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第百八章~信長の使者~

「重治様! また織田からの使いの者が来ております!」

「またか……」

「如何なさいましょう?」

「守就殿は何と?」

「守就様は重治様に任せると申されています」

「……面倒だ」

「はっ?」

「いや、すまない」

「は、はぁ……」

「ならばいつもの通りお帰り頂くとしよう」

「はっ!」

「あ、手荒な事はするな、くれぐれも丁重にお帰り頂くよう伝えろ」

「ははっ!」


部下にそう伝えると重治は大きく溜息をついた。

稲葉山城を占拠して大分経つ、恐らく一月はくだらないだろう。

その間に織田信長からの使者が来るわ来るわ、どうせこの城を明け渡せとでも言伝を預けているのだろう、会わずとも簡単に予想できる。


「明け渡すねぇ……どうするか……」

「兄上、お茶をお持ちしました」

「おお、重虎か……すまない」

「また織田から使者が来たようですね」

「うむ、案外信長殿は気が長い御人の様だ、何度も追い返しているというのにしつこく送ってきている」

「お噂だと邪魔する者は何者であろうと首を刎ねるとまで聞いていましたが」

「どうやら噂と違って頭が良い方なのかもしれんな」


ふふっと笑うと重治はずずっと茶を啜る、暖かい茶が胃に入ると身体がぽかぽかと暖まる。

ホッとした表情を浮かべて茶を啜る重治に安心したのか、重虎も微笑みながら同じ様に茶を啜った。

暫く何も言わずに時を過ごす、稲葉山城を占拠してからずっと城内にいるのだ、正直暇である。


「龍興様も全く動きが見えん、このまま城を抑えておくのは如何なものか……」

「安藤様はなんと?」

「分からん」

「分からないのですか?」

「守就殿は守就殿でやる事があるのだろう、特に重要な用件が無い限り会っていない」

「なんと……」

「しかも織田の使者の一件だけではない、城下については御自身で指揮を執っているご様子だが、他は俺に任されているからな」

「それで兄上はそんなお顔を?」

「む……? どこか可笑しいか?」

「いえ、そんな苦そうなお顔をなさっていますから」

「……ふぅ」

「…………」

「俺もお前も自由に城内を動けるが、城下を含め守就殿の私兵だからな……どうにか屋敷に帰りたいものだ」

「兄上……」


疲れた表情で溜息をついた重治に重虎は心配そうな表情を浮かべる。

そんな重治の背中を優しく摩りながら重虎は問いかける。


「兄上、これからどうなさるのです?」

「恐らくこのまま行けば守就殿は織田に下るだろう、だが俺はそのつもりは毛頭無い」

「では?」

「城は織田には明け渡さないつもりだ」

「その後はどうなさるのです? このまま城を占拠し続けるおつもりですか?」

「……俺はいずれ龍興様に返すつもりだ」

「兄上……」

「その時は重虎、何処かでひっそり暮らすとしよう」

「ええ、その時はお付き合い致します」

「すまないな」

「いえ、兄上の思うとおりになさって下さい」


重虎の返事に重治は嬉しいような申し訳ないような複雑な表情を浮かべた。

理解のある妹の存在が頼もしいが、自分の為に振り回す事になるのだ。


「全く、俺には勿体無い程の妹だ」

「そんなに褒めて頂くと恥ずかしいですよ、兄上」

「そうか? まだまだ褒めたい事が多いぞ?」

「もう……お止め下さいませ」

「ははは! そう顔を赤くするな!」

「兄上は意地が悪いです」

「ふふ、意地が悪くて結構だ」

「まぁ」

「よし、少し城内を散歩するとしよう。重虎はどうだ?」

「お付き合いします」

「うむ」


仲の良い兄妹は連れ添って城内を散策するのであった。




そしてその頃清洲城では……。


「そうか、分かった。お前は下がって良い」

「いやぁ~全く進展が無いですねぇ」

「あ~もう面倒になってきたぞ、攻め滅ぼしに行くか」

「ちょっと! この前と言ってることが違いますよ!?」

「この俺がここまで我慢しているのだぞ?」

「落ち着いて下さいよ、どうやら半兵衛殿は此方に味方する気も敵対する気も無いようですし粘ってみましょうよ」

「その結果がこれだろうが」

「それに稲葉山城に今稲葉殿と氏家殿も向かっているんでしょ?」

「どうやら、安藤が二人を呼んだのだろう」

「もしかしたら三人が揃ってから信長様に何かしら接触してくるんじゃないですか?」

「……」

「斉藤家の当主……えっと、そう……龍興さんも逃げ隠れしているみたいですし少なくとも此方に攻めてくる事はないでしょう?」

「うむ」

「それなら、のんびり待ちましょうよ動きがあるまで」

「待つのはいいがな」

「何か問題があるんですか?」

「近頃、犬がキャンキャン吠えて五月蝿いのだ」

「あれ、信長様って犬を飼ってましたっけ?」


信長の言葉に五郎は疑問を投げかける、五郎の記憶に拠ればペットらしき生き物を見かけたことがないのだが……。


