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自分で思うよりも

 扉を開けるとすぐに川田くんがこちらを振り返った。


「おかえりなさい。遅かったですね、先輩。お説教でもされたんですか?」


 からかうような笑顔を向けられる。言っていることは意地悪なのに、なんだかほっとしてしまう。

 長い旅からようやく我が家に帰ってきたような安心感。


 見慣れたはずの川田くんなのに、久しぶりに会ったような懐かしさだ。長瀬先輩に緊張させられた分余計に、川田くんといると肩から力が抜けるのがわかる。

 最近は後輩がいることのよさを感じてばかりだ。


「ただいま。遅くなったのはまあ、ちょっと、いろいろね」


 精一杯の詳しく聞かないでくださいオーラを出しつつ、定位置のソファにしなだれかかった。くたびれたソファが、今だけは最高級品みたいだ。

 そのまま倒れ込んで、思い切りごろごろ転がりたい気持ちを堪えるのが大変だった。


「よくわかりませんけど、なんだかお疲れさまでした」


 いつにも増してだらんとしている私に苦笑しつつ、川田くんが例のノートを滑らせてきた。


「読みますか? それとも今日の部活は終わりにしますか?」


 いけない。あんまりぼうっとしすぎていた。


「え? ああ読む! 読むよ、続き!」


 ***


 川田くんと私が付き合っているという噂は、その日の内に広まってしまった。

 当然だ。人の多い通学路で、長瀬先輩にわざわざ宣言したのだ。

 それに、私が長瀬先輩に告白してふられたということまで、学校中の人が知ることになってしまった。

 川田くんはきっと私を元気づけようとしてくれたんだと思う。私が早く長瀬先輩のことを忘れられるように。

 その気持ちはわかるような気がするけれど、今回のやり方は強引だと思った。

 ……でも、私のためにしてくれたんだと思うと、やっぱり少しだけ嬉しかった。

 部活の時間になって部室へ行くと、部室の前で川田くんが待っていた。

 私を見つけて、彼はがばっと頭を下げて謝ってきた。それを聞いて、今朝のことを怒る気持ちはすっかり失せてしまう。

 顔をあげた川田くんは、いつもよりずっと真剣な顔をしていた。

「先輩、僕は頼りないかもしれませんけど、いつだって先輩の味方です。先輩が困っているときは、一番に助けに行きます。先輩のことを守りたいんです」


 ***


「本当に、助けてくれる……?」


 ぽろっと言葉がこぼれてしまったのは、やっぱり直前に長瀬先輩と会ったからだろう。

 不覚だった。

 川田くんが心配そうな顔になっている。


「先輩?」

「な、なんでもないよ!」


 自分で思っているよりも、私は誰かに助けてほしかったみたいだ。


「川田くん」の台詞は小説の中の「山村香澄」に向けられたものなのに、まるで自分に言われたように錯覚してしまった。

 なんてタイミングのいい展開! 一瞬、期待しちゃったよね!


 でも、現実でこんなふうに私を助けてくれる人はいない。普段からもっと男子とも仲良くしておけば、偽物の恋人役を引き受けてくれるなんてお人好しもいたかもしれない。


 実際にはわたしは結構な人見知りで、普通に話せる男子も川田くんくらいしかいない。

 助けてくれる人なんて、いないのだ。自分でなんとかしなければいけない。


「先輩、何か困ってるんですか?」


 川田くんが私を気遣うように聞いてくれる。

 私は精一杯笑って答えた。


「だから、なんでもないってば」

「本当ですか?」

「ほ、ほんとうだよ」

「本当の本当に?」

「……本当に」


 だんだんと身を乗り出してくる川田くんを両手で押し返す。

 だめだ。そんなに言われたら、その優しさに付け込んで君を利用したくなる。


『実はちょっと彼氏のフリをしてくれる人を探してて』

『川田くん、協力してくれないかな』


 そんなふうに言いたくなってしまう。


 私は川田くんといい先輩後輩関係を築きたいと思っている。文芸部を楽しいと思ってほしいし、入ってよかったと思ってほしい。

 だからこんな面倒事に巻き込むつもりはない。長瀬先輩絡みで、しかも恋愛沙汰なんて、この先の川田くんの学校生活にも影響を与えてしまうかもしれない。


 改めて、長瀬先輩の影響力ったら、この学校内ではいっそ面白いくらいに強いのだ。本人に自覚がない分余計に性質が悪い。


 そもそも私がちゃんと長瀬先輩の告白を断れなかったせいで、こんな困ったことになっているのだ。自分で蒔いた種。身から出た錆。

 後輩に迷惑をかけてまで助けてもらおうなんて、ちょっとでも思ってしまった自分が情けない。


「なんでもないよ、川田くん。ほら、あれだ。先生に成績のことでちょっとだけ怒られちゃって……」


 だから本当に何でもない、と続けようとした言葉は、最後まで声にならなかった。


「僕は」


 川田くんに両手首を捕まえられた。さっきまで彼を押し返そうとしていた手を、ゆっくりと下ろされる。

 まっすぐに視線を向けられていた。


 私は彼が物を書いているときの真剣な目が好きだった。今はその真剣さが私に向けられている。

 場違いなのかもしれないけど、なんだかすごく、男の子だと思った。


「僕は頼りないかもしれませんけど、いつだって先輩の味方です。先輩が困っているときには、助けになりたいです」


 川田くんが言った。


 それは小説の中で「川田くん」が「山村さん」に言った台詞で、「山村さん」に対していいなあ羨ましいなあと思ってしまった台詞で――私が今一番欲しい言葉だった。


 もしかしたら私はすごくずるい人間なんだろう。

 後輩に迷惑をかけたくないってさっきまでは本当にそう思っていたのに、あっさりその考えを放棄してしまった。


 だって、ねえ?

 そんなふうに見られたら、話ぐらい聞いてもらいたいって思っちゃうよ。


 もしかしなくても私は、すごくずるい先輩だ。


「あのさあ、川田くん」

「…………はい」

「……助けてほしい」


 まだ何を助けてほしいかも言っていないのに、川田くんはなぜか嬉しそうだった。


「はい、香澄先輩」

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