第46話 魔女フラン戦3・幕
罠を総動員した結果、蜘蛛襲撃の波は一旦おさまった。
完全に止んだわけじゃない。森の奥から、死の振動が伝わってくる。だが、少なくとも今この瞬間は研究所の内部に新たな侵入反応はない。
「……ふむ」
深く息を吐いた瞬間、自分の手が震えていることに気づいた。実に興味深い。
恐怖か? 焦燥か? あるいはその両方か。
俺は自分の手をまじまじと見つめる。白く、細く、ツギハギだらけでいつも通りの研究者の手だ。それがまるで初めて実験台に立った新人のように小刻みに揺れている。
「ククク……」
思わず笑みがこぼれた。危機感は人を急成長させる。間違いない。平時の安全な研究室では決して得られない感覚だ。命が担保にされていない実験など所詮はお遊びにすぎない。
俺は視線を上げる。目の前に置かれているのは女型の人形。
正確には“ほぼ完成した器”だ。人間と同等の構造を持ち、あとは魂を定着させるだけの存在。
「……落ち着け」
自分に言い聞かせるように呟く。
俺ならできる。今までもやってきた。元の人格を保ったまま完璧な人間を作る。理論は完成している。足りないのは実践だけだ。
合成針を取る。まずは器に。人形の胸部、心臓の位置に針を刺す。抵抗はない。
次に魂。ガラス瓶の中で淡く青に揺らめく、それ。嫌われ者の魂だ。
「……いくぞ」
針先を魂の中心へ。
刺した瞬間に空気が震えた。洞窟がわずかに揺れる。敵が来たのかもしれない。だが、動揺はなく、俺は針を離さない。
「……繋がれ」
集中する。人格の輪郭を固定し、記憶の層をなぞり、崩壊を防ぐ。
パンドラの箱を開けた時のような白光が視界を包む。出るのは希望か絶望か。俺は自分の力を信じ、想像から創造する。
数秒。いや、体感では数分。
やがて暴れていた白光が静かにおさまり、空の瓶と成人女の器だけが残った。すぐに女は目を開けて俺を見る。
「ここは……? あなたは誰なの?」
「今は喋るな。俺の名前はシュタイン。これで察しろ」
女は大きく瞼を上げる。そして全てを理解したかのように目を深く閉じると、静かに頷いた。
「……ククク」
俺は人形を見下ろす。完璧だ。人格は保たれて魂は安定している。変な語尾もない。
続けて瓶の中に保存しておいた巨人型魔獣トロールを女へ合成。完成したそれをポケットサイズに縮小し、そっと懐に入れた。
「後は……脱出だけだな」
壁に張り付いている神具・口寄せの門を見る。
本来なら回収すべきだが時間はない。放棄するしかないだろう。とはいえ、これは頑丈だ。そう簡単には壊れないはず。
それに神具というものは気まぐれだが一つだけ確かな性質がある。
“求める者の元に必ず戻る”。
回収できなくても、いずれ俺の手元に戻るだろう。できなければその時に考えよう。
俺は踵を返して脱出口へ向かう。
こんな時のために何本も作っておいた。用心深さだけは誰にも負けない自信がある。
勝者の笑みを浮かべた、刹那。
「シュタイン!! 逃げて!!」
キメラの叫び声。
即座にミミックタブレットを起動する。
映ったのは空。上空。
額に宝石を埋め込んだ赤黒いドラゴンが飛んでいる。その背にフードを被った人影。フランだ。
「……くっ」
思わず歯噛みする。
「こんな秘密兵器を持っていたか……!」
フランがこちらへ向かって、ゆっくりと手を振る。
直後、ドラゴンが喉を鳴らして口内に魔力とでも呼ぶべき炎の塊を集束させる。
「まずい!」
俺は走った。全力で脱出口へ。だが間に合わない。
灼熱。轟音。
炎が洞窟に叩き込まれ、天井が砕けて壁も崩れる。
視界が白く染まり、衝撃で身体が宙に浮いた。
「ああ……くそ」
意識が遠のく。失敗か。
