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第百十一章~猛犬の手綱を任される~

成利と分かれた五郎は信長の部屋の前で大きく深呼吸をしていた。


「よしっ……信長様~、長秀です」

「さっさと入れ」

「は、はい」


許しを得て部屋に入ると、信長は『待っていたぞ』と言わんばかりの表情で五郎を出迎える。

(どうしてだろう、凄く満面の笑顔なのに邪悪なオーラを感じるな……)

本能的に後退りするが、信長が五郎の行動を見て訝しげな表情に変わったので慌てて歩み寄る。

信長の前に座って一礼した五郎は若干緊張しながら口を開いた。


「ま、まだ利家は来ていないんですね」

「うむ、あの犬め……よく吠える割にいい加減な所があるからな」

「あ、あはは……」

「まぁ、そのお陰で二人だけになったのだ、丁度良い」

「…………(ささっ)」

「……どうして後ろへ下がる?」

「い、いえ……嫌な予感がしてつい……」

「…………」

「…………」

「お前は何を警戒しているのだ」

「い、いやぁ……ちょっと……」

「いいから早くこっちに来い」

「は、はい……」


信長から『二人だけになった』、『丁度良い』と言われたのだ、警戒するに決まっている。

この場合は大抵悪戯の時と同じ展開だが、今回は昨日の件がある。

きっと自分にとって歓迎したくない話をされそうな予感がするのだ、五郎はやっぱり帰りたいなぁと思いながら渋々信長の前に座る。


「五郎、そんな事より利家が来る前に話しておきたい事がある」

「……話したい事、ですか?」

「うむ」


信長が一変して真剣な表情で話すものだから五郎は反射的に背筋を伸ばして聞き返す。

五郎はこんな時信長が『一国の主』である事を再確認させられる、いつもと違う威圧感を纏って話しかけられると圧倒されてしまうのである。

信長の雰囲気から『きっと大事な話なのだろう』と気を引き締めた五郎はごくりと唾を飲み込んだ。

しかし一つだけ気になる事が浮かんだ五郎は信長が話しを始める前に尋ねた。


「あの……それは利家に聞かせられない話なんですか?」

「無論だ、あいつの事だからな」

「……利家の?」

「うむ、今までと違い、前田利家程の男を使者として送るのだ、竹中半兵衛の反応を見たいと思ったのだが……流石にあの犬だけを送ると何をしでかすか分かったものではない」

「あ~……(信長様、もしかして……まだ利家が出奔した事を気にしているのかな)」

「そこで、誰か供を付けようと思ったのだが……」

「お断りします」


信長が話し終わる前に反射的に五郎は答える、自分も言ってから『あっ』と思ったが言ってしまった以上は仕方が無い。

そんな五郎の一言に信長は一瞬だけ眉を跳ねると、暫く間を開けて口を開いた。


「……おい、まだ途中だぞ」

「どうせっ! 俺にっ! その役目をやれって言うんでしょ!」

「……五郎、お前も大分わかってきたな……俺も喜ばしいぞ」

「やめてっ! 俺が役目を受けた体で話すのやめてぇぇ!」

「いい加減諦めい! 俺が直接命じた役目を断れると思うのか? あぁん?」

「…………うぐぐぅ」

「他に適任がおらんのだ、受けてもらうぞ」

「……………………どうしても、俺ですか?」

「そんなに嫌なのか?」

「だって、敵地ですよ敵地! もし利家が騒いで戦いになったら危ないじゃないですか!」

「うむ」

「うむ、じゃないんです!」

「そうか、なら……お前の禄、減らすかもしれんなぁ~?」

「ひ、卑怯な! そんな事になったら揚羽に殺されます! 鬼! 魔王!」

「くっくっくっ! そんなに褒めるな」

「褒めてませんよっ!」


五郎が涙目になって抗議する、信長はにたにたと笑いながら暢気に扇子で顔を扇いでいる。

少しでも抵抗したくて反抗してみたが、どうやら無駄に終わったようだ。

逃げ道を無くされた五郎はがっくりと肩を落とすとぶつぶつと呟く。


「……ます」

「ん? 何だ?」

「お受けします! 受けてやりますよ! 信長様のばーかばーか!」

「よし、しかと聞いたぞ」

