第49話 キミを笑顔にする方法
キメラは日記を読み終えると、それを静かに閉じ、胸に抱きしめた。まるで失われた心臓を取り戻すかのように。
荒野で見つけた洞窟内は静寂に包まれていた。水滴の音と、遠くの雑音だけが時間の流れを教えてくれる。
彼女は何も言わない。長い銀髪が俯いた顔を覆い隠している。
「……なあ、キメラ」
俺はあえて軽い調子で口を開いた。沈黙は嫌いじゃないが放っておくと人は勝手に壊れる。だから話す。
「フラン・シュタインは何も悪いことはしていなかった。全ては『シュタイン博士の愛した実験体』とでもいうべきキミを守るためにやっていた」
キメラの肩がわずかに震える。
「悪事は全部、フロッグ博士と、その息子ルエガが仕組んだことだ」
俺は洞窟の壁に背を預けて続ける。
「そして俺は……俺という存在は、フランが作った魔法兵の素体にキミの持つフェニックスの転生魔法が合わさることでできた存在。近くにあった口寄せの門から召喚された“俺の魂”を宿したんだよ」
口寄せの門は嫌われものの魂しか呼べない。つまり俺は嫌われものである可能性が高い、という点についてはあえて黙っておく。
「俺のいた世界ではな『フランケンシュタイン』っていう小説があった」
キメラはまだ顔を上げない。
「その物語だとフランケンシュタインは一介の大学生の名前だった。でも、後世の創作の影響か、その学生が作った“怪物”そのものを指す名前と勘違いされるようになったんだ」
俺は苦笑する。
「なんの因果か俺達にも似たような現象が起きたわけだ。落語か、能みたいな話だよ。間違いが定着して真実が忘れ去られる」
しばらくして、か細い声が返ってきた。
「……どうして」
キメラが初めてこちらを見た。
「どうして、すぐに日記を見せてくれなかったの?」
責める声じゃなかった。ただ、理由を知りたいという、痛々しいほど真っ直ぐな問い。
「言っただろ」
少しだけ声を落とす。
「キミには、ずっと笑顔でいて欲しかったからだよ」
その言葉を紡いだ瞬間、堰が切れたようにキメラの目から涙が溢れた。
「……ばか」
長い銀髪の隙間を伝い、頬を滑り、床に落ちる。
「……今だけは、前髪が長くてよかったわ」
片目を覆う髪の向こうで彼女は、なおも泣いていた。
なるほど。片目隠れにはこういう実用的な利点があるのか。誰かに髪型を勧める機会があったら使わせてもらおう。
俺は咳払いを一つして空気を切り替える。
「キミに贈り物がある」
キメラがわずかに顔を上げる。今にも消えてしまいそうな儚い表情をしていた。
「神具である口寄せの門はな、“嫌われものの魂”を呼び出せる」
俺は両手を大仰に広げた。
「その魂は大多数に嫌われているほど見つけやすい」
少し間を置く。
「ある女博士は無実の罪によって、金の国エルドラド中の人間から徹底的に嫌われていた。さて、キミに問おう。これらの事実から導き出されるものはなんだと思う?」
キメラの瞳が見開かれる。
「……それって、まさか」
俺は薄く笑い、ポケットに手を入れた。
取り出したのは小さな女の人形。だが、それはただの人形じゃない。
床に置く。
人形は自立し、内部に組み込んだ魔獣トロールの力によって大きさを変えていく。骨格と皮膚と髪が伸び、肉が満ちる。服も伸縮できるようにしておいたから裸ではなく、白衣を着ている。
「こいつを創っていたせいでルエガに殺されかけた」
俺は肩をすくめる。
「だが、間に合ってよかったよ」
そこに立っていたのは一人の金髪女性だった。
その名は“フラン・シュタイン”。
彼女は穏やかな笑みを浮かべてキメラを見つめる。
「フラ“ム”。会いたかった」
フラム。それはキメラの本当の名前。フランス語で炎を意味する言葉。フェニックスの力を持つ彼女にはぴったりの名。偶然か必然かはわからない。確かなのは良い名前だってことだ。
次の瞬間。
キメラは勢いよく立ち上がり、フランの胸にぶつかるように飛び込んだ。
「ばかばかばか!」
拳で叩きながら叫ぶ。
「どうして私も連れていってくれなかったの! 連れていってくれたら、こんなに恨むこともなかったのに!」
涙と嗚咽で言葉が途切れる。
「嫌い、嫌い、大嫌い!」
そして。
「……だけど」
小さく、震える声で。
「大好き」
フランは何も言わず、ただ強く抱きしめ返した。それが、答えだった。
キメラは子供のように泣きじゃくった。
俺は少し距離を取り、その光景を眺めつつ、静かに息を吐いた。
魔女フランを取り巻く事件はこれで幕を閉じる。
嫌われものの魂がようやく報われる夜だった。