人間は失敗から学ぶ。だが、それが死に直結する致命的なものだったなら、どうしようもない。
「……変なものに拘るんじゃなかったな」
最後に浮かんだのはキメラの顔だった。
後は頼んだ。お前ならフランを倒せる。
愛していたよ。
◆◆◆
——夢の中だと思った。暖かくて、安心して、心地よくて、少なくとも悪夢ではないんだろうなという結論に至った。
でも、夢にしては感覚が確かすぎる。明晰夢はこんな感覚なのか、あるいは死後の世界の感覚か。
俺は、恐怖というより好奇心で目を開けた。熱い。だが、焼けるような痛みはない。
見上げるとそこには炎に包まれて燃え盛る銀髪の女神。背中には炎の翼。
「……ここは天国か?」
「違うわよ。あんたが行けるのは、せいぜい地獄でしょ」
鋭さの中に優しさが滲む声音。
間違いない。俺の愛すべき女性。
「……キメラか」
「残念ながら当たりね」
皮肉めいた言い回し。間違いなく本人だろう。
俺はゆっくりと上半身を起こす。
「俺は……生きている、のか?」
「ええ。間一髪で私が助けてあげたわ」
その姿を見て理解した。
「やはり……火の鳥。魔獣フェニックス。覚醒していたのか」
「そうね」
キメラは少しだけ視線を逸らす。それからゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「私は孤児院にいた頃に魔女フランにアメを食べさせられて……それであんたと出会う少し前から炎の魔法を使えるようになったの」
だから初めて会った時に合成が上手くいかず、オッドアイになってしまったのだろう。合成物はある程度対象を理解していないとダメだからだ。
「東の村を焼いたのも私。最低よね。力が制御できなかったの」
キメラの声がわずかに震える。
「バカを言うな。キミは誰も殺していないどころか復活させた。むしろ最高というべきじゃないか?」
「……ばか」
俺は彼女の炎に触れる。熱くない。外側は激しく燃えているのに触れると温かい。
「優しい炎だな。ツンデレなキミには、ぴったりの力だ」
「ばかばか!」
彼女は顔を背けた。
俺は構わずに話を続ける。
「俺を転生させたのもキミの力だろう。この体と魂が偶然近くにあってキミの炎で魂が定着したようだ」
少し間を置く。
「……あまり好きな言葉じゃないが、俺達が邂逅したのは“運命”だったんだろう」
キメラと視線が交錯する。その瞳はいつもより潤んで見えた。
「は、恥ずかしいこと言わないでよ」
目が泳いでいる。炎のせいか頬が赤い。彼女は話を逸らすように続けて口を開く。
「……ねぇ、フランのお菓子って副作用で魔獣になるのよね? だったら、いずれ私も——」
俺は彼女の手を握った。
「させない。キミは俺のものだ。誰にも壊させはしないし、奪わせもしない。もし完全に魔獣になったとしても必ず元に戻してみせる。生涯をかけてな」
きっぱりと真顔で宣言した。
キメラが顔を逸らす。
「……ば、ばっかじゃないの! そんなこと真顔で言わないでよ!」
沈黙。しかし、気まずくはなく、心地の良い間。
いつまでもそうしていたかったが、やらなければならない事がある。
名残惜しい気持ちを押し殺しつつ、俺は尋ねる。
「……アラクネとフランはどうなった?」
「アラクネは倒したけど、フランは去ったわ。私達を殺したと思ったようね」
キメラは南東にある金の国エルドラドの方を指す。
「やはりか」
俺は立ち上がり、服についた土汚れをはらう。
「行こう。フランを更生させに」
ヤツを倒すためのピースは揃った。散々苦労させられてきたツケを払わせてやろう。
キメラは頷いて純粋な笑顔を浮かべる。
そして俺達とフランの最後の戦いが始まろうとしていた。




