第19話 金区・酒場1・魔女フランとカーバンクル狩りの話
金区へ向かう坂道は、まるで世界の価値観そのものを圧縮した斜面だった。
一歩登るごとに空気が軽くなるのではなく、重くなる。重力が強くなるというより、欲望が濃縮されていく感覚だ。
石畳は磨かれ、建物は光り、窓ガラスは誇らしげに空を映している。
ここは街というより、階級のショーケースだ。下から覗く者にとっては夢で、上に立つ者にとっては日常。夢は軽く、日常は重い。
世界を腐しながら歩いていると、門が見えた。金色の装飾が施された巨大な門。装飾というより結界だ。物理的な門であり、社会的な膜でもある。
横にはガーゴイルみたいな衛兵が立っている。鎧が光り、槍が立ち、視線は冷たい。
ここから先は人間ではなく身分が通行証になる。金持ち以外は人権なし、路傍の石、犬のクソ。
「よぉ」
錬金魔導士ルエガが鳳凰のような金髪を揺らしながら片手を上げる。長袖から覗く腕は神具“神腕”をつけているとは思えない。普通の人間と同じ形と色をしている。
「ルエガ様! お疲れ様です!」
一瞬で空気が変わった。緊張が溶け、警戒が霧散し、門が開く。
顔パスという名の魔法陣。権力とは最も原始的な魔法だ。強力ではあるが副作用もある。腐敗という名の毒だ。
門番が石のように冷たい視線を俺とキメラに送ってくるも気にせず門をくぐる。
金区の空気は香水と金属とワインの匂いが混ざった香りがした。甘く、重く、頭が少しだけ酔う匂い。
連れて行かれたのは高級そうな酒場だった。
天井は高く、照明は柔らかく、床は無駄に反射している。空間全体が、ここにいる人間は上等です、と自己主張している。
他の客の視線を感じさせないためか、申し訳程度に区切られた席に着く。
「出逢いに乾杯」
仕方なく乾杯。エールの泡が立ちのぼる。黄金色の液体は、液体の皮を被った光だ。
俺とルエガはエールだが、キメラは赤い飲み物だ。
「それ何だ?」
「トマトジュースっぽいもの」
神秘的な存在が飲むと、ただの野菜ジュースでも儀式用の秘薬に見えるから不思議だ。
ルエガがニヤつく。
「でさぁ、どうやってキメラちゃんを口説き落としたんだい?」
いきなり下世話な話か。
「少々、強引に頭を撫でただけだ」
キメラの歯軋りが聞こえる。ジュースに硬いトマトが入っていたのかもな。
「えぇ、マジかよ……。神秘的な女も強引な男に弱いもんなんだなぁ」
脳に針を刺すだけだからな。世の女はみんな弱いだろう。
「それより魔女フランについて聞きたい」
話題を切り替える。酒の席は空気が発酵する。放っておくと無意味な方向に腐ってしまう。だから強引さが必要だ。
「せっかちだねぇ。まぁいいよ」
ルエガがエールを一口飲んで語り始める。
「フランは鷲鼻が特徴の成人女。元々は王立魔法研究所の博士だった。十五年前、研究所と孤児院を焼き払い、中にいた人間を焼殺。その後、指名手配されるも未だに尻尾は掴めず。さらに数年前から魔法のキャンディを配って魔法使いを生み出している」
言葉が並ぶ。情報が積み木のように積まれていく。だが、どれも血の匂いがする。
「そのアメはやはり神具で作っているのか?」
「ほぼ確定だろうな。そんな革命的技術は神具以外じゃ無理だ」
「その言いぐさだと、元々フランは神具を持っていなかったのか?」
「おう。研究所にいた頃は持ってなかった。神具は隠し持ってたら罪に問われるから普通は申告する。国に匿われて安全だし、金持ちになれるしな。申告しない奴は余程の変人だろうよ」
誰が変人だ。心の中で毒づく。
俺は理想の嫁を創るために自由を捨てたくないだけだ。国に飼われる神具持ちなんて、爆弾首輪付きの神様だろう。いつでも爆殺される。
下手に反論すると神具持ちだと露呈するので、俺は話を変える。
「フランの目的は何だと思う?」
「難しいねぇ。アメを与えてるのが野盗やならず者や弱者ばかり。義賊気取りか、国を混乱させる布石か……俗説だが、神具は“欲しいと強く願ったもの”の元に現れるらしいからな。明確な目的はあると思うぜ」
なるほど。調理屋クックとほぼ同じことを言っているな。
フランは混沌を蒔く農夫だ。魔法使いという種をばら撒き、世界という畑を荒らしている。だが収穫目的は不明。厄介なタイプだ。
「次はカーバンクル狩りについて聞いていいか」
「いいねぇ、必要最低限で最短距離の会話。親友感あるわ」
「おべっかはいい」
「はいはい。で、カーバンクル狩りね。なんと俺様も参加しまーす!」
琥珀色の瞳を輝かせるルエガ。
「国の命令か?」
「そうさ。怪我人続出で看過できない状況。最強神具持ちの俺様が駆り出されるってわけ」
ルエガが黙笑して続ける。
「昨日なんて下級坑道にも出たらしくてさ。庶民が血眼で殺到してる。こうなると上級坑道に潜る奴も出るし、人間同士の殺し合いも始まるだろうな」
カーバンクル一匹で家が買えるほどの金が手に入る。そうなれば、理性は紙屑だ。倫理は燃料だ。人間は自分で地獄を焚きつける。
「俺たちも参加できるよう口を聞いてくれないか?」
「無理だねぇ。理由は単純。俺様の信用が落ちる。不逞の輩を混ぜて問題が起きたら終わりだ」
「親友の頼みでもか?」
「あはは、上手いねぇ。でも親友でも踏み込めない領域はあるだろ?」
やはり無理か。
俺はエールを飲み干す。黄金色の泡が喉を落ちていく。まるで溶けたコインを飲み込む感覚だ。
「色々と助かった。じゃあな」
席を立つ。
「おいおい、まだ全然だろ。下品な話をし始めてからが酒の席だぜ?」
振り返らず、ハエを払うように手を振る。
しかし、気づく。
キメラがこちらを見ていない。いつの間にか並べられていた料理にひたすらがっついている。
完全に食事モードだ。空の皿が三枚。
こいつ、こんなに大食いだったのか。
神秘的な女神の皮を被った底なし胃袋。人間は誰しも二面性を持つものだが、この女は分かりやすいな。
美と暴食。俺は絵画のタイトルのような言葉が浮かんだ。
その絵を無理矢理持ち帰るべく、キメラの肩に触れようとすると、背後に気配。
「もし、少しよろしくて?」
そこに立っていたのは、豪奢な服に包まれた茶髪の貴婦人だった。




