第18話 銀区・錬金魔導士ルエガ
銀区という場所は音が柔らかい。銅区の喧騒がロック音楽なら、ここは図書館の足音だ。エルドラド北東から真東にかけて広がる平民の街。住宅と生活と日常でできた巨大な普通の集合体。金属で言えば銀だが、匂いは石鹸と洗濯物と昼食の湯気だ。
俺達は手を繋いだまま、北東側から銀区に入り、そのまま南へ歩いた。
歩けども歩けども、ほとんど住宅街。並ぶ家並みは同じ顔をした兵隊みたいに規則正しく無個性で安心できる。秩序という名の毛布にくるまれた区画だ。
すれ違う人々の視線が、おしなべてキメラに吸い寄せられる。視線というより重力だ。美人はこの世界のブラックホールで視線はすべて吸い込まれていく。
「……見られてるわね」
「キミは夜の街灯より目立つ存在だからな」
奇異、好奇、羨望、警戒、欲望。感情のスペクトルが一瞬で流れていく。
「銀区って綺麗だけど退屈な場所よね」
銀の化身のキメラが言うと説得力がある。
「実験場にはちょうどよさそうだがな」
閑静な住宅地。悪党が身を隠して地下で実験をするには好都合だ。俺は悪党ではないけどな。
俺が言うと彼女はルーティーンのようにいつもの呆れた顔をした。
その後も歩く。南へ、南へ。
やがてキメラが足を止めた。
「あ……見えてきたわ。孤児院……のあった場所」
そこにあったのは建物ではなく、紫の花畑だった。
かつての孤児院は誰かの記憶の中にしか存在しない。十五年前、魔女フランに焼き払われた施設の跡地は今や花に占拠されていた。
焼け跡の上に咲く花。紫の絨毯。それを儚げな表情で眺めるキメラ。
実験体の過去に興味はないが、彼女の消えてしまいそうな所作を見ていると少しだけ心に触れてみたくなる。
「フランを捕まえたらどうする?」
「……そうね、とりあえず一発お腹に拳をめり込ませるわ」
「今のキミの力なら内臓が飛び出して死ぬぞ」
俺の正論にキメラは銀の睫毛をわずかに下へ降ろす。
「冗談よ。なぜあんなことをしたのか本人の口から聞きたいわ。それでどうしようもないヤツだったら……この手で殺すわ」
最後の言葉は酷く冷たかった。覚悟を決めた者のそれだ。
キメラは散る前の花のような表情を浮かべてこちらを見つめる。
「私が殺人鬼になっても愛してくれる?」
「愚問だな。俺に従順ならどんな性質を持っていても受け入れる。気に食わなければ合成すればいいしな」
「ほんと、変な人ね。救われる時もあるけれど」
意味を掴みかねる言葉だが、つつくのは辞めておこう。蛇が出たら面倒だ。
俺は彼女から手を離し、屈んで紫の花を見る。“サルシファイの花”に似ている。構造も色も微妙に違うが近縁種だろう。
「……孤児院はどこに移転したんだ?」
「南東の金区の中。貴族街ね」
キメラがか細い声で発した。
俺は金区の方角を見る。鉱山の斜面を利用した区画。段々畑のように連なる建物群。その頂点に王城。
金区は物理的にも社会的にも高い。見上げるのは首が痛くなる。
人間社会の縮図を唾棄して説教ポエムでも唱えようとした時だった。
「おやおや、俺様以外に花を愛でる男がいるなんてな」
声。軽く、陽気で、自己主張が強い音。
振り向くと、中性的な顔立ちで太陽を結晶化したような金髪の男が立っていた。
「誰だ?」
「マジかよ、俺様を知らないたぁ落ち込むぜ。まぁいいや、俺様は“ルエガ”。錬金魔導士だ」
男アイドルみたいに整った顔、モデルのようなスタイル、軽薄な笑み、目は妙に鋭い。