「信長様!」

「来おったわ」

「うるさっ!」


五郎が油断していた所に大きな声で叫ぶものだから思わず耳を塞ぐ。

いきなり部屋に入ってきたのは前田利家であった。

利家は信長の前に伏せると声を張り上げて許しを請う。


「信長様、これ以上は待てません! 今なら高が数千の兵だけです! 俺にお任せ下さい!」


利家の言葉に五郎はぎょっとする、驚いた表情のまま信長に視線を向けると、信長は五郎に『こういうことだ』と言わんばかりの表情で首を振る。

つまり『犬が吠えて五月蝿い』というのは利家が美濃を攻めようと何度も嘆願している事なのだろう。


「どうするんです?」

「どうもせん」

「…………」

「おい、犬」

「は、はい!」

「いつも思うけど犬で良いんだ……」

「その事は何度も言っただろう? それはならんと」

「な、何故ですか!」

「稲葉山城が安藤や竹中の手に落ちてすぐに三人衆の残り二人、稲葉や氏家も兵を率いて城に向かっていると報告を受けている」

「ならば尚更今の内に!」

「少数で城を乗っ取り、いつの間にか城下まで制圧した相手だぞ? そこに稲葉山城という堅城だ、どれ程の時間を労すつもりだ?」

「うっ……」

「もし攻め落とすのに手間取り挟撃されてみろ、此方の被害がどうなるか分かったものではない」

「うぅ……」

「……ちょっと可愛いかもしれない」


信長に言い負かされてしょんぼりしている利家の姿に保護欲を掻き立てられる。

もし利家に耳と尻尾が生えていたら頭を撫でていたかもしれない。

そんな事を五郎が思っていると視線を感じる、そちらを向くと部屋の外で中を窺っている成政の姿を見つける。


「成政殿、そんな所で立っていないでこっちにどうぞ」

「……では遠慮なく」


五郎が招くと静かに部屋に入ってきた成政は五郎の隣に座る。


「もしかして、利家を止めに来たの?」

「正確には止めていた、ですがね」

「あぁ……」

「利家だけじゃなく、一部の家臣は今が美濃を手にする絶好の機会だと話す者が増えてきていますから大変ですよ」

「なるほどねぇ」

「確かに良い機会だとは思いますが、全ては信長様がお決めになる事です、もう少し大人しくなってくれたらいいのですが」


そういって成政は利家を見やる、呆れた口調ではあるが心配そうな表情からは二人の仲の良さが窺える。

五郎はライバルの様な親友のような二人に羨ましいなぁと思いながら信長に怒られる利家を見る。

丁度その時、ピタリと動きを止めた信長の顔が天啓を受けたかのように表情を変えた。


「ふむ……」

「どうしたんです?」

「いや、良い事を思いついただけだ」

「えっ……」


信長の『良い事』は決してその言葉通りの意味ではない、その事を体験してきた五郎はつい身構える。

しかし、信長は五郎にではなく目の前で萎れた利家に向かって口を開いた。


「利家!」

「は、はぃ……」

「何時までも情けない顔をするでない! 折角お前に重要な役目を授けてやろうというのに」

「本当ですか!?」

「立ち直りはやっ! はっやっ!」


一瞬で元気になった利家に突っ込む五郎である。

信長は利家が期待の眼差しで自分を見ている事を認識してからにやりと笑う。

(あ……あれは絶対良からぬ事考えてる笑みだ)


「良いか利家、今まで何度も稲葉山城へ使者を送っている」

「へ……? は、はぁ」

「だが、悉く追い返されているのだ」

「なんだって!」

「そこで、今度はお前に使者として稲葉山城に向かってもらう」

「!?」

「うぇぇええええ!?」

「なっ!」


信長の言葉に三人がそれぞれ驚愕する。

しかし、信長はそんな反応を気にもせず続けた。


「だが、ただ使者として向かってもらう訳ではない」

「はあ」

「どうせ今回も会えぬと追い返されるだろう、そこで利家には城下の様子を探って貰いたい」

「俺が……ですか?」

「お前ならば早々敵に遅れはとるまい」

「も、勿論です!」

「ならこの役目、断るわる筈がないな?」

「は、はっ!」

「よし、詳しい事は明日話す……分かったら今日は帰れ」

「は、ははっ!」


利家は嬉しそうに部屋から出て行った、その一部始終をポカンと見守っていた五郎と成政だった。

それから暫くして成政はハッとすると利家の後を追いかけるように出て行った為に五郎だけが残される。


「五郎! おい! 聞こえておらんのか!」

「ははは、はい! 聞こえてます!」

「明日も登城しろ」

「え”っ?」

「いいな、忘れたら承知せんぞ」


それだけ言い残して信長は何処かへ消えて行ってしまう。

一人部屋にぽつんと残された五郎は暫く呆然としてから呟いた。


「あれ、嫌な予感がするんだけど……」


悲しい事にその予感は大当たりする事になる、五郎は明日が来なければ良いのにと嘆きながら屋敷へと戻るのであった。

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