第12話 下級坑道1・空気の読める女
宿に泊まれないと判明した瞬間に人間社会という巨大な生き物の胃袋に俺達はそのまま丸呑みにされた気分になった。布団も屋根もない街は哲学書より冷たく、現実主義者より容赦がない。
「……で、どうするのよ」
キメラが腕を組んで俺を見る。その目は今すぐ金を錬金術で生み出せ、という無理難題を突きつける合成魔法使い殺しの眼差しだった。
「下級坑道に行ってみるか」
「え、宿なしで?」
「宿がないからこそだ。人は追い詰められた時に最も合理的な選択をする。……多分」
多分、という言葉は万能だ。論理の穴を埋めるモルタルのようなものである。
「他に妙案も浮かばないし、行こっか」
少し語尾に甘さを感じる話し方だった。これがツンデレの魔力か。気をつけなければ懐柔されてしまいそうだ。
それから俺達はエルドラド南西へ向かった。鉱山の裾野に着く。見上げると人工的に削られた山肌が望める。削った土砂を人工の川に流して、そこから人々が砂金を探すのだろう。
夢と欲望を洗濯機に放り込んで、遠心力で金だけを残そうとするようなシステム。だが実際に残るのは、労働と疲労、そして道具屋と山の管理者の笑顔だけだ。
「時間の無駄だな」
俺は正直に言った。山の表層を削って出る金など、倫理観と同じくらい希少だ。
「もしかしたら金の塊が出るかも知れないじゃない」
「そういう一攫千金思想を利用されてるんだよ。希望という名の罠だ」
「夢がないわね」
「現実が多すぎるんだよ。夢を覆い隠すくらいにな」
黙々と鉱山を登る。人の欲望が積み重なってできた階段は、まるで巨大な蟻塚の外壁だ。踏み外せば落ちるのは地面ではなく人生だろう。
息が荒くなり始めた頃に坑道の出入口が姿を現した。そこには三つの人影。
屈強な男が二人。見張りだろう。筋肉という名の鎧を着た門番だ。その間に立つのが斡旋所の人間に違いない。油揚げを目の前にぶら下げれば誰にでも尻尾を振りそうなキツネ顔で、身なりが整っており、土汚れひとつ付いていない。いかにも金持ちのお坊ちゃん、というより、一生困らない人生なのに間違えてここに来ました、という表情をしている。
「キミ達が新人さんのシュタインとキメラだね。って、その格好で坑道に入るのかい?」
「ああ、問題ない」
二人とも白い布の服。ロールプレイングゲームなら初めの難所で死ぬ程度の服装だろう。
「兜くらいはないと落石とかスライムが落ちてきたら大変だよ?」
「それも問題ない」
合理性のある装備を得るには金がいる。金を得るには装備がいる。あちらを立てればこちらが立たず。貧乏人は安全第一ではないのだ。
「あらそう。そっちのお嬢さんもかい?」
「ええ」
斡旋所の人間はキメラを値踏みするように眺めてから、親切顔で口を開く。
「……これは親切心で言うんだけど、キミにはもっと稼げる仕事があると思うよ。貴族の女になるとか……娼館で働くとかさ」
空気が凍った。
「絶対嫌よ。誰が男の装飾品になるかっての」
「そうだな。コイツは俺のものだから売る気はない」
俺のキザな台詞に対して、キメラのかき氷器のような歯軋りが聞こえた。
「はぁ? 勝手にあんたのものにしないでくれる?」
「不毛なやり取りは辞めておこうか」
お互い引かない、いつもの水と油のせめぎ合いなので時間の無駄だ。キメラもそれを理解しているのか、舌打ちだけをして黙る。
「チッ」
「投げキッスをありがとう」
俺達のやり取りを冷ややかな目で見ていたキツネ顔のお坊ちゃんが苦笑いを浮かべる。
「あー、痴話喧嘩を誘発して悪かったよ」
その言葉にキメラは反論しかけて口を開け、すぐに閉じた。電気を流して躾けたマウスくらい賢い反応速度だ。進化の片鱗を感じる。
「話を戻すよ。キミ達の仕事は坑道巡回。ネズミ型魔獣“コロコロ”の駆除と、“スライム”が水路を塞いでいたら除去。もし、未知の魔獣がいたら報告。それから成果の証拠として、コロコロの頭を十個と、坑道奥の木彫り像を三つ持ち帰ること」