「錬金魔導士?」
「それもしらねぇか。神具を持つ奴を魔導士って言って、錬金は神具の特徴に由来する名前だ。俺の神具、“神腕”は触れた魔獣を金に変える魔法なんだぜ」
神腕。ネーミングセンスが中二病の教科書みたいだ。
「凄いじゃないか。金を作り放題だ」
「残念ながら表面の色だけで、擦ったら石ころが残るだけさ。しかも魔獣限定。屈強な男に睨まれたらブルブル震えるしかないんだぜ?」
「だが、食うには困らなさそうだ」
「まーなー」
会話のテンポが軽い。軽すぎて逆に重い。軽薄は仮面で、裏側に計算があるタイプかもな。
「で、シュタインとキメラはここで何してるんだい?」
「何もしてないのに名前を覚えてもらえるとは相変わらず親切な国だな」
「だろ? みんな金のために情報を血眼で集めてるからねぇ」
この街の通貨は金だけじゃない。情報もまた金属だ。柔らかく、流動的で、価値が変動する銀。
「俺達は魔女フランを追っている」
空気が一瞬だけ冷えた。
ルエガの顔が苦虫を噛み潰したみたいに歪む。
「やめとけよ。雲を掴むより難しいぜ。他にも賞金首は多い。変更した方が賢明だ。一番はこんな金の臭いが充満してる肥溜めから出ていくことだがな」
「無理だな。俺は諦めが悪いタチなんだ」
「へぇ。嫌いじゃないぜ、そういうの。ぜひ親友って呼ばせてくれ」
「断る」
「よろしくな、親友」
そうなると思った。軽薄な奴ほど距離感覚が雑だ。だがそういう奴ほど人脈を形成して成功するものである。
「ところで、美しいキメラちゃんともお話ししたいんだが?」
「……なにか御用かしら?」
キメラがモナリザみたいに微笑む。
「綺麗だねぇ。キミの周りを風が舞ってる気がする。ひと味違う人間だとわかるよ。片目隠しもいい。謎を感じるし、瞳を見たくて凝視してしまう」
風はシルフ合成の影響だが、もちろん黙っておく。
ただ、片目隠れへの理解があるのは評価したい。
「お上手ね」
「キメラちゃんは、どこの国出身だい?」
どう答える気だろうか。エルドラドとそのまま言うか、引き取られた貴族の国か。
キメラは怪物にとどめを刺すハリウッド女優のような決め顔で一言放つ。
「……地獄よ」
この女は稀に面白い。
「あはは、いい回答だ」
ルエガは嫌な顔ひとつ浮かべず、人体実験に失敗した科学者のように清々しい笑顔を見せた。
「話はそれだけ? なら、忙しいから失礼するわ」
キメラが俺の手を握り、少しだけ強めに引く。
「待ってくれ。二人に酒を奢らせてくれ」
「お酒は飲めないわ」
「食事もあるぞ」
「なら行くわ!」
即答。栄養補給=正義。分かりやすすぎる価値観だ。
「シュタインもいいだろ? 俺様は王立魔法研究所のお偉いさんで博士とも呼ばれてる。酒の席なら、うっかり重要な情報を話すかもな?」
食えない男だ。こちらの欲するものを読んでいる。
罠かもしれない。だが、虎穴に入らずんば虎子を得ず。
「ご相伴に預かるよ。この国の人間は本当に親切で助かる」
反吐が出るほどの社交辞令。形式的で面倒なやり取りだ。
俺は心の中で思う。やはり、世界中の人間を操り人形にした方があらゆる面において話が早いな。
魔王のような思考になりながら、三人で歩き出した。
花畑を背に銀区を抜けて金区へ。価値が高くなる方向へ。欲望が濃くなる階層へ。
エルドラドという迷宮は、いつも上に行くほど空気が薄くなる。だが俺は知っている。酸素が薄い場所ほど面白い連中が集まるということを。




