第5話 研究所の謎
夕飯の片付けが終わった後に俺は洞窟の外へ出た。外気は冷たく、森の匂いを孕んでいて、肺に入るたびに思考の埃が洗い流されるようだった。
空はすでに夜だった。星は散弾銃で撃ち抜かれたガラス片のようにばら撒かれ、月は観測者の目を意識したように白々しく光っている。
周囲を見まわして異常がないか確認するが、魔獣の気配はなく、近所迷惑な虫の酒池肉林オーケストラだけが耳を支配する。
中に戻り、キメラの元へ。ベッドに腰掛ける彼女と視線が交差すると、舌をちろり、と出して威嚇してきた。動物のフレーメン反応みたいで愛らしい。
「何かやることはあるか? なければ寝るが」
「まだ眠くないし、研究所の中を案内してよ。ここ結構広くて迷いそうなのよね」
「わかった」
通路は光る石によって照らされていた。割と整った配置をしていて、先住者が嵌め込んだのだとわかる。
「この光る石、あんたが作ったの?」
「まさか。一見すると等間隔で配置がいいと錯覚するが、実際は照らせていない箇所が散見されており、実用性より見目を優先する素人が作ったものとわかる。俺ならそんなことはしない。だが、直すほどの不便さはないし、広範囲に埋め込まれているため放置している」
「めんどくさっ! 作ってないの一言でいいのよ」
「それだと会話の有用性がないし、今後再度説明することになって無駄な工程が増えるぞ」
「うるさいうるさーい! ほら、先に行くわよ!」
早足で前を歩くキメラ。自分勝手というより、感情のエンジンで動く生物だ。論理はブレーキ、感情はアクセル。彼女はブレーキが効きづらく、事故率が高い構造をしている。早く整備してやりたいところだ。
その後、各部屋の説明をしながら歩いていると、小さな妖精のような魔獣“シルフ”が、ふわりと舞ってキメラの顔に直撃した。
「んぎゃ!?」
「気をつけたまえよ。シルフは益獣だから減らされると困る」
「私の心配しなさいよ!」
無害どころか有益な魔獣というものが存在する。シルフは新鮮な空気を生み、運び、循環させる。洞窟や鉱山では空気の司祭のような存在だ。本に書いてあった。
「この辺シルフ多いわね」
「エサとなる樹液があるんだよ。先住者が合成魔法で作ったようだ」
指さす先には壁に埋め込まれた木。幹だけが剥き出しになっており、葉は見えない。恐らく光合成のために洞窟の上に生えているのだろう。幹と壁の間くらいに合成魔法によって組み込まれた痕跡が傷のように残っている。
「奥に行くほど空気が必要だものね……って、合成魔法あんた以外にも使えるの!?」
今さら気づいたか。
「元から合成魔法に関する本があったからな。先住者も使えたようだが、一セットしかない合成針は俺が持っている。恐らく先住者は亡くなっているんだろう」
「そっか……その合成針って“神具”よね?」
「ああ」
神具とは、神が落としたとされる魔法具。神具に選ばれし者は“契約者”と呼ばれ、国家を転覆させるほどの強力な魔法が使えるようになる。再現不能、複製不可、唯一性の塊。誰もが喉から手が出るほど欲しい代物だ。
「なんであんたなんかが……私だって“求めているのに”」
神具には“求めるものの元に現れる”という俗説がある。キメラはそれについて言っているのだろう。
銀の睫毛を見せつけるように瞼を下げていたキメラが突然鼻をすんすんさせた。
「待って、なんか臭うわね」
「キミの体臭じゃないか?」
「え、うそ……!?」
本気で自分の体を嗅ぎ始める。
「冗談だ。意外と気にするんだな」
キメラは、天井の忍者と目があった悪代官みたいな表情になった。
「……そりゃあ乙女だもの。あんたは意外と冗談いうのね。分かりにくいからやめた方がいいわ」
「言われなくとも」
「……待って、なんか私の体から花のような甘い香りがするんだけど」
「キミが気を失っている間に花の香りを抽出し、合成しておいた。虫除けの草もついでにね」
「は? は?」
「それから鷹とフクロウっぽい鳥の死骸があったから、それも合成しといた。これで夜目や遠目が利くようになったはず。動体視力も向上してるんじゃないか?」
「あっ、あっ……」
キメラは頭を抱えて、その場にしゃがみ込んだ。
「……うぅ、人で無くなっていくわ」
「人間は外見より中身と聞く。キミは中身ぎっしりだからいいじゃないか」
「使い方おかしいでしょ! 反省しなさいよ!」
キメラが銀色の毛を逆立てた猫のように、シャー、と唸る。シュレディンガーの箱に入れたいくらい愛おしい。
人間と猫は争わないので俺は無視して道の先に人差し指を向ける。
「あれを見てくれ」
先の通路は土砂で埋まっていた。封鎖された血管のように洞窟の動脈が詰まっている。
「見た感じ偶然天井が崩れて封鎖されたみたいだけど。臭いはこの先から?」
「ああ恐らく。俺が来た時からこうだった」
無数の生ゴミを濃縮した不快の化学兵器のような悪臭がしている。
「合成ではどうにもできないの?」
「下手にいじると洞窟がさらに崩落する危険性がある。いつか処理したいが人手が欲しい」
「友達が居ないあんたには厳しいわね」
「キメラ。分裂してみたくないか?」
「ふ、ふざけんなっ!」
ふむ、ツンデレ複数は管理が面倒だし、今は辞めておくか。
それから研究所をひと通り回り終えて、いつもの部屋へ戻った。