「もはや突っ込んでくれない……だと!??」

「この阿呆が、この後、俺は利家の相手をするのだぞ」

「……すみませんでした」

「分かれば良い」


信長にしみじみと言われた五郎は素直に謝るしかなかった。

確かに利家の相手を長々とするのは結構疲れるものがある、何せ元気の塊の様な男だ、此方が疲れようがお構いなくじゃれてくるので大変なのである。

五郎もこれまで散々利家に振り回されているので、信長が体力を温存したい気持ちが分かった。


「それにしでも、利家は遅すぎませんか?」

「……そういえばそうだな」

「まさか、寝坊とかしませんよね?」

「おいおい、五郎よ……流石の彼奴もそこまで阿呆では……」


信長が言い終わる前に激しい足音と共に部屋の戸が開け放たれる。

そして黒い影が信長の前に転がり出ると身体をがばっと起こして口を開いた。


「の、信長様! 遅れまして申し訳ありません!」

「「………………」」


だらしない格好で息を荒げながら信長に謝罪する利家。

呆気にとられている五郎と信長が言葉を発せないでいると、利家は次々と捲くし立てる。


「え、えっと! 実は中々手が離せない重要な用事がありまして、その用事をなんとか終わらせた所この様な時間に……もがっ!」


息継ぎもせずに話し続ける利家に我を取り戻した信長は扇子を口に突っ込む。

その衝撃的な瞬間を見た五郎は『ぶふっ!』と噴き出す、勢いのあまり鼻水まで出てきた、責任を取ってほしい。


「ええい! いきなり来たかと思えば!」

「ぐしゅ、あ~鼻水が……」

「五郎、鼻を垂らしていないで戸を閉めろ」

「あ、はい」

「もが、もがもがが!」

「暴れるな!」

「も、もが……」


信長に叱られてしゅんとする利家、何処かで見た光景である。

それにしても利家はなんとまぁだらしの無い格好なのだろう、明らかに寝起きかごにょごにょの……いかん、これ以上は嫌な予感がするから考えるまい。


「の、信長様……そろそろ扇子を抜きましょう?」

「……利家、抜いて欲しいのならば騒ぐなよ?」

「もがもが(こくこく)」

「よし」


信長がすぽんと扇子を口から抜く、その瞬間利家は急いで深呼吸をし始めた。

五郎は利家の身なりを整えると、視線を信長に向けた。

そこには利家の唾液まみれになった扇子を哀愁の目で見つめている信長の姿があった。

(あぁ……あれ、信長様のお気に入りの扇子だったな……)

扇子を好んで持ち歩いている信長に五郎が贈った扇子だったと記憶している。

大層喜んでくれたのか、五郎が居る時は大抵あの扇子を使っているようだ。

(また今度何か探しておこう……)

意外と繊細な人なのだ、特に扇子等の小道具は大事にしている。


「信長様」

「…………」

「また、何か俺が面白そうな扇子見つけてきますよ」

「…………うむ」

「それより、利家も落ち着いてきたみたいですし、話を聞きましょう?」

「そうだったな……利家!」

「は、はい!」

「貴様……俺はもっと早く来いと命じたはずだが?」

「そ、それは先程申したように用事が……」

「利家、一つ言っておくがそんな格好で戯言を言うのは阿呆のする事だぞ」

「……あっ」

「この阿呆が! せめて身なり位整えて来んか!」

「も、申し訳ありませんんんん!」

「全く! 妙な知恵ばかりつけおって! 一体誰の入れ知恵だ!」

「よ、可成さんが『重要な用事で遅れたと言えば若殿は何でも許してくれるぞ! わーはっはっ!』と……」

「あ、あいつ……」

「よ、可成さん……」


利家の口からでた可成の言葉に五郎と信長は頭を抱えた。

何故あの人はこういう時に限って余計な事を教えているのか、お陰で信長は既にしかめっ面になっている。

これは暫くお説教から始まるな……五郎は自分もその間ジッとしていなきゃいけないと思うと溜息が出る。


「先行きが不安過ぎる……」


この調子で使者なんて務まるのだろうか?五郎は不安を募らせながらお説教を受ける利家を見守るのであった。

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