第百十二章~前田利家、信長の使者となる~
信長の説教は長々と続いている、流石に五郎も自分に関係が無い小言を聞いて眠たくなってくる。
うつらうつらと頭を揺らしていると、五郎の頭にカーン!といっそ気持ちいい位の音
と衝撃が響く。
「……っ!?(悶絶)」
五郎が頭を抱えて悶えていると、信長の声が聞こえてくる。
「五郎! 堂々と舟を漕ぐんじゃない! 気が散るわ!」
「この仕打ちはあんまりでしょ! 一体何を投げて……えっ?(べたっ)」
「扇子だ」
「げっ! 利家の唾液が付いてる扇子だ!」
「油断するからそうなる」
「ちょっと! いつもだけ扇子は投げないのに利家の唾液で駄目になった途端投げるなんて!」
「ええい! いいからお前は眠気を覚ましてこい! あ、ついでに誰かに代わりの扇子を持ってくるように伝えろ」
「はいはい……うへぇ、ちょっと水で洗おう……」
「五郎! 黙って聞いてりゃ……俺の唾液が汚いみたいじゃねぇか!」
「汚いよ!」「汚いわ!」
「そ、そんな……信長様まで御一緒に叫ばなくても……」
利家がショックで肩を落とした姿を横目に五郎は部屋から出る、恐らくもう暫くはお説教が続くかもしれない。
今回はお気に入りの扇子もお亡くなりになったのだ、信長の目が本気だったので五郎も宥めれないと悟って大人しく話を聞いていたのである。
「いやぁ、利家は戦になれば凄く勇猛果敢って感じなのにねぇ」
普段からもうちょっと落ち着いてくれたら信長に叱られる事も減る気がするが、それはそれで利家の良い所が無くなる気もする。
「……結局、利家はこのままが一番って事か」
うんうんと頷くと五郎はぶらぶらと城内を歩き回るのであった。
「信長様、扇子持ってきましたよ~」
「入れ」
「失礼しま~……す」
「良い所で帰ってきたな、丁度終わった所だ」
「…………」
「どうした?」
「あ、あの……利家が真っ白に……」
「気にするな、暫く放っておけ」
「は、はぁ……」
一体自分が居ない間に何があったのだろう、ピクリともせず固まっている利家はまるで彫像のようである。
試しにコンコンと頭を叩いてみるが、利家からは何も反応がない。
「うん、こりゃ駄目だ」
「全く、今日は折角早い時間から呼び集めたというのに……無駄な時間であったわ」
「あ、あはは……」
「まだ肝心の話が終わっておらんのに、日が高くなっているではないか」
「そろそろお腹が減る頃合ですねぇ……」
五郎は信長と揃って空を眺める、今日は青空に所々雲が漂っていいお昼寝日和である。
早く話が終わっていれば屋敷で転寝してもいいなぁと思うほどだ。
「五郎、戸を閉めろ。もう十分だろう、そろそろ肝心の話を始めるぞ」
「はーい」
「さて……ふんっ!」
「い、いてぇ!!!」
戸を閉めると同時にゴンッといい音がして五郎は吃驚して振り向いた、すると信長の拳骨が利家の頑丈そうな頭に直撃している瞬間であった。
叫び声を上げて悶え転がる利家を見る限り、中々の威力だったに違いない。
「やべぇ、あれは貰いたくないな……」
五郎も信長に叱られる事はあるが、直接手を上げられた事はない。
ただ、手を上げる所か斬られそうになった事はあるが……。
「ふむ……そっちの方がおかしいか……」
五郎がぶつぶつと呟いていると信長が呼ぶ声が聞こえる。
「おい、五郎……始めるぞ」
「はいはい」
「うぅ、痛い……」
信長の前に利家と並んで座ると、こほんと一つ咳をした信長が姿勢を正して口を開いた。
「無駄に手間取ったが……五郎、利家。今日、俺が二人を呼んだ理由は分かっているな?」
「……はい」
「は、はいっ!」
「よし、ならば話は早い……利家、お前には何としても稲葉山城を占拠している竹中半兵衛から城を明け渡すよう交渉して来い」
「は、ははっ!」
「頼んだぞ!」
「……あ、あの~」
「んん? 何だ?」
「一つだけ、信長様にお聞きしたい事が……」
「言ってみろ」
「どうして五郎が居るんです?」
「五郎がお前と共に稲葉山城へ向かうからだ」
「えっ!?」
「……」
「お前だけでは心配だ心配だと五郎が言うのでな、『そんなに心配なら付いて行ってもよいのだぞ』と許したのだ」
「……っ!?」
とんでもない嘘を平然と言う信長に咄嗟に言葉が出ない、絶句した五郎が目を見開いていると利家が五郎を見てムスッとした表情で声を掛けてくる。
「おう、五郎……俺を誰だと思っているんだ? この位、俺にかかれば一瞬よ!」
「……そ、そうだね」
「全く、ただ稲葉山城に居る……何だっけ、勘兵衛だっけ? そいつに城を明け渡させればいいだろう? 楽勝だぜ!」
「半兵衛だよ、半兵衛……」
「勘兵衛でも半兵衛でもどっちでも一緒だろ?」
「い、いや……そこは違うと思う……」
「そんな事より、五郎。お前本気で俺に付いて来るのかぁ?」
「……まぁ、一応」
「ふ~ん……」
五郎は利家から訝しげな目で見られたのでついっと視線を逸らす、逸らした先にあった信長は澄ました顔で自分と利家を見ている。
(あ、あの殿様……面倒だと思って俺に後は放り投げるつもりだ……!)
