第16話 銅区1・エルドラドトマト
優しい鳥の声に目を覚ます。窓から差し込む朝日に目を眇めながら、昨日のデータを脳みそからロードする。
昨晩出会ったニワトリクック、もとい調理屋クックの家に泊めてもらったことを思い出す。どうやら武装した野蛮人に囲まれることもなく、無事な朝を迎えたようだ。あの男、信用していいかもな。今のところは。
俺は寝室を出てダイニングキッチンとでも呼ぶべき、広間に出る。すると、すでにクックが鶏冠型モヒカンを立てて調理場で作業をしていた。
「おや早いな。肝が据わってそうなあんたもさすがに安眠は無理だったか?」
「そんなことはない。自分の家のベッドよりもずっと快適だった」
「言葉の裏を読むべきか?」
「いや、純粋な謝意だよ」
俺は嫌味な人間には嫌味か正論で返すが、良い人間にはそれなりの言動をする。常識人だからな。
「そいつはよかった。裏の井戸で顔を洗って来いよ。その間に飯を作っとくから」
井戸か。衛生面が心配だな。キメラを使うとしよう。
寝室に戻り、俺の嫁を見る。仰向けで眠っていた。その姿はミレーの絵画オフィーリアのような、美しいが現代的価値観で見れば少々滑稽にも見える寝姿だった。
ただ、やはり喋らなければ完璧だ。残念ながら起き抜けと同時に餌を求める雛鳥のごとくうるさくなってしまうので、その言葉は剥奪する。そう思うと、寝姿はオフィーリアではなく、カッパの川流れに見えてきた。
このまま石像にしてシーサーみたいに玄関の守り神として飾りたいという欲望を抑えつつキメラを起こす。
「んにゃ? あさ?」
上半身を起こし、ルビーのように煌めく右眼を擦る。
「ああ。今日も一日、幸福な時間が始まるよ」
「……いきなりあんたの顔を見るなんて悪夢の途中のようね」
「その方が記憶に刻まれて悪くないな」
いつもの憎しみ“愛”を語り合いながら、裏でキメラ水で顔を洗った後、クックの元へ戻った。
「本日の予定は?」
「銅区で嫁自慢がてら情報を探ってくる」
キメラが音量調整に失敗したため息を吐く。
クックは眉を上げて納得の意を示す。
二匹のリアクションを放置して俺は話を続ける。
「それでだ、良ければあと数日ほど泊めてくれないか?」
「もちろん。あんたらの目が輝いているうちはいくらでも泊まっていいさ。ただ、王侯貴族に差し出せと言われたらオレはコウモリになるしかない。許してくれ」
「ああそれでいい。事前に警告してくれて助かるよ。だが、キミの立ち回りは損をしているように見える」
「そんなことはないさ。この国では敵を作らないことが生き残るコツだ。正直な話、あんたらはオレの中で興味と恐怖半々だ。道端に突然現れた宝箱を開けるか開けないか、迷っている最中さ」
「早死にしそうだな。気をつけてくれよ。キミは貴重な人材なのだから」
いざとなったら合成して飛べるニワトリにしてやろう。卵も産めるようにすれば食うに困らないだろうし、それもいい。
「言葉の裏は読まないでおくよ」
クックが目玉焼きを出しながら別の話を切り出す。
「今朝、カーバンクルの話を小耳に挟んだんだが、どうやら下級坑道に出現したらしい」
「ほう、続けてくれ」
俺は眉尻ひとつ動かさず話を促す。
「坑夫が見つけたものの、小さな穴から逃げられた。情報屋が拡散してるから時期に下級坑道へ人が殺到するだろう」
最悪だな。情報という株の売り時を誤ったか。
その後、会話を早々に切り上げて、食事を済ませた俺とキメラは席を立った。
外に出ると、南に走っていく人間の群れが見えた。カーバンクルの噂を聞きつけて下級坑道へと向かっているのだろう。
そいつらは目が光り、息が荒く、周囲を漂う空気が金属臭い。金の気配を嗅ぎつけた獣の群れ。欲望の塊。
「……もう下級坑道には入れないな」
「しばらくは無理ね。別の仕事を探さないと」
看板も封鎖線もない。ただ、空気がそう言っていた。
情報というものは水みたいなもので指の隙間から必ず漏れる。それを素早く掬う手立てを持っていなければエルドラドで金を稼ぐのは難しいだろう。無知なものは搾取され続ける。
「この国は、まるで金の臭いがする蟻地獄だな」
俺が言うとキメラは肩をすくめた。
「見上げたら黄金が望めてしまうからアリより可哀想だわ」
金区の方を眺めながら言った。たまには面白いことを発するな、と思ったが口には出さなかった。
とにかく坑道は閉ざされた。となれば次の一手を考えるしかない。金を稼ぐには知恵か暴力か天啓が必要だが、暴力は目立ちすぎるし、天啓は神の気まぐれでしか降って来ない。なら知恵。
俺達はエルドラド中央にある銅区へ向かった。国に来た時に初めて入った区画だ。
銅区は青銅区よりも明るく、銀区よりも雑多だ。秩序と混沌が握手して、すぐ殴り合いを始めたような区画。露店市はその縮図だった。
香辛料の匂い、焼き肉の煙、金属音、呼び声、笑い声、罵声。音と匂いと色が同時に殴りかかってくる。感覚のフルオープン攻撃。
俺は即座にキメラの手を握る。
「なっ、なにすんのよっ?」
「逸れないためだ。迷子探しに割く時間はない。わかるだろう?」
「そ、そ、そうね……」
葛藤が握力という形で伝わってくる。しかしすぐに無抵抗になり、包み込むように握り返してきた。
「行こう」
キメラは返答せず、コクコクと頷く。頬が赤い気がする。
「暑いならウンディーネで冷やせよ」
「うるさい」
俺達は奇異の目で見られながらも露店を回る。
武器、防具、謎の粉、用途不明の骨、呪われてそうな札、魔が宿ってそうな石、干し肉、酒、薬草。世界がそのまま並んでいる。
そんな中で見つけたのは。
「……トマトか?」
赤い球体が木箱に山積みになっていた。
「エルドラドトマトね」
トマトよりは赤くない顔のキメラが札を読んだ。
この世界にもトマトがあるのか。確かに意外と歴史は古かった気もするし、似た植物があってもおかしくないか。
「持ち帰って実験したいな」
「やめて。料理以外に使わないで」
理性ある判断だ。
「ふむ、調理実験という意味で発言したんだが……キミはトマト食べ放題に興味はないか?」
「合成したら殺す。絶対殺す」
トマト祭りより血祭りが開催されそうなので辞めておこう。トマトだけ合成しても、という気持ちもあるしな。せめてドレッシングを見つけてからにしよう。




