第22話 料理屋はじめました
調理実験の翌朝。
勝負の日というのは戦場の静けさに似ている。嵐の前の海、試験前夜の学生寮、殺人告白直前の廊下。つまり、平穏だが不穏で、静かだが騒がしい時間だ。
いよいよ、料理屋を開店した。店の名は料理屋クック。無難だ。
メニューはオムレツのみ。たった一品。だがそれでいい。多品目は迷いを生み、単品は神話を生む。
この店は食堂ではない。釣り堀だ。狙う獲物は貴族という名の金色の魚群。餌はオムレツ一択。
店先に立つキメラは銀髪ロングを朝日で反射させながら、たどたどしく客を呼んでいた。
「えっと……オ、オムレツのお店で……す……。よかったら……どぞー」
声は弱いが存在感が強い。切り裂きジャックのナイフのきらめきが大聖堂の鐘より人を振り向かせることがある。それと同じ理屈で、看板娘とは音量ではなく、光量で勝負する存在なのだ。
最初に来たのは常連だった。クックの家は料理屋になる前から調理屋だった。持ち込まれた食材に対し、腕前だけ提供する仕事。
その頃からの客が匂いに釣られて集まってきたのだ。
「うめぇ!」
この一言は、どんな広告より強い。人間の舌は最古の通信機器だ。噂は口から口へ、パン種のように膨らむ。
昼頃になると噂は街を走り始めた。衛兵が来て、坑夫が来て、労働者が来て、好奇心が来た。
エルドラドの情報伝達速度は伝書鳩より速い。この国は金の臭いを嗅ぎ分ける嗅覚だけは異常に発達している。
結果、大繁盛。フライパンは太鼓のように鳴り、卵は戦場の弾薬のように消えていく。
夕方。爆弾魔が自身の爆弾で誤爆した時くらい綺麗な夕焼けが街を照らす。
俺達は三人とも魂が少し抜けた顔をしていた。
「……想定より来たな」
「来すぎだ……」
クックの声は空焚きされた鍋みたいに乾いていた。
疲労は溜まったが、それ以上に金が貯まった。差し引きで幸福度が上回っているのは間違いない。
「明日はもっと来るぞ。この街は噂が熟成する速度が異常だ。情報はワインより早く発酵する」
俺は断言した。
「サルシファイもどきの量足りるかしら」
机に突っ伏したキメラがフィボナッチ数列の螺旋ぐらい綺麗な旋毛を見せながら言った。
「心配ない。思った以上に広い花畑だからな。カーバンクル狩りまでは余裕でもつ」
最悪、俺が合成魔法で繁殖させればいい。自然繁殖か人工繁殖かの違いなど植物にとっては誤差である。
「それよりクック、情報屋の方は?」
「伝えといたぞ。“明日の夜から貴族は予約制で食事ができる”って」
よし。準備は整った。
「でも、本当に貴族が来るかしら? オムレツしかないし、治安もいいとは言えない青銅区よ?」
「正直わからない。ただ、美食家と自称する連中なら必ず来る。大衆食堂の飯を庶民の餌と唾棄するタイプじゃなければな」
美食家とは味覚の貴族ではない。好奇心の貴族だ。
翌日。
朝も昼も大盛況。一匹の魚に群がるピラニアのように群衆が入れ替わり立ち替わり料理屋を訪れた。
こちらも接客に慣れ、戦場はもはや訓練場になっていた。疲労はあるが混乱はない。
そして夜。
太陽が月を追って西へと沈んだ頃にドアベルが鳴った。音が違った。金属の音ではなく、気品の音だった。
入ってきたのは分福茶釜のたぬきのような髪色の淑女とその付き人。
「お待ちしておりました、ロレーヌ夫人」
俺の紳士的な対応に彼女は微笑んだ。
「まさかお店の方がシュタインさんとキメラさんだとは思いませんでしたわ」
夫のコボルド商会長はいない。まぁいい。想定内だ。
「今思えば、あの出会いも運命だったのでしょう。お席へどうぞ」
「ありがとうございますわ」
紳士な猫を被った俺が格式張った動きで案内する。
「オムレツしかありませんがよろしいでしょうか?」
「もちろん。至高の一品があれば充分ですし、足を運ぶ理由になりましたわ」
「さすがは美食家。足が駿馬のように軽いですね」
「庶民の方々は美味しいものを隠しますのよ。魚の希少な部位だったり、蜂蜜の一番甘いところだったり……だから探すのも一苦労ですわ」
「ククク……お詳しい。美人で、知識があり、行動力がある。これはどのような名宝よりも価値があります」
「お上手ですわね。独身でしたら惹かれていたかもしれませんわ」
横でキメラが、『この男のどこがいいんだ』という顔をしているが気のせいだろう。
「さて、小粋な会話の前菜はこの辺で。オムレツが出来上がりました」
「まあ、いつの間に」
「早い、安い、美味いが当店の売りです」
俺は呪われた絵画のように美しいオムレツを出す。
ロレーヌ夫人は呪物に魅了される盗掘家のように熟視し、喉を一度鳴らした後に静々と口へ運ぶ。
手術用のメスが皮膚に触れる直前に似た沈黙が場を支配する。そして。
「……素晴らしいですわ。見た目、味、食感、どれをとっても完璧。隙のない構成で、技術の集大成と窺えますわ。ただ、人によっては風味が足りないと感じるかもしれませんわね。されど、薄味を好むわたくしには文句のつけようがありませんでしたわ」
その静かな賛辞で全てが報われた。オムレツ一品の店が貴族の食卓に座った瞬間だ。
「さすが美食家です。この料理のわずかな隙を見抜いている。牡蠣があればそれも埋められるのですが、不漁などにより叶わない状況です。ただし、このまま店が発展していけば、満潮時の貝のごとく幸福になることでしょう」
「うふふ、それは暗にわたくしに協力しろとおっしゃっているのです?」
「滅相もない。ただお茶会や舞踏会の合間に我々のことを小鳥のように囁いてくれれば夢も現となるやもしれません」
「何から何までお上手ですわ」
満ち足りた様子のロレーヌ夫人。しかしまだ俺の策は終わらない。
「話は変わりますが——実は夫人に食べていただきたい料理が“もう一品”あるのです」
「なんですって……!」
夫人の瞳が煮詰めたカラメルソースのように怪しく輝く。
釣り針に最初のダボハゼがかかった音がした。