そうはさせまいと五郎は一つ咳をすると、真剣な表情(五郎にとって)で利家に言う。
「利家、良く聞いてくれ……君の事を心配してるのは俺じゃなくて信長様なんだよ、ここは大人しく聞き入れてくれないだろうか」
「え……」
「あっ! 五郎、貴様!」
「……(にやり)」
「の、信長様! 何故五郎を一緒に連れて行く必要があるのですか!」
「ええい! しがみ付いてくるな! 訳を話すから離れろ!」
信長はひしっとしがみ付いてくる利家を引き剥がすと息を荒げながら利家に告げた。
「良いか利家、お前一人送ってみろ……絶対に騒ぎを起こすだろう」
「そ、そんな事はありませんよ! 俺だって……」
「ほう、たとえ挑発されても乗らないと?」
「挑発? ははは! 売られた喧嘩は買うに決まっていますよ!」
「……やはりお前だけでは余計な騒ぎが起きそうだ」
「ええっ!?」
「お前がもう少し忍耐があれば供など要らんのだが……」
「そ、そんな……」
「騒ぎを起こすのは避けたいのだ、お前が何と言おうと五郎を連れて行け! 良いな!」
「……はい」
有無を言わせぬ信長に流石の利家も渋々頷く、五郎は暴れだしそうな雰囲気だったのでホッと安心すると出来るだけ明るい口調で場の空気を変えようと声を上げる。
「信長様!」
「ん?」
「話は終わりでしょ? ならお腹も減ってきたしご飯二しましょうよ!」
「む……確かに腹が減ってきたな……」
「利家も、決まった以上うじうじするのは君らしくないよ。ご飯でも食べて信長様の期待に添えるよう準備でもしようよ」
「お、おう…………そうだなっ!」
「待て」
「はい?」
「飯は良いが……まだ食事の準備などさせておらんぞ」
「ふっ……それなら食べに行けばいいだけの事じゃないですか」
「お前も大分吹っ切れてきたな……」
「信長様のせいですよ、信長様の」
五郎と信長はにやりと笑い合うとポカンとしている利家を引き摺って部屋を移動する。
そこはいつも城を抜け出す時に着替えたりする部屋である、二人はお馴染みになった変装服を着込むと手早く支度する。
「今日こそは平手殿に見つからないように」
「城を出る前に根回しするしかあるまい」
「おっと、流石信長様ずるい」
「ずるいとはなんだ、ずるいとは」
二人が話し合っていると利家が所在無さげに視線を彷徨わせている事に気づいた。
五郎は信長に何事か耳打ちするとにやりと悪い笑顔を浮かべる。
その表情を見た利家は本能的に後退りする、だがすぐ後ろに壁があって追い詰めらた。
「利家、さぁ……君も着替えるんだ」
「安心しろ、ちゃんとお前に似合いの服を着せてやる」
「ふ、二人とも顔が怖いぜ……?」
「「ふっふっふっ」」
「あ、止めろよ! 服を脱がそうとするな! ちょ、ちょっと! だ、誰か~~!!」
暫く部屋から聞こえていた利家の悲鳴はピタリと止むと、辺りには妙な静けさだけが残った。