サボらせないためのシステムも作っているか。ルールの穴を突くやつは多いし仕方ない。人の善意は人目がないと発動しないポンコツスキルだからな。
「ネズミを多く狩れば、その分報酬も増えるんだろう?」
「もちろん。やればやるほど儲かる素晴らしい仕事だね」
人によっては神経を逆撫でする言い回しだ。貴族の坊ちゃんは人の心を読むスキルツリーを解放していないらしい。
「地図は?」
「ないね。街で買ってくるしかない」
至るところに課金要素が仕込まれている。現実世界のRPGは難易度が高い。
俺は肩をすくめて諦観の意を示す。察したお坊ちゃんはニコニコと笑って、遊園地のスタッフのごとく親切な演技で坑道への道を開ける。
「それじゃあ、いってらっしゃい。夕暮れになったら鈴を鳴らすよ。中に坑夫もいるし、迷ってもきっと助けてくれるさ。きっとね」
『きっと』ほど信用できない言葉はない。
文句を口に出すことはなく、俺達は下級坑道へ入った。
中は虎のケツの穴よりは明るい。空気を運ぶ妖精型魔獣シルフの淡い光と、壁の松明と、手持ちの安い松明だけが頼りだ。闇は液体のように濃く、光は気体のように薄い。肺ではなく、意識で呼吸する空間だった。
夜目の利く嫁のキメラが前を歩き、俺が後ろをついていく。彼女が足音を響かせる度に花の香りが鼻腔を刺激し、強制的にリラックスさせてくる。歩く芳香剤がいて助かるな、とは口が裂けても言わない。暴れられて坑道が崩落したら終わりだからな。
出入口の光が見えなくなったところでキメラに声をかける。
「キメラ、止まってくれ」
「なに?」
「キノコの傘を出してくれ。兜の代わりにするから、頭を覆えるくらいのものを頼む」
「仕方ないわね」
紅白キノコの傘が出てくる。時代劇でよく見る編笠のようだ。
さっそく被ってみた。柔らかくて落ち着くな。ホルマリン漬けの脳みそもこんな気分なんだろう。
「ぷっ、だっさ」
「貴重な脳を守れるなら見目はどうでもいいだろう」
「結婚するならオシャレな人がいいわ」
「必要のないファクターだ。俺の知っている優秀な人間は毎日同じ服を着ていた。限られた思考のリソースを無駄に割かないためにな」
「そうですかそうですか。息苦しいわね。あんたの周りにシルフ足りないんじゃない?」
「……待て」
俺はキメラから視線をずらす。そこに居たのは妖精魔獣シルフ。ただし、通常の三倍はある。普通の個体がアゲハチョウくらいだとすると、山奥にいる謎の巨大蛾くらいある。
「ガガゴゴ!」
シルフが年代物の掃除機みたいな音を立てて襲ってくる。
図体が大きくなった分、態度もデカくなったか。
合成針を二本投げて一本をシルフに刺す。さらに戻ってきたもう一本を——キメラに刺した。
「ちょ、あんたまさか……!」
「じっとして壁の土でも眺めていてくれ。すぐに終わる」
合成。魔法少女の変身シーンくらい光った後、キメラが動き出した。
「どう、なったの?」
「キメラのアイデアを取り入れて俺の周りに新鮮な空気が発生するようにしたんだよ」
キメラが念じるように眉間に皺を寄せると、体から柔らかな風が発生し、家電量販店の扇風機についている紙みたいに銀髪がたなびいている。さらにフローラルな香りが漂い、周囲だけエデンの園になったような錯覚に陥らせてくる。
「な、な……!」
「これで生き埋めになっても呼吸ができるし、肺炎の予防にもなりそうだ。ウンディーネの力と合わせてクーラーとして使えるかもな。そうなると暖房も欲しくなる。やはり火の魔獣が欲しい。ああ、夢が、野望が広がる!」
「この外道!」
キメラが手のひらをこちらに向けてくる。
「おっと、ここで暴れると生き埋めになるかも知れないぞ。他にも人がいるらしいし、不味いんじゃないか?」
「卑怯者……! 私の力を人質にするなんて!」
仕方なく手を下ろすキメラ。
芸を覚えた犬のような仕草に、俺はシリアルキラーのごとく涼やかな笑顔を向ける。
「空気の読める女になったな」
直後、荒野のガンマンのごとき早さで指型水鉄砲により狙撃される。
それから水も滴るいい男になった俺は、空気の読める女キメラとともに奥へと進んだ。




