第2話 水問題解決
研究所の外に広がる森はシェーレグリーンで染め上げたみたいに魅惑的で、俺の頭の中と同じで無駄に広く、ところどころ危険だ。
木々は黙秘権を行使した被疑者のように無言で立ち並び、足元の落ち葉はミイラの骨のごとく踏めば音が鳴るだけで中身はない。
そんな森を俺とキメラは並んで歩いていた。並んでいるというより、危険物と可燃物を同じ棚に置いている感覚に近い。触れると暴発。そんな素敵な距離感だ。
「ねえ、どこ行くの?」
キメラが首を傾げる。穢れのない銀髪が揺れて、やけに様になる。
「水を汲みにな」
「ふーん」
彼女は俺の手元を一瞥して口角をつり上げた。
「桶がないけど? あれあれ? まさか、ど忘れしたのかな?」
ニヤニヤしている。煽り顔すら美麗で負の感情が一切湧いてこない。こいつの顔は美の神がデザインしたに違いない。
「他に方法があるのだよ。少し考えれば分かるだろう。キミは外見はいいが脳みそは入れ替える必要がありそうだ」
「はー、嫌な人。私を彼女にしたいなら、ご機嫌取りした方がいいんじゃないの?」
「そんなことをしなくても合成して好感度をMAXにすればいい。恋愛シミュレーションゲームで攻略本を見ながら無駄な会話や選択肢をスキップするようなものだ」
俺はオタク文化への造詣が深い。というのも“火が吐けるヒロイン”が創作物にしか居なかったからだ。毎日、我欲を満たすためにサブカルチャーの世界に浸っていた。
異世界人であるキメラは、素知らぬ宇宙人でも眺めるように俺へ視線を向ける。
「はぁ? あんたって会話下手よね。友達いないでしょ?」
痛いところを突かれた気がしたが事実なので傷つかない。決してな。決してだぞ。
「昔は居たよ。利害が一致した時だけ共に行動する、一種の共生関係のようで素晴らしかった。ほとんど学業が修了した時点で縁は切れてしまったがね」
「……あんたが変人ってことがよく分かるわ。これじゃあ森深くに引きこもるのも仕方ないわね」
「ここに来てまだ一週間だぞ」
「そういえば言ってたっけ。でも、それにしては家具や薬品が山積みだったけれど」
「ほう、少しは観察眼があるな。思ったより脳の皺が多そうだ」
「一言多い」
キメラの文句を無視して俺は話を続ける。
「あの研究所は俺が来る前からあった。誰も住んでいなかったようだから再利用させてもらっている」
俺がそこで目覚めた時、人の気配は一切なかった。分かったことと言えば、俺の体が別人のものになっており、恐らく転生したこと。それと周囲に散らばっていた本を読んで、シュタインという名前と合成針の使い方が分かったぐらいだ。
「ふぅん。どうでもいいわね」
実にツンデレらしい反応だ。よし、転生の件は黙っておこう。情報はスパイスと同じで入れすぎると料理が台無しになる。特にこいつは口が軽そうで頭の回転が速いようで遅い。要らぬ災いを招く未来がスライドショーで見える。だから人格を改造するまでは秘密だ。
そんなロシアンルーレットみたいな心踊るやり取りを繰り返しながらしばらく歩くと、水の流れる音が耳を撫でてきた。
「うわー、綺麗!」
キメラが目を輝かせる。川は異世界太陽を反射し、宝石のようにきらめいている。まあ、宝石というよりガラス玉だが。
「どこにでもある川だろう。感動するほどでもない」
「あんたといると早死にしそうだわ」
「それは困るな。キミには未来永劫、俺をヨシヨシしてもらわなければならない。そうだ、不老不死の研究を進めておこう」
「はいはい。あんたとの会話は、風に舞う羽を掴むくらい難しいからもういいわ。で、到着したけどどうするの?」
俺は川面を睨んで、目を細める。
「たしかこの辺りにヤツがいるはずだが——」
