさせないよう必死に動かしながらグングンと速度を上げた。
その代わりに今度は利家が引っ張っている手が物凄く痛い、いつもなら『痛いっ!痛いよっ!』と叫ぶ所だが歯を食いしばって堪える。
ここで叫んだら余計に注目を浴びて面倒になるだけである。
「ぐ……ぐぎぎ」
「よし、あそこを曲がってみるか!」
「…………(ぶんぶん!)」
「ぬおりゃああああ!」
利家が更に加速すると五郎は足が浮いているような錯覚を感じる、もはや凧の様に引っ張られている状態だ。
この状況で抗える事も出来ず流れに身を任せていると、利家が通路を抜けて曲がる。
「みぎゃっ!!」
利家は聞こえた悲鳴に振り返る余裕も無く、兵士の気配が消えるまで全速力で適当に狭い路地を走り回る。
暫く走っていると誰も追いかけてきている気配も消えた、利家はもう大丈夫だろうと念の為に見つかり難そうな物陰を探して身を隠す。
「ふぅ、これで暫くは大丈夫だろ……」
やっと一息ついた利家はすっかり静かになった五郎を思い出して視線を向ける。
すると五郎は白目を剥いて口から泡を吹いて身体を痙攣させていた。
「……何やってんだ、こいつ」
実は利家が三叉路を曲がる際に勢いのまま顔から壁に激突した五郎は意識を失ったのである。
幸い手を掴んでいたのが利家だった為に置き去りにはならなかったが、意識を失って脱力した五郎は利家が走り回る間色々な場所に身体をぶつけていた為にボロボロになっていた。
「おーい、いつまで寝てんだよー?」
利家が五郎の頬を叩いてみるが、ピクッピクッと反応するだけである。
「……まぁいいか、取り敢えず俺もちょっと一休みするか」
ぽりぽりと頭を掻いた利家は腰を下ろすと大きく息を吐いて身体を休めた。
数分後、五郎は刀を持った信長に追い掛け回される命がけの鬼ごっこから目を覚ますとがばっと身を起こす。
「し、死んじゃいますって! ……あれ?」
キョロキョロと視線を彷徨わせると薄暗い路地の様だ、五郎は信長が居ない事に安堵すると頭を掻いた。
「ゆ、夢だったか……」
自分が悪夢を見ていたのだと気づいた五郎はどうしてこんな場所に居るのか思う出そうと試みる。
確か……自分は何者かに追われて……逃げ回って居たような……。
「あっ! 利家は!?」
「五月蝿いなぁ……少し気持ちよく寝てたってぇのに」
「い、居た……良かった……」
ホッとした五郎だったが、兵士に追われていた事を思い出して周囲を忙しなく見渡す。
すると利家がやれやれといった表情で五郎に告げた。
「安心しろ、今の所誰も来てねーぞ」
「そ、そっか……上手く撒けたんだね」
「おう、俺に掛かればこんなもんよ」
「あ、あはは……アイテテ」
安心したら突然身体のあちこちが痛くなる、五郎はどうしたんだろうと自分の身体を確認してみると……。
「うわ……赤くなってる……どうしてだろう」
あちこちに赤くなった所や鬱血したような所がある、なんでだろうと首を捻っていると服に血らしき赤い染みまで付いている事に気づいた。
「……血?」
身体を手で触ってみるが出血している箇所は無いようだが……『ふむ』と手を口元にやると妙な感触がする。
なんだろうと思った五郎は鼻の下、口の周囲を手で拭ってみると血が手に付着したので驚いた。
「鼻血!?」
どうやらいつの間にか鼻から血が出ていたようだ、そういえば何故か顔が痛い気がするが何があったのだろう。
どうにも利家に引っ張られて曲がり角を曲がった所までは覚えているのだが……。
「うぅ……何か怖いなぁ……全く記憶に無い……」
「何だ、鼻から血が出てたのか」
「う、うん……」
「……もう止まってるみたいだから放っておけよ~、それよりこれからどうするよ?」
「何とか手配してある宿に駆け込みたいんだけど……あそこなら信長様の手が回してある筈だからそう簡単に見つからないと思う」
「よし、ならもう少し休んだら向かおうぜ」
「そ、そうだね……」
色々と気になる事はあるが利家に従った方がここは良いだろう、五郎は今度こそは見つからずに済ませたいなと思いながら暫し身体を休めるのであった。




