第24話 コボルド商会長
三日間という時間は短距離走のように速く、長距離走のように重かった。
その間、料理屋クックは戦場だった。鍋は盾、包丁は剣、油は血液。厨房とは小さな戦争国家であり、俺達はそこで胃袋という名の市民を救済していた。
クックはフライパンと一体化し、キメラは配膳という名の舞踏を舞い、俺は全体を見渡す監督官として、秩序と混沌の境界線に立っていた。
夕方。扉が開いて外気が店内に流れ込む。その空気の中に微かな格式の匂いが混じっていた。
「ごきげんよう皆様」
ロレーヌ夫人だった。顔色のいいゾンビみたいな黄緑色のドレスを着用し、編み込まれた髪はいつものように殺したミノタウロスをドロドロになるまで煮込み、アリアドネの糸を漬け込んで染め上げたような茶色をしていた。
「再会できて光栄です。まさかロレーヌ夫人が直接お越しくださるとは思いませんでした」
「……少し問題が起きましたので」
夫人の瞳が泥団子のように濁る。
「まさか、コボルド商会長の許可が降りませんでしたか?」
「正確には途中というべきでしょう。こちらを拝見してくださいまし」
差し出された封筒を開封すると、文字が静かに並んでいた。
『明日、金区にある我が屋敷へ来るように』
締めくくるようにコボルド商会長のサインが書いてあった。
短い。だが重い。短剣のような文章だ。
「……最終試験ってところですか」
俺は呟いた。人生とは気づけばいつも試験会場だ。
「申し訳ありませんわ」
ロレーヌ夫人が乾燥したシイタケみたいに体を縮こまらせる。
「いえ、直接足を運んでいただけたことで誠意は伝わりました。明日、香水を持ってそちらへ伺います。正式に契約が成立したら、その時にお渡ししましょう」
「助かりますわ。……あの人がわたくしの言葉を聞き届けないなんて、カーバンクル狩りは余程大事なことなのでしょう」
カーバンクルの宝石がそんなに欲しいのか。確かに大きくて希少だが、ただのきらめく石の何がいいのか理解に苦しむ。
高いところを好む貴族は誰しも光り物が好きなカラスになってしまうのか。そうだ、もし全人類を全肯定botにする日が来たらカラスの姿にしてやろう。きっと喜ぶぞ。
俺の野望は誰にも語ることなく、フンコロガシの足裏くらい綺麗な茶髪のロレーヌ夫人を見送ってその日は終わった。
翌日。
金区にあるコボルド商会長の屋敷は城というより要塞だった。金で塗装された安全神話。
「こちらがコボルド様の書斎でございます」
白髪の老執事が小綺麗な扉を開く。
通された部屋にいた男は疲れた犬のような顔をしていた。忠誠心と警戒心を同時に飼い慣らした目。吠えることも噛みつくこともできるが基本は主人に従う獣の顔だ。
「初めましてコボルド商会長。シュタインといいます。それとこっちはキメラです」
「ごきげんようコボルド様」
キメラが恭しく頭を下げる。
「ああ、キミ達の噂は聞いている」
美人なキメラの姿を見ても眉ひとつ動かさない。さすが商売人。簡単に隙は見せないか。
「それで、カーバンクル狩りに参戦したいとのことだが私に得はあるのかね?」
直球だ。商談において遠回しな言葉は時間の浪費でしかないと言わんばかりである。
「千里眼のごとき視野と、気高き狼のように遠くの音を聞き逃さない耳をお持ちのコボルドさんなら、すでにご存知かと思いますが、こう見えて我々は腕が立ちます」
俺は穏やかに言葉を組み立てる。
「エルドラドの外や、下級坑道では鮮やかに魔獣を退治し、働いていた料理屋では不逞の輩を埃が立つ間もなく退けました」
事実、料理屋クックでは何度か“事件”があった。噛み砕くと絡んでくる輩を締めただけだが。
俺は宮廷道化師のような所作をしつつ話を繋ぐ。
「さりとて王侯貴族の方々の手を煩わせることもなく、陰でひっそりと、穏やかに過ごしておりました。それもこれも貴方がたが国を治めてくれているお陰でございます。そんな方々に感謝の意を伝えたく、此度の狩りへ参加しようと考えたのです」
俺の演説にコボルドは両手を机の上に置いて壁を作るようにした。
「ふん、ロレーヌの言っていた通り、多少は弁が立つようだな。だが、信頼するにはまだ足りんな」
視線が強盗の頭を噛み砕く犬くらい鋭くなる。
当然だ。信頼とは時間か担保でしか買えない。
俺は視線を動かさず、この部屋に飾られていた物を思い出す。壁に並ぶ肖像画。ロレーヌ夫人とコボルド。お揃いのアクセサリー。統一された装飾。
愛妻家、家庭円満といった印象が俺の脳内をよぎる。
ふむ、こっち方面で攻めてみるか。
「少し話は逸れますが、以前にあなたの妻であるロレーヌ夫人にお会いしました。とても美しく、理知的な方という印象をお受けましたよ。コボルド商会長に相応しい完璧な女性ですね」
わずかにコボルドの口角が上がる。
「そうだろう? あれは私の自慢の女だ。少々気が強いのが難点だが……そこが絶妙なスパイスでな」
顔がエサを前にした野犬くらい緩む。
「俺も、このキメラが自慢の婚約者です」
横のキメラの気配が一瞬だけ揺れる。感情の微風。シルフのお陰で分かりやすい。
「彼女を幸せにしたい。コボルドさんがロレーヌ夫人をそうしたように」
俺は結婚詐欺師のような迫真の声で言葉を重ねる。
「キメラに何不自由のない生活を送らせたいのです。そのためには金がいる。カーバンクル狩りは一攫千金ではなくとも幸福への足場にはなると考えます」
幸福とは死刑台へ登る階段だ。一段ずつしか登れない。
「だからこそ、許可をいただきたいのです……!」
俺は、キミの瞳に乾杯といってホルマリン漬けの目玉と愛を語り合っているロマンチストのような表情を作った。
対してコボルドはチワワのようなピュアな瞳に一瞬だけなって、元に戻ると同時に吹き出した。
「ふはは! 面白い説得方法だな。もう少し表情を作れていれば騙されていたかもしれぬ」
ふむ、どうやら上手く演じきれていなかったか。常識人の俺がなんたる不覚。
「だが気に入った。商売は時に演技力が必要になる。どうだ、ウチで働く気はないか?」
「やめておきましょう。キメラには、もう少し世界を見せてやりたい」
「見聞を広めるのも大事か……ますます気に入った。いいだろう。不安は残るがキミに投資しよう」
話がまとまり、俺とコボルドが悪代官のような笑みを浮かべた、瞬間。背後からノック音。使用人が入ってくる。
「接客中に失礼いたします。コボルド様宛てに火急の手紙が届いております」
コボルドはそれを受け取ると無言で読む。表情は変わらない。
ほどなくして読み終わると、手紙を暖炉にくべる。炎が情報を灰に変えた。
「……ルエガ博士の知り合いだったか。それならそうと言えばよかったものを。駆け引きなど不要だった」
錬金魔導士ルエガ。あの硫酸のように爽やかな男が裏で動いてくれていたらしい。
ドーベルマンのような鋭利な視線がこちらを射抜く。
「……まぁいい。カーバンクル狩りへの参加を許可しよう」
あっさり決定。手紙の内容は気になるが、今は藪をつつかないでおこう。
「商会長の寛大な御心に感謝いたします」
俺達は蛇酒に漬けられた蛇のごとく大人しく頭を下げた後に部屋から退出した。