その瞬間、川の水が意思を持ったかのように盛り上がった。水は人の形を取り、やがてスタイルのいい女体を形成する。真ん中には脈打つ赤い核。
水魔獣ウンディーネだ。
「相変わらず素晴らしいプロポーションだ。キメラが居なければ、キミを器にするつもりだった」
「な、なにバカ言ってんのよ! ウンディーネなのよ!? 逃げないと捕まったら溺死させられるわ!」
「慌てることはない。キミなら簡単に倒せるはずだよ」
「はぁ!? 無理に決まってるでしょ!」
「足の裏に思い切り力を入れて真上に跳んでごらん」
キメラは半信半疑な表情のままウンディーネの攻撃を避けるように跳躍した。
「えええええ!?」
銀龍が朝霧を裂くように天高く舞い上がり、着地。地面が悲鳴を上げて砂煙が立つ。
「なんなのよ!? どうなってるのよ!? 説明しなさいよ!?」
「狼の魔獣を合成したと言っただろう? あの時に髪色を変えただけでなく、筋力も強化しておいた。拳も強くなっているはずだ。ほら、来るぞ」
ウンディーネのタコのような水の触手が迫る。
「ちょ、ちょ、理解が追いつかない——おりゃあああああ!」
キメラの拳が唸り、破裂音と共に触手が弾け飛ぶ。
「おお! 素晴らしい!」
「えぇ……!?」
キメラは自分の拳をまじまじと見つめる。
「その調子で奴の赤い核を抜き取ってくれ。合成素材にしたいから傷つけないように頼むよ」
「勝手なことばかり言って……! 覚えてなさいよ!」
キメラはカンガルーのように軽く跳ねて力加減を測る。ふむ、学習能力は最低限あるようだ。やはり人間。マウスよりも使える。
彼女はウンディーネの猛攻を避け、懐に入り、核を蹴り出す。
核はブラッドムーンのように天高く舞い上がると、やがて自由落下でキメラの手の上に落ちてきた。それを俺の前に差し出す。
「はい、取ってきてあげたわよ。何もできない雛鳥さん」
「素晴らしい言い回しだ。ヒモ男を養う素質があるな」
「で、これ何に使うの?」
「それはもちろん——」
俺はキメラの胸に白い合成針を刺した。
「え——」
思考停止している彼女を横目に、もう一本の黒針を核へ。合成魔法はイメージが命だ。想像から創造へ。
光が走り、核は消え、地面にはへたり込むキメラだけが残った。
「うぐ、あんた何したのよ……!」
「ウンディーネとキミを合成させただけだが? さぁ、体を液状化してみてくれ」
「……できないけど?」
なんだと? 完璧にイメージしたはずだが。
俺は顎に手を当てて、捨てた死体から植物の芽が生えたのを見た殺人鬼のようにピュアなスマイルを彼女へ向ける。
「ふむ。どうやら——失敗だな!」
「はぁ!?」
「実験に失敗は付きものだ。切り替えていこうじゃないか」
「ふざけんな! 戻しなさいよ!」
「いやいや、ここで慌てて合成を重ねれば更なる失敗を招く。慎重に、段階的にだ。それより指先から水を出せないか?」
渋々といった様子でキメラは人差し指を突き出す。すると、指先からホースのように水が出た。
「素晴らしい! 体の液状化には失敗したが、ちゃんと水を出せるじゃないか!」
キメラは呆然と水を出し続ける。俺はその水で手を洗った。
「もう少し常温に近い水を出せないか?」
「ふざけんなっ!」
顔に水をかけられる。
「ふむ、味に問題はないし、飲んでも大丈夫そうだ。もう少し観察が必要だがね」
「の、飲むな! この変態!」
「??? とにかく、これで水問題は解決だ。腹を壊すことが多かったから助かるよ。さすがは俺の嫁」
「死ねっ!」
水の塊が飛んできた。ちょうど顔を洗いたかったところだ。実に気が利く。
こうして我が研究所には新たな設備——“自走式で感情付きの給水装置”が導入されたのだった。




