第23話 交渉
ロレーヌ夫人にオムレツを振る舞った後、俺は次の一手に打って出る。
「こちら、当店特製のトマトゼリーです」
俺は夫人の前に山型で赤い半透明のゼリーを差し出した。
終末戦争後の夕焼けのように赤く、悪女の口紅みたいに艶やかで、魔女のリンゴよりも食欲を刺激する色。
正体は俺の作った合成魔獣スライムゼリーにトマトの風味を足したもの。当初はゴミ処理に使われるスライムを食すのは抵抗があると不評だったのでスライムゼリーがメニューに追加されることはなかった。
だが名前と色を変えることで抵抗感のないものへと昇華させた。現代にも名前を変えてリブランディングすることで売れた商品はたくさんある。使用用途を明確にしたり、負のイメージを抱かせないようにしたり。それと同じ理屈だ。
さらにクックがトマトを使ってアレンジしたことで味も完璧なものになった。
「い、いただきますわね」
ロレーヌ夫人は初めて血を見るヴァンパイアのようにマジマジと観察した後、スプーンでそっと掬って口に運んだ。
一瞬の静止。芸術品を見るような間。そして。
「……美味しいわ」
その一言は鐘の音だった。甘さと酸味が舌の上でワルツを踊ったようだ。トマトの爽やかさと、果実酒のような余韻が広がっていることだろう。
「甘くて、でもちゃんと酸味が効いている……見事ね」
「それは喜ばしいことです」
俺は微笑んだが内心ではガッツポーズである。
ロレーヌ夫人は、上品さを崩さない速度で匙を進めていく。窓から差す月の光が気になり出した頃に最後の一口が溶ける。
彼女は名残惜しそうにスプーンを置くと優雅にナプキンで口元を拭き、こちらへブラウンシュガーのような瞳を向ける。
「素晴らしい時間でしたわ。あなたとの会話がいい香料となって食事の楽しさを引き立ててくれました。まるで物語の登場人物になったようで非日常感を存分に味わわせて貰えましたわ」
恍惚とした表情の夫人。
「それはこちらとしても恐悦至極でございます。ただ——」
ここで終わってもらうのは困る。
「ご満足いただいているところ申し訳ないのですが、お願いがあるのです」
ロレーヌ夫人は微笑む。
「そう来ると思いましたわ。周りの人の表情筋が固めでしたからね」
周囲を見る。クック、気まずそう。キメラ、視線が泳いでいる。まるで取り調べ室の新人刑事二人だ。
コイツらを教育しておくべきだったか……。
表情を殺すなんて商売人の基礎技能だろう。呼吸と同じレベルでできて欲しかったな。
「さすがは商会長のご夫人。慧眼をお持ちですね。では単刀直入にお願いしましょう。——カーバンクル狩りに参加したいのですが、商会長の許可をいただけないでしょうか?」
ロレーヌ夫人の瞳のハイライトが強まる。
「なるほど。まずは参加目的をお伺いしましょうか」
正面突破は愚策。だが、下手な嘘はもっと愚策。少しだけ誇張する。
「簡単なことです。お金を稼ぐためです」
ここで一呼吸。
「……が、用途は孤児院への寄付が主です。すでにオムレツの食材に使っている花をもらう代わりに、お布施しています。ただ、それでもまだ足りない。孤児院の改修、増築、子供たちの教育、食事の充実……やりたいことが多すぎるのです」
ロレーヌ夫人は老獪な魔女のように細く口角を上げる。
「素敵なお話ですこと。あなたが“少なくとも表面を取り繕える人”だということは分かりました。後は涙でも流せればよかったですわね」
こちらの意図を見抜かれている。
「泣き落としは素人のやるものでしょう。恐らく夫人には通じない」
この人は嘘の質感を嗅ぎ分ける嗅覚を持っている。言葉選びを間違えば俺の計画は泡となり消えるだろう。
ロレーヌ夫人は死者を裁く閻魔大王のごとく笑顔を崩さずに会話を繋げる。
「本題に戻りましょうか。あなたのお願いを聞いて、わたくしに利得はあるのかしら?」
来たか。ここが分水嶺だ。
「お食事だけではご満足いただけないですか?」
「ふふ……それで許可を出すなら、今頃わたくしは毒殺されていたでしょうね」
良い返しだ。ぜひ脳細胞の一部をキメラに合成させて欲しい。
「それでは切り札を出しましょう。——世界で一つしかない香水を欲しくはないですか?」
空気が変わった。夫人が眉尻を一瞬だけ上げて、美麗な顎に手を添える。
「……面白い話ですわね。続けて」
「夫人はキメラの使っていた香水の匂いが気になっていましたよね」
視線がキメラに一瞬走る。彼女はファストフード店にいる女店員のようにスマイルを作った。
「あれに似たものを入手しました。しかも半永久的に使えるものです」
「半永久的……!? まさか、神具……!?」
声がわずかに上擦る。
「いえいえ。それなら申告が必要ですし、俺には扱えません。法外な代物ではなく、新種の魔獣ですよ」
ま、嘘だけどな。本当はスライムの魔改造だ。魔獣と動物の境界が曖昧なように、人以外の生物が合成獣だと気付かれることはまずない。
俺は地面師のように紳士的な顔をしながら話を続ける。
「ウンディーネという魔獣の亜種です」
スライムという単語は汚水を連想させる。ウンディーネは清流を連想させる。だからスライムとは言わない。言葉とは印象操作の魔法なのだから。
「危険はなくて?」
「もちろん。今お持ちします。実験してご覧に入れましょう」
金色のスライムを入れた壺を持ってくる。木のスプーンで一部を掬い、俺自身の手首につけて安全であると証明。
続いて夫人へ壺ごと渡す。彼女は俺の動きをトレースするように手首へとつけた。
空気が花畑になる。水と花と光の匂い。
ロレーヌ夫人は深く吸い込んだ。
「……いい香りね。半永久的ということは魔獣が死ななければいいのよね。餌は?」
「綺麗な水だけです。貴族である夫人ならば簡単に用意できるでしょう」
「水だけですって……! こんな破格なもの本当に譲る気ですの……?」
声が研磨中の呪われた宝石のように震える。
「ええ。繁殖できませんし、一日に取れる量も限られています。商売には向かない。だからこそ、最も価値がわかる方に譲るのが合理的だと判断しました」
「もし、わたくしがそれで大金を稼いだら?」
「それは全て夫人の手柄です。思い至らなかった俺の勉強代としましょう」
スライムには寿命がある。もし死んでしまったら相手の印象を悪くしてしまう。よって他の王侯貴族相手の商売には向かない。ゆえに、この取引先はここしかない。
沈黙。ロレーヌ夫人は欲望が理性を噛み千切る程度の時間考え、やがておもむろに口を開く。
「……わかりました。契約書と交換にいたしましょう。最低でもカーバンクル狩りの前日までに用意して使者を送りますわ。狩りの準備をしておいてくださいな」
「そのように致しましょう」
迷いが少なかった。これは商会長に話を通す自信があるということ。つまり夫人の尻に敷かれている証拠だ。
「このような卑小なる者の話にお耳をお貸しくださり感謝いたします。さて、よき契約を交わして喉が渇いたでしょう? よければ、ゼリーのおかわりはいかがですか?」
「商売上手ね。いただくわ」
夫人は腹ぺこの狩人が食料を見つけた時のような輝く双眸を俺へ向ける。
対して俺は注文の多い料理店で化け猫側が勝利した時のような幸福な笑みを浮かべた。
こうして商談はまとまり、夜は更けていった。




